上と神9
北谷原の森の鄙は森と共にあった。
太古からそびえる巨木群の表皮は苔むし、頭上には無数の宿り木の蔦が木から木へと方々に伸び花と実を結んでいた。
宿り木は古来より生命の象徴とされてきた神聖な植物である。
木漏れ日も神々しく、その中に立ち並ぶ竪穴式住居のしめやかさにスオウは惚れ惚れと暫く立ちつくしたほどだった。
鄙の長であるムクロメは間も置かずに戻って来たアビコらを旧知の友のように歓待した。
異常があると解りつつも原因を突き止めることが出来なかったアビコらが仲間を連れて究明に戻ってきたかと思ったからである。
長の家に通された四人は思い思いの事を感じていた。
異能を持ち大いなる見えざる力を感じる事が出来るアビコやマヌイとは異なりただの人であるスオウも腑に落ちない何かを感じるのはやはりこの鄙を怪異が包んでいるからなのだろうか。
新しい顔を前にムクロメは改めて現状を説明する。
この鄙では以前からいるはずもない童子の気配や泣き声がすることがあり、者どもが怖がっているので確かめて欲しいと。
確かにアビコらは御闇山の巫主から妖の気配がすると派遣され到着してからは実際に鄙全体からずっと人ならざる者の気配を感じているので何かがいるのは確定しているのだが、どれだけ探しても妖の類を発見することが出来なかった。
ただの妖ごときであれば上であるマヌイに敵うわけもなく、するとより強大な存在である荒振神や凶津鬼なのかもしれないと考えたアビコは今一度巫主に伺いを立てるべく案件を持ち帰ろうとした。
その矢先に出会ったのがメイとスオウである。
メイはこの方角に珠の巫女の気配がすると言っていたし、もしかしたらこの邪悪な気配は珠の巫女を狙うという何者かの気配なのかもしれなかった。
初対面でムクロメの張った乳頭をつついたメイはしこたまスオウに怒られたせいか何も言わずに大人しくしていた。
こういう時には空気を読まず何者かの気配について言及して貰いたいものなのに融通が利かずスオウは苛立っていた。
しかし喋らせようものなら余計なことまで喋り出すかもしれない。
万が一ムクロメが珠の巫女だった場合にどうするかは未だ考え付いておらず、最悪の場合は妹イルナシと同じ悲劇が繰り返されてしまう可能性が高かった。
「ではまた、新たなる輩と鄙を周りましょう」
「お願いいたします」
スオウとメイを自分たちよりも妖の認知に長けた異能者だと嘯いたアビコはさっそく探索を始めた。
長の住居を出ると盗み聞きでもしていたのか泥の面を被った男たちが一斉に散らばっていき遠巻きにこちらを見つめていた。
排他的というには少し違和感があるが近寄ろうとしてもどんどん逃げていくので話にならない。
だがむしろ今はその方が好都合で、四人はひらけた場所に立って現状の意見を述べ合うことにした。
「如何でしょうメイ殿。怪しき気配は何処より感じますか」
「怪しき気配とはなんだ」
「アビコ殿、此奴は善悪の区別がつかぬ。……が、そういえば鄙の入口で何かが此方を見ていると言っていたな。小さき者がと。それが童の妖とやらではないのか」
「どうでしょうか。あの時吾らは邪なる気配を感じませんでしたから。妖の気配は明らかにこの鄙の中からします」
「おいメイ、ムクロメ殿は珠の巫女か」
「おお、珠の力を感じた」
「なればムクロメ殿のいう邪なる気配とは珠の力を奪わんとしている者の気配かもしれん」
「俺はそうは思わねえな。だったらなんで何日も気配漂わしてるだけなんだよって話じゃねえか。すぐに奪わねえ道理がねえだろ? それに、あの女は童の気配だって言ってんだ。珠の力を奪おうとしてんのは童なのかよ」
「ううむ……」
「…………。おおい、皆々方よ! 其方らは怪しげなものを見たり聞いたりしておらぬか!」
「無駄だぜスオウ。あいつら話になんねえんだ」
「なんだあの態度は。闇女上を信仰する者の方様たる陰業衆に随分と余所余所しいではないか」
「そもそも新言葉じゃ通じねえよ」
「やはり今一度御闇山に戻り巫主の御言葉を賜るしかないでしょうか」
「ここを出るのか? ならばその前に珠の力を賜る」
「殺してか? そうはさせぬぞ」
「まあまあ、珠の力を如何にして賜るかも考えねばなりませんがムクロメ殿に巫女の宿命を明かそうにも腰を落ち着けて話すには先ず妖を片さねばなりません。ですので夜に再び探りましょう。怪異はよくよく夜に起こりますから」
四人は空き家を借りて夜まで仮眠を取ることにした。
夕食にムクロメが宴を開いてくれると言ったがそれは妖を祓う事に成功してからありがたく頂戴すると丁重に断った。
かくして夜になると辺りにはスオウでも分かるほどに異様な空気が漂い始めた。
松明を灯して見上げた巨木群は昼間とは一転して禍々しく覆い被さってくるような様相を醸していた。