人ならざるもの7
闇女上を信仰する人々の聖地である御闇山の上には巫主と呼ばれる賢人が住む。
賢人に会うには何日もかけて合目に点在する宿坊で身を清めながら登って行かなければならない。
麓で幾日かを過ごし締綱日子から入山の認可を得たスオウたちも例に漏れず先々の番人に止められて時間をかけての踏破を余儀なくされた。
陰業衆であるアビコは一挙に通過出来る権限があったがスオウたちに付き添い、マヌイは巫主に諸々の件を伝えるために先に駆けていった。
緑豊かな植生が広がる裾野を超え、砂礫ばかりの道を過ぎるとついには雪と氷が残る高さに行きつく。
するとそこには平場でも都にしかないような立派な木造りの大社があった。
まわりには草すら生えていないというのに社の柱は大人が抱えても手を回せないほど大きく鮮やかに塗られ、いったいどれほどの労力をかけて建てられたのか想像も出来ないほどの美しさだ。
登り始めは悠長な道程に苛立ちを覚えていたスオウも途中からは慣れない登山に疲れ果て、今や厳しい自然と先人の技術の結晶の対比をじっくりと眺めて素直に感動するに至っていた。
「おう、遅かったな。猿婆が待ってるぜ」
土地に縛られる筈の土の精霊の特徴をはっきりと有したメイの存在は学のある者の多いこの地では道中でも関心を集めていたが、殊に位の高い者の集うこの頂では好奇の目の中に警戒の色も含まれていた。
北谷原に怪異ありとして調伏に向かったアビコたちが連れ帰ったものだから怪異の正体を捕らえて来たのだと思われているのかもしれない。
一般人であるスオウに対しても何故一行の中にいるのかと遠巻きに声を潜めて話す人々。
そんな者たちを空気のように押しのけて先に到着していたマヌイが三人を中に誘った。
かくしてメイとスオウは巫主と対面した。
時折マヌイが猿婆と蔑称で呼んでいたが、失礼とは思いつつもその通りだとスオウは思った。
祈祷部屋として使われている様々な呪具が並ぶ部屋の中、背もたれ付きの椅子に置かれていたのは赤子ほどの大きさしかない小さな小さな老婆だ。
桃の種のように深い皺が折り重なった顔は小綺麗に化粧され、顔の大きさに似合わない髪の毛量と長い睫毛に縁取られた輝く大きな目が異様さを際立たせていた。
なるほど上代から生きていそうである。
例えばアビコのように今の世に異能が発現した者とは異なり昔の異能者はどういうわけか不死か不老または両方である者ばかりらしいのだがどうやら巫主も時間の概念が人とかなり異なるようだ。
その隣に立っている妙齢の女性は耳と呼ばれる異能者だとアビコに説明を受ける。
ミミは閉じられた瞼に刺青を施しているのかと思いきや実際に目が縫い付けられていた。
「その者、メイ。アビコらと会うてからのことは把握しております。語りたきことあれば語りなさい。聞きましょう」
凛とした、少し素っ気なさを感じる声色でミミが促してきた。
メイは当然のようにミミの言葉を無視して巫主に興味深々だったがスオウは風吹く鄙の長の家でメイが呪い用の猿の頭骨に同じ反応を示していた事を思い出して先んじてメイの髪の毛を掴んでおいた。
案の定間抜けな土の精隷が釣れたがスオウは引っ張りながらミミの言葉を反芻し恐ろしい事に気付いてしまった。
彼女の言葉はアビコたちがメイと出会う前の事は説明されないと分からないと言っているようなもので、向こうから本題を切り出してこないと言うことはメイが闇女上から勅使を受けているということも知らないと言っているようなものだと解ってしまったのだ。
今、闇女上は新珠の泉の奥底にいると謂われており新珠の泉はこの御闇山の何処かにあると伝えられている。
かつて闇女上の傍で仕えていた側近中の側近ならば場所柄からして今も接点があると考えていたがそれは誤りだった。
すると彼女たちはメイの、闇女上の目的を知らないまま懐に招き入れたことになる。
あの時メイがスオウに語ったようにちゃんと目的を話せば巫主は珠の巫女として喜んで運命を受け入れるかもしれないが、イルナシのように、ムクロメのように、この山の長に敬意のない死を与えてしまったら信徒たちは尊厳を取り戻さんとして立ち上がるだろう。
「メイ……冥之上は今、闇女上の命により汝を殺めんとせし」
だからスオウはメイよりも先に口を開いた。
ぴくりとミミの髪が揺れ、巫主の大きな目が覗き込むように更に大きく開いた。
無垢な顔をして巫主に近寄ろうとしているメイの髪を握る手が行く末を案じてじっとりと汗ばんでいく。
スオウに出来ることは大事な人を惨たらしく失った者の立場としてメイの使命を説明し、自死か拒否かの選択をする時間を稼ぐことだけだった。




