人ならざるもの5
冥之上、風吹く鄙の珠の巫女より勾玉の力を賜る
栖鴬具して深津平原の渡しに来着き陰業衆と出で逢いければ、吾日子いわく北谷原に怪異ありしも落居ならざり返るみち也とて、伴いて復行き向いたり
森の鄙に珠の巫女ありて、はや禍憑きたる骸女にてぞ有りければ、木俣に麻綯屢隠り居て、母を憂い子を憂いたるを酌み、起火主吏舞内の焔を以てこれを調ず
然る程に水の難納まりて御闇山に至り巫主と相まみゆ
その山が鎮座する様は圧巻だった。
遠望でもからでも敬服に値する雄大さは、麓においては到着したという達成感も相まって殊更であった。
なにせ眼前一杯に広がる山肌にはいくつもの社が立ち、社と社を繋ぐ階段の道には石塔や朱色に塗られた鮮やかな門柱が所狭しと並んでいるのである。
この世の光景とは思えないそこはまさに聖域と呼ぶにふさわしく、見惚れるスオウを見てアビコは満足そうに微笑んだ。
御闇山は葦原国の中心とされ古くは闇女上が政を行っていたとされる地である。
今は闇女上を信仰する人々が集い日々この国の鎮護に務めている。
陰業衆はその体系の一端を担う集団であり、異能を用いて各所に沸く怪異を調伏するのが務めだ。
そしてそういった各々の集団を統括するのが巫主と呼ばれる頭目であった。
まずは休みたいところだが巫主に報告しなければならない事が沢山ある。
多くの人でにぎわう通りを歩くとアビコに気付いた人々は深々と頭を垂れて帰還を労った。
どうやら人々はアビコの事をマヌイという強力な神を従えている陰業衆屈指の異能者として認知しているようで、不服ではあるようだがマヌイ自身もその図式を崩さないように大人しくしていた。
実際に彼が文字通りマヌイの尻に敷かれている姿を見ているスオウにとっては幾分か違和感があったが自由奔放な荒振神が己に課せられた立場に徹する程に、この御闇山という組織の形態は盤石強固なのだろう。
山へと続く階段の最初の関が見えた時だった。
そこにはアビコさえも幼子に見える程に巨大な男が立ち塞がっていた。
まるで月のように膨れた胴体に断崖の岩肌の如き筋骨隆々の四肢が付いている風貌は明らかに人間離れしている。
上か、とスオウは独り言ったが上を名乗らずに人と共にあろうとした異能者が陰業衆と呼ばれているのでその認識は誤りといえよう。
しかしスオウがそう思ってしまう程に男の第一印象は尊大だった。
見下ろされているのは事実だがその瞳には見下しの色が見て取れるのである。
アビコとマヌイは気にも留めていないようだが聖域の番人としてはどうなのだろうか。
眉根を寄せている青年に気付いたかアビコはいつもよりも声を朗らかにして肉塊の巨人を紹介した。
「あれは物部締綱日子殿です。衛士としての比類なき働きで巫主からの信頼も厚い御方ですよ」
「ぁぁぁ吾日子ぉ……! 何をしにぃぃぃ参ったぁぁぁ……!?」
地を揺るがす声はまるで山が喋っているかのようだ。
名の通り、本来なら門柱の間に架ける魔除けの撚り縄を腰に巻いた姿はまさに生ける障壁である。
スオウは声の圧だけで後ずさりしてしまい、マヌイは鼻に皺を寄せて舌を出し大仰に耳を塞ぐ振りをする。
アビコが言葉を繋ごうとした時、その横を無邪気なメイが通り過ぎていった。
「あっメイ殿……!」
「何処い!」
空間そのものが押し出される感覚。
目にも留まらない捷さで繰り出された右の張り手はあろうことかメイの上半身を微塵にして竜巻に乗せ彼方へと吹き飛ばしてしまった。
山裾の高低差のおかげで門前通りへの実害はなかったがあれが平行に放たれていたら全てが破壊されていただろう。
アビコが咄嗟に真空を作ってくれなければ近くにいた三人もただでは済まなかっただろうが、それでも相殺しきれなかった衝撃波で思いがけずひっくり返ってしまったスオウは蒼白になってメイの名を叫んだ。
「なんだ」
が、下半身だけになった当人は片足を槍のように変形させて反撃しつつ瞬く間に上半身を再生させ何事もなかったかのように呼び声に答えた。
肝の冷やし損だったが一方の締綱日子を見てスオウはぎょっとした。
今までメイの一撃を食らって生きていた者はおらず、凶津鬼と化したムクロメですらそれは例外ではなかった。
なのに正面から受け止めた巨漢は全くの無傷であったのである。
「むっははぁ……! 効かぬ、効かぬわ。こそばゆいだけよ」
「シメツナ殿、仔細は耳殿から聞いているはずです。御戯れはご容赦を」
「痴れ事をぉ。山に登りたくば先ず宿坊にて身を清めるが掟ぞぉ?」
「火急の事態やもしれぬのです」
「我を通したくば我を斃して行けぇ!」
神域に入るには穢れを落とす事が必定である。
四人がやってくる事はだいぶ前から分かっていただろうに特例を許さないのは締綱日子の嫌がらせではなく巫主の意志であろう。
ここで押し通ろうとしても無益なので四人は素直に従い門前通りに戻った。
メイの攻撃が効かない以上太刀打ちできそうなのはマヌイくらいなもので、スオウはといえば格の違いを見せつけられて一瞬で心を折られた事を皆に気取られないようにするだけで精一杯だった。
あのような化け物を従えマヌイにすら組織の尊厳を守らせる巫主とは一体どのような人物なのであろうか。
以前マヌイが猿婆と蔑称で表現していたが余計に容姿の想像がつかなくなった。
力負けした事を意に介さないどころか未だスオウに名前を叫ばれた事に呼応してみせるメイがうるさいので頭を叩いて黙らせる。
壁のようにそびえる山の頂が一層遠くなった気がした。




