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虚空史記2 -冥之上編-  作者: 九綱 玖須人
人ならざるもの
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人ならざるもの6

 御闇山(おぐらやま)に登る前は麓の門前通りにある宿坊(しゅくぼう)と呼ばれる施設で身を清める必要がある。


 この行為には山に戻って来た者が病の類を保有していないか見定める意味があった。


 いわゆる神域に穢れを持ち込まないという事である。


 宿坊は関と共に合目(ごうめ)ごとにあり、全てに泊まる必要はないが番人の判断で足止めを余儀なくされることもあった。


 締綱日子(しめつなびこ)から門前払いをくらったアビコはスオウたちを第一の宿坊に案内した。


 宿坊は山から流れ来る川の(ほとり)にあり近づくと風向きによって奇妙な香りがした。


 どうやら川は地下から湧き出る湯と混ざり出来ているらしい。


 湯治場なるものの存在を噂で聞いていたことがあったスオウは匂いに興味を示して勝手に歩き出したメイを珍しく止めることなく自身のほうが先に走っていってしまうのだった。


 本来宿坊は御闇山の関係者でないと利用できないがアビコの計らいでスオウもメイも中に入ることが出来、簡素ではあるが上品な味付けの御馳走で歓待された。


 初夏とはいえ時間も時間だったのですぐに日は暮れ、辺りが薄闇に包まれてくると湯治場に松明が灯った。


 満天の星空が広がるなんとも贅沢な環境の下で湯を浴びる音が響く。


 湯気の中では湯浴み用の薄衣(うすぎぬ)が張り付いた腰元と(あで)やかな黒髪の主が片膝をついて髪を梳いていた。


「なんという(きよ)()くしだ。こんな上等な薄衣も……よもや湯に浸かるためだけのものとは」


 湯に浸かり眉根を寄せるスオウの後ろで濡れ髪を梳いていた――アビコが笑った。


「このまま居つきたくなるでしょう」


「いや。過分なればこそ、焦る。巫主はすぐそこだというのに。まるで会わせたくないかのようだ」


「そのような事はありませんよ。これは決まりなのですから」


「火急の時でも?」


「巫主は全てお見えになっておられます。我らが知らせずとも全て知っておいでですから」


「それが分からぬ。なれば昊之上が目覚めんとしている事も知っておいでであろうに。さにあらば何故、かように悠長になされておいでなのか。そも、あの()()()に話を通しておいてさえおらなんだご様子。昊之上は死を司る者。目覚めたとなれば我ら人の命や如何にならん。それに……全て見通しているならば何故(なにゆえ)ムクロメが珠の巫女なるをただの怪異としてアビコ殿らに秘していたか。珠の力を狙う者の事や、メイの事だって……。……メイ、何をしている」


「湯を飲んでいる」


「飲むな」


「はっはっは、この湯というものは飲めば内からも身を清めてくれるものですから誤りではありませんよ。まあ、飲み場が他にありますので浸かる所から直に飲む者は……いないですけど」


「ほらみろ。大人しくしていろ。(おのれ)が浸かる必要などあるとは思えんが」


「……スオウ殿。スオウ殿は()らが巫主に信じられておらぬと?」


「そうは言うておらぬ」


「確かに巫主もまた珠の巫女の一人、既に何者かに他の巫女が(あや)められ珠の力を奪われているという事が(まこと)ならばいずれ巫主をも(おびや)かしかねない曲事であると用心するのが必定。だというのに平素と何も変わらないのはおかしなことですね。ですがこうも考えられませんか? それだけここは安全なのです」


「他の巫女が殺められ人の行く末が危ういかもしれぬのに、ここだけ(また)しならばそれで良いと?」


「スオウ殿、お気持ちは分かります。妹君(いもぎみ)の死が(いたづら)とならぬかおぼめかしいのでしょう。御饗(みあえ)に、湯に、(ほだ)されるほどに癒しに(さか)わねば面目ないと」


 漠然とした焦りを具体的に言い当てられスオウは黙った。


 きっとこの焦りはそうなのだろう。


 スオウの想像では巫主とはすぐに会え、昊之上を蘇らせようとしている者への対策を盤石なものとするよう方々に働きかけて貰えるかと思っていたがまるでその気配すらないのだ。


 これでは(イルナシ)の死が大したことではないと言われているようで穏やかな時間を過ごせば過ごすほどに怒りが募っていくのである。


「スオウ殿。巫主は人の理に(とら)われぬ御方です。なにせ上代(かみよ)より生き永らえ、あの闇女上(くらめのかみ)御傍仕(おそばづか)えをしていたという御方なのですから。人の心が分からぬのではなく、人を超えた御立場で思慮なさっておいでなのでしょう。その御方が良しとした事なのですから安んじて従うのが最も正しき道だと、吾は思うのです。ですからどうか今は……御心を鎮めてくださいませんか」


「……いや、それほどまで荒ぶりてはいまいが」


 アビコのせいではないので頭を下げられても逆に困る。


 言い淀んだスオウが顔の半分を湯に沈めた時だった。


 後ろで脱衣場の扉が破壊音と共に吹き飛び、何事かと気色ばんで見るとそこには一糸まとわぬ女性が蹴りを入れた姿勢のまま腕組みをしてふんぞり返っていた。


 (ろう)の鎧で全身が覆われてないため全くの別人に見えたがこのような蛮行を働くのは一人しかいない、マヌイだ。


「マ、マヌイ!? 湯浴みは吾らの後にしてくださいと約束したではないですか!」


(わずら)わしい! 考えてみりゃなんで俺が待ってなきゃいけねえんだ!」


「ちょ、ちょっと! こっちを見ないでくださぁい!」


「気色悪ぃ声出してんじゃねえよ!」


 はだけた襟をたぐりよせ胸元をおさえたアビコが慌てて湯に飛び込み、顔を半分()けていたスオウの鼻に思い切り湯が入った。


 (むせ)る青年などお構いなしにかけ湯もせずに入ってくる神と、大騒ぎには全く興味を示さずに湯を飲み続ける土の精霊。


 やはり悠久の時を生きている連中には人間の機微(きび)など分かりはしないのだ。


 逆もまた然りだが、スオウには川で半裸になって行水していた時は何ともなかったのに風呂(ここ)では生娘(きむすめ)のように恥ずかしがるアビコの感性も全く理解できなかった。

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[一言] 水を取り込みすぎて泥の精霊になってしまいそうです!
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