俺がいたずらを止めた理由~聖女のヒップドロップ編~
社会人三年目の春、俺は一大決心をした。
入社当時から密かに思いを寄せていた一つ上の先輩に、俺は今日膝カックンをする。
先輩はもうすぐ退職し地元に帰るらしい。気兼ねなく顔を合わせられる日々はもう少ない。新人歓迎会で一杯目にカシスオレンジを頼み部長に白い眼を向けられる中、「大丈夫だよ」と一緒にカシスオレンジを頼んでくれたあの日から、俺にとって先輩はジャンヌダルクに勝る聖女である。誰とでも分け隔てなく笑顔で接し、柔らかい物腰に反した端正で品のある顔立ちに、俺の膝カックンが炸裂したらどんな表情が見れるのか。自制心という名の魔物に邪魔され続けたが、春の晴天が俺の決意を後押しした。
我がいたずらのモットーは「誰も傷つけない」ことだ。ケガはもってのほか、少し怒られる程度で遺恨を残さないことこそいたずらであると考える。
そして今日、とある会議後に部長から資料室でファイルを探すように命じられた。過去何十年分とファイルがある為、先輩と共に探すこととなった。
資料室に向かう前、同僚に膝カックン計画を話したところ「その情熱の一端でも仕事に向けろ」というような目を向けられたが、この情熱は親しい人に向けた俺なりの愛情表現なのだ。分かってくれるか友よ。
資料室に入りファイルを探す。窓からの西日が埃を輝かせている。
「あったよ」
先輩が棚の上のほうを指差し、ファイルを取ろうと手を伸ばす。チャンスだ。
軽量級のアウトボクサーさながらに先輩の背後を取り、流れるようなムーブでスラリとした脚を捉えにいく。
仕留めた・・・!
刹那、バキッという乾いた音がした。
次の瞬間、先輩の膝は俺の膝に触れることなく曲がっていくのが見え、その下の方で先輩のヒールが折れているのが見えた。細身な見た目よりも思いの外重い先輩の体重と艶やかなお尻を受け止めながら、俺の膝が正座の形で崩れ落ちた。
そして、前十字靭帯が爆発した。
「ごめん!助けてくれたの?大丈夫!?」
靭帯の悲痛な叫びに耳を貸さずに、脂汗が滲む笑顔で、あの日先輩が言ってくれた言葉を返した。
「大丈夫だよ」
先輩は「ありがとう」と頭を撫でてくれた。
ギリギリ歩ける程度の損傷に感謝しつつ、心配をかけまいと根性で資料室を後にした。
その日から俺はいたずらを止めた。先輩は地元に帰るのを止めた。