表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
堕天のシンペラズマ  作者: LYNa
2/5

1.嵐の前、日常

「これで、全てですね」

 広いキッチンに響いていた、水の流れる音が止んだ。山積みになった洗い済みの食器を眺めながら、私はそう呟く。手を洗い、タオルで拭いていると……

 バタンッ!

「ドロイア様! また食器洗いをなさっていたのですか?」

 一人のメイドが、勢いよくキッチンに入ってきた。

 ここは天界にある、とあるお屋敷のキッチン。

 『天界』、それは神の使いである天使たちが住む世界。『天使』、それは私のことを指す単語でもある。『ドロイア』、それは私という天使の呼称。

 私の名前はドロイア。天界に住む、一人の天使です。


「ミラさん……!」

「もう、ドロイア様ったら……いつも言っているでしょう。家事は私たち使用人の仕事だと……!」

 キッチンに現れたのは、桃色の髪を二つお下げにした 大人な雰囲気を纏う女性の天使。名前は『ミラ』。私のお世話をしてくれているメイドさんです。私より六百歳年上で(人間界で言うと、六歳年上……といったところでしょうか)、メイドさんというよりも、世話焼きなお姉さんのような存在です。

「それに、アイシレス様から『ドロイアの身の回りのことは頼んだぞ』と言われていますので、尚更 ドロイア様の手を煩わせるわけにはいきません」

 『アイシレス様』というのは、私の義父です。そして、この屋敷の主人でもあります。

 ミラさんは、私が洗った食器をてきぱきと片付け始めた。

「あ、私も……」

 手伝おうと食器に手を伸ばすが、ミラさんが食器を横取りする。

「メイドの仕事を奪うだなんて、ドロイア様は私をクビにするおつもりですか?」

ミラさんはそう言って、微笑んだ。

「分かりました、では少し出掛けてきますね」

これ以上何か言っても、彼女は家事を決して手伝わせてはくれないだろう。私はそう思い、キッチンを後にした。


 長い廊下を歩く。もう何千年もこの屋敷に住んでいるが、今でもこの屋敷の広さには慣れない。そして、屋敷は広いだけではない。この屋敷にある家具はどれも上質な物で、オーダーメイド品である。何しろ、屋敷の主人である『アイシレス様』は、天使の中でも高い階級に属している素晴らしい天使様です。彼ほどの地位が無ければ、このような立派なお屋敷は建てられないでしょう。その一方、私はごくごく普通の、寧ろ能力的に少し劣った天使。この屋敷に来る前は、宿を借りて生活していた身です。そんな私が何故ここに住んでいるのか? その理由は、アイシレス様が天使として生まれたばかりの私を引き取ってくれたからです。

 天使は、『主様(私たち天使は、神様のことをこう呼ぶのです)』から生み出されます。つまり、主様は私たち天使にとって父親のような存在で、私たちは『使い』であり『子ども』なのです。

 主様によって生み出された天使は、天界で暮らします。しかし、家などはあらかじめ用意されていません。生み出された天使は主様のお力を借りずに、自立しなければなりません。それが、天使として生まれて最初の使命とも言われています。

 たいていの場合は、親しい人を作ってその方に助けてもらったりします。天使は皆、知能も高く、優しく思いやりがあるので、生み出されたその日から幸せな暮らしを始められる天使が多いのです。

 しかし、私はそうではありませんでした。知能は他の天使よりも劣っていて、他の天使との付き合いが上手く出来ません。なので、私は生み出されてから数日間、宿を借りて寝床は確保したものの、何もできず独りぼっちでした。その時に、私を救ってくれたのがこの屋敷の主人・アイシレス様です。彼は劣っている私を受け入れてくれました。そして、私に居場所を与えてくれた。家族として迎えてくれたのです。だから私にとってアイシレス様は、かけがえのない大切な義父なのです。


 ミラさんに言った通り、私は外出するため屋敷の玄関に向かった。扉の見える距離まで来ると、一人の執事が扉のステンドグラスを磨いていた。彼は私に気がつくと、ニコリと微笑む。

「おはようございます、ドロイア様。お出かけですか?」

 彼はアイシレス様のお世話をしている執事、ソアレさんです。長いオレンジの髪を三つ編みにし、右目には太陽のチャームが付いた金のモノクルを付けている。私がその問いに頷くと、「左様でございますか」と言い、扉を開けてくれた。

「ありがとうございます、行ってきます」

「はい、行ってらっしゃいませ」

 私はソアレさんの言葉を背に、爽やかな風の吹く外へ足を踏み出した。


 私の住む屋敷は森の中に建っています。そのため、街に出るには森を抜けなければなりません。けれど私は、森の木々や花々の生き生きとした色が好きで、ゆったりとした足取りで歩みを進める。

 森を抜け街に出ると、大勢の天使が楽しげに過ごしていた。買い物をする者、お喋りをする者……そして、仕事をする者。そんな天使たちの様子を眺めながら、私は街中を歩く。実は、私は街に遊びに来たのではありません。私が向かっているのは、街をぬけた所にある森。私が外に出た理由は街にはない。

 街をぬけ、森に入る。この森も屋敷の建つ森と同様、静かで穏やかな時が流れていた。


 ここで『天界』について、もう少し説明しましょう。天使たちが住む天界ですが、大きく七つに分けることができます。第一天から第七天まであり、それぞれ別の役目をもっています。私たち天使が主に住んでいるのは、第六天『ゼブル』。此処にあるのは天使たちの家や店だけではなく、『天界参謀本部』――通称『本部』と呼ばれる、軍事の最高機関がゼブルの中心に存在しています。本部の役割は軍事がメインですが、天界や人間界の管理なども行っており、軍事だけでなく全てにおける最高機関とも言われています。ちなみに、アイシレス様もこの本部で働いている天使です。

 森のなかを歩き続けて、三十分ほど経った頃。小さな洞窟が見えてきました。ここが目的地です。この辺りで私以外の天使を見かけたことは一度もなく、ゼブルでも殆ど知られていない場所と言っても良いでしょう。

 私は洞窟に足を踏み入れた。この洞窟はそれほど広くはなく、すぐに行き止まりに達する。その行き止まりの岩壁に、私の背丈くらいの大きな魔法陣が描かれている。それはとても複雑な模様で、アイシレス様のように優れていない私にはさっぱり分からない。

 私は魔法陣に手を当てる。すると、ぐにゃり、と魔法陣が歪み、私の手が岩壁に吸い込まれていく。そのまま腕を、身体を、前へ前へと進めていくと……――。


 一瞬、視界が真っ白に染まる。そして、見えてきたのは荒廃した土地と民家。天界の景色とは打って変わって、土や石の乾いた色ばかりが見える。

 此処は、『狭間の世界』。私は別の世界に来たのです。天使が住む天界と悪魔が住む魔界の『狭間』にあるため、そう呼ばれている。この三つの世界は上から『天界・狭間の世界・魔界』と、世界が層のように存在しています。

 天界は天使が住む世界。魔界は悪魔が住む世界。では、狭間の世界は?

 狭間の世界には、『堕天しきれなかった羽の黒い天使』と『善の心を持ってしまった羽の白い悪魔』が住んでいる。『堕天しきれなかった天使』と言うのは、言葉の通り。普通、堕天すると天使は悪魔か人間になる。しかしその中には、『心を悪に染めきれなかった者』や『人間界に堕ちる決心をつけきれない者』もいる。そのような天使が、この狭間の世界に住み着くのだ。逆に『善の心を持ってしまった悪魔』というのは、此方も言葉の通り。優しい心を持ってしまったために、悪逆非道な魔界に馴染めずにいる悪魔が狭間の世界に住み着く。また、これが一番実例の多い理由と言われていますが……この狭間の世界で、天使と悪魔が恋に落ちてしまい、共に生活をするために住んでいる。

 狭間の世界に住む者は、皆それぞれ住む理由が違う。しかし、ただ一つ彼らに共通して言えることは『天界にも魔界にも居場所が無い者』ということである。そのため狭間の世界は、天界の王である『主様』や魔界の王である『サタン』の管轄外である。天界に居る天使は常に主様に見守られ、魔界にいる悪魔は常にサタンに見守られている。加護を受けているのだ。しかし、此処に住む者は皆、自分で自分を守るしかない。また、狭間の世界が廃れているのも、両者の王に見放され、物資が行き届いていない自給自足の生活を送っているからだとも言われる。

 このように私は、狭間の世界についてよく知っています。しかし、この世界に関して知識のある天使は天界本部で働く者くらいだと言われている。……では何故、私がこんなにも狭間の世界の事を知っているのか? その理由は――。

「ドロイア! 遅くなってごめん……!」

 狭間の世界で立っていると、一匹の悪魔が此方に駆けて来た。

「ライジア! 大丈夫です、今 来たばかりですよ」

 その理由は……この悪魔が、私に教えてくれたからです。


「ごめんね、明日が〆切だと思ってた研究レポートが、今日〆切だって連絡を貰って大変だったんだ」

「えぇっ! それなのに、約束に間に合うよう来てくれたのですか?」

「レポート自体はもう完成していたからね。提出の手続きを此処に来る途中に済ませてきたんだ」

 彼の名は『ライジア』。魔界に住む悪魔で、魔界軍の研究員を務めている。とても頭が良く、私に色々なことを教えてくれるのです。

 私たちが待ち合わせていた場所は、狭間の世界にある小さな村。十数名ほどの天使と悪魔が此処で暮らしており、村の方々は皆優しい心を持っているため、狭間の世界の住人でない私たちをも歓迎してくれる。そのため、私とライジアはこの村にあるカフェでいつも時間を共にするのです。

「そういえばドロイア。今日は昨日言ってた、新作のケーキを頼んでみない?」

「良いですね! 私も食べてみたいと思っていたんです」

 私がこの世界に来た理由、それは、彼……ライジアに会うためです。彼と初めて出会ったのは約一年前。それからずっと、初めて会ったこの場所でほぼ毎日約束を交わしているのです。

 天界に住む ごく普通の天使である私と、魔界に住む研究員であるライジア。何故、私たちが交流するようになったのか。きっかけは、一年前のある出来事でした。


 まだ私が、狭間の世界の存在を知らなかった時のことです。散歩が好きな私は、よく森に出向いていました。こう見えて好奇心旺盛な私は、初めての場所でもどんどん歩いて行ってしまうタイプなのです。狭間の世界に繋がる洞窟を見つけたのも、初めて入る森でワクワクしていたため、どんどん歩みを進めてしまったところ、偶然見つけたものなのです。

 洞窟を見つけ、奥にある魔法陣を見つけた私は流石にこれは凄い発見だと思いました。好奇心の塊であった私は、恐れることなく魔法陣に触れ、魔法陣の向こう側に手を伸ばす。すると……。

「きゃッ!?」

 魔法陣の向こう側で、何者かに手を握られてしまったのです。私は驚きと恐怖のあまり、逃げるということを忘れていました。そのまま魔法陣の中へと引きずり込まれ、一瞬視界が白く染まったかと思えば、

「わッ!! ごめんね、つい気になって掴んじゃったんだ」

 見たこともない廃れた世界と、目の前には私の手を握る一匹の悪魔。呆然とする私の手を、悪魔は慌てた様子で離す。

「本当にごめん!! この辺りの研究をしていたら魔法陣が現れて、おまけに手まで出てきたから、つい掴んじゃったんだ」

「い、いえ……大丈夫です」

 私はそう言ったが、内心ビクビクしていた。此処が何処なのか分からないし、悪魔と出会ってしまうなんて。そして、『悪魔』というワードで私は重大な事を思い出した。私の義父・アイシレス様にこう言われていたのです。『天使と悪魔は戦争時以外に、決して関わってはいけない。ましてや、仲良くなどなってはいけない』と。天使と悪魔の仲が悪いのは一般的なことなのですが、アイシレス様は人一倍……いえ、天使一倍 悪魔を嫌っています。なので、悪魔と交流する機会が皆無であった私にも、口を酸っぱくしてそう警告していました。それなのに……私は今、悪魔と話してしまった。約束を破ってしまった私は、一体どうなってしまうのでしょう? そんな風に考えていると――

「ねぇ、君……大丈夫?」

 悪魔に声をかけられた。

「……ッ!」

 私は肩をビクリと震わせた。すると、彼は申し訳なさそうな顔になってこう言った。

「あっ……ごめん、そうだよね。悪魔が怖くて当たり前だよね……」

 私はその表情を見て、不思議と緊張が解れていくのが分かった。私は今まで、悪魔は完璧な悪者だと思っていたし、そう教わった。でも、彼は違った。悪魔なのに優しかった。

「いえ、此方こそすみません。何が何だか、よく分かっていなくて……」

 私がそう言うと、彼は「そうみたいだね。まぁ、仕方ないよ」と微笑む。

「あの……貴方は、悪魔…ですか?」

 私は彼にそう問うた。赤い瞳、角、尻尾……何処からどう見ても悪魔だけれども、私は問いかけた。すると彼は、

「うん、悪魔だよ」

と、答えた。……ですよね。

「でも……貴方、凄く優しいです。悪魔なのに」

「ははっ、有難う。よく言われるよ」

 どうしてこんなに優しい方なのだろう。そう疑問に思っていると、彼はこう話し始めた。

「実はさ、俺……結構前からこの『狭間の世界』に興味があって遊びに来てたんだ。堕天しきれなかった天使や、善の心を抱いた悪魔……善と悪が共存するこの世界のことを調べたくて、この世界に来ていた。天使と悪魔が仲良くしている世界っていうのに惹かれててね。それで、丁度この辺りのことを調べていたら突然魔法陣が現れ、そこから手が現れたから研究心をくすぐられて……今に至るって感じだよ」

「『狭間の世界』? 『善と悪の共存』……?」

 当時の私からすれば、彼の口から飛び出るのは知らないことばかりだった。

「あー……そっか、本当によく分からないまま此処に来たんだね」

 彼は「余計混乱させちゃったかな」と頬をかくと、「もし良ければ……」と村を指差す。

「君が良ければの話だけど、この世界の事を教えてあげるよ。お茶でも飲みながらね。勿論、俺のおごりで」

 普通に考えれば、悪魔の誘いに軽々と乗ってはいけない。しかし、彼はどう見ても優しい方で私を騙すとは思えなかった。

「それなら……是非」

 私は彼の誘いに乗った。そしてその後、彼の言った通りカフェでお茶しながら、狭間の世界について教えてもらったのだ。

「えっと、君が見つけた魔法陣は人気のない洞窟の中にあったんだよね? 確か、天界で公にされている この世界に繋がる魔法陣は、天界本部にしか無いと言われているから……君が通って来た魔法陣は、この世界に私的に来るようになった天使軍が描いたものかもしれない。軍に属するものしか、この魔法陣は描けないからね。となれば、あの魔法陣はいつ描かれたものなんだろう。それが分かれば、狭間の世界で天使と悪魔が住み始めた時期が分かるかもしれない……」

「あ、あの……」

 一人で考察を始めてしまった彼に声をかける。すると彼は「あっ、ごめんね! 君に説明しなきゃいけないのに」と両手を合わせて謝った。そして「こほん」と間を置き、今度こそ説明を始めてくれた。

「まずこの世界について。ここ、狭間の世界は天使と悪魔の両方の種族が存在できる世界だ。天使が纏う『気』――『聖気』と悪魔が纏う『気』――『邪気』が混在しているからね。でも、天使や悪魔にとってそれは良いことじゃない。心が善や悪に侵食されずとも、空気中の聖気や邪気という外的要因で羽の色が濁る、或いは澄んでしまうんだ。だから、天界や魔界に住む天使や悪魔はあまり訪れない方が良い世界とされているよ。」

「なら、私たちが今ここでこうやって話している間も……どんどん蝕まれているということですか?」

「うーん、少なからずね。でも、一番の要因は心の善悪のパラメータ次第だから、深く受け止めるほどではないと俺は考えているよ」

 まぁ、まだ研究途中だから何とも言えないけどね。と付け足す。

 それから彼は、此処に住むひと達のことや、天界と魔界の関係の現状についてなど、狭間の世界以外のことも色々と教えてくれた。それは私の知らないことばかりで、私はどんどん彼の話に引き込まれていく。

 そして、彼が「ふぅ」と一息つき、冷めてしまった珈琲を飲んだ。一通り話し終えたみたいです。

「とまぁ、こんな感じだよ。……あっ、そういえば時間は大丈夫? そこそこ長い間 話に付き合わせちゃったけど……」

 カフェの柱にかけられていた時計を見ると、私が天界の屋敷を出てから四時間が経過していた。午後五時、そろそろ帰らなければならない。

「そうですね、帰らないと……」

 口でそう言いつつも、私の身体は立ち上がる気を見せない。

「どうしたんだい? もしかして、気分でも悪くなった……?」

「いえ、そうではなくて……その」

 私は空になったカップの持ち手を撫でた。先ほどから、『ある言葉』が私の胸を支配している。しかし、この言葉を口にしていいのか分からない。

「遠慮しなくて良いんだよ。この世界は、主様もサタン様も見ていない。言ってみて」

 彼は優し気な眼差しでそう言った。……彼は本当に悪魔なのだろうか。こんなにも温かな心を持つ悪魔がいたなんて、知らなかった。

「あの、ですね……その……。また、『貴方とお話ししたい』と思ったんです。優しい心を持つ貴方とのお話、凄く楽しかったので……」

 私がそう告げると、彼は複雑な表情を浮かべる。

「そう言ってくれて嬉しいよ。確かに俺は善の心を抱き始めているから、天使である君にとって話しやすい相手なのも分かる。けれど……俺と一緒にいると、この狭間の世界にいると、君が邪気の影響を受けてしまうだろう。君の未来に関わることだ。……それでも良いって言うのかい?」

 彼の言葉に、私は息を呑む。……確かにそうです。リスクを伴う行動だとは思っています。でも……。

「でも、私……本当に嬉しかったんです、楽しかったんです。私、家族や使用人さん以外で親しく話せる人が居なくて……だから、こうやって長い間 楽しくお話ができる方に会えて幸せで……」

初めに言ったように、私は他の天使との付き合いが上手く出来ない。そのため、こんな風にお喋りするのが夢だったんです。それを彼が叶えてくれた。だから私は、この出会いを一回きりにしたくない…――。

「……うん、分かった。君の気持ちはよく分かったよ」

 私は、いつの間にか下がっていた頭を上げた。すると、ニコッと彼は微笑んでいた。

「俺も、君と話すのが楽しいなって思ってたんだ。だから、君がそう言ってくれて本当に嬉しい」

 彼は私に手を差し伸べる。

「俺の名前は、ライジア。君は?」

「ドロイア……ドロイアと言います」

 私はその手を握った。この手は、この温もりは、私をこの世界に連れてきてくれたもの。

「じゃあドロイア、明日の午後三時に此処でまた会おう。……良いね?」

「……っ! はい、また明日会いましょう!」

 こうして、私とライジアは狭間の世界で交流をするようになったのです。


「わ! もうこんな時間じゃん」

 ライジアは、カフェの柱にかけられた時計を見て言った。ライジアとカフェに入ってから、二時間弱が経っていた。

 ちなみに、私たちがいるカフェはほぼ全席テラス席である。マスターのキッチンだけ屋根が付けられており、客席は机にパラソルがつけられている。

 狭間の世界は貧しい世界だ。必要最低限しか大掛かりな工事ができない。そのため、住宅や医療施設など 屋根が必要となる箇所以外は屋根が無いことの方が多い。狭間の世界は雨が降ることが無いので、天候による影響はないがそれでもやはり屋根は欲しいものです。……と、それは置いておいて。

 初めて出会って暫くは、ライジアに天界や魔界、狭間の世界に関する話が多かったのですが、最近は他愛もない話をするようになりました。正直、こんなにもライジアとの仲が長続きするとは思っていなかったんです。長くて一カ月だと思っていた。でも、もう一年もこの関係が続いている。

 彼と話すのは、とても楽しい。ライジアは明るくて優しい悪魔で、悪魔の敵である私を貶したりしない。それに……ライジアが話してくれる内容は『善と悪の共存』『人間界』など、天界本部で働く天使ぐらいしか知らない内容。私はライジアからの影響か、この辺りの話題に興味を抱くようになった。一応、天界にもこれらに関する書物はあるものの、悪魔嫌いの義父に読むことを禁じられているのです。だから私は、ライジアからこれに関する話を聞くのが好きだし、時には一つのテーマを出して互いの考えを言い合うこともある。そういう場合は話が盛り上がってしまい、あっという間に帰る時間になってしまうのです。

「じゃあ、そろそろ俺は帰るね。今日の夜、悪魔軍の集会があるんだ」

「そうなのですか。私も、屋敷で『ピュリ』が待っているので帰ります」

 『ピュリ』というのは、私の妹の愛称。本名は、『ピュリアール』。彼女も三百年ほど前にアイシレス様に引き取られ、家族になりました。

「ああ、ピュリちゃん! ドロイアがいつも話してくれる妹ちゃんだよね」

「はい。昼間はピュリのメイドであるエイスさんが彼女と遊んでくれているのですが、夕方になるとエイスさんは夕食の準備をしなければならないので……夕方の時間帯は、私がピュリと遊ぶんです」

「へぇ……俺も一回で良いから、ピュリちゃんに会ってみたいなぁ。ドロイアの話を聞く限り、お転婆で可愛い子みたいだし」

 私が狭間の世界に遊びに来ていることは天界の誰にも話していないので、ライジアとピュリを会わせることは難しい。けれど、もし二人を会わせることができたなら、きっと二人はすぐに仲良くなるだろう。

 私たちはカフェのマスターにお金を払い、店を出る。

「それじゃあ、またね ドロイア! 明日も同じ時間に待ってるから!」

「はい! また明日です」

 ライジアは手を振って、私に背を向け帰路につく。私はライジアの後ろ姿が見えなくなるまで手を振り、入って来た魔法陣へと歩く。

ライジアと別れる時、いつも切ない気持ちになる。けれど、また明日もライジアと会える。そう考えると……何故かその切なさが、この広い空に溶けて消えていくような気がして、心が軽くなるのです。


 天界に戻り、森を抜け、街を後にし、屋敷に戻ってきた。

 私は屋敷の扉を開ける。すると、屋敷を出る時よりも美しく磨かれた扉のステンドグラスが、優雅にきらめいた。

「ドロイア! おかえりなさいっ」

 屋敷に入ると、ピュリが出迎えてくれた。私より低い背丈の、可愛らしい少女。そして、大きなリボンで二つに結われた金髪が部屋の明かりによって輝いている。

「ドロイア様、お帰りなさいませ!」

 ピュリの横には、ピュリのメイドであるエイスさんが立っていた。水色の長い髪をツインテールにし、藍色のメイド服を着ている。

「ただいまです、ピュリ、エイスさん」

 私がそう言うと、ピュリが抱き着いてきた。

「ドロイア、帰ってくるの遅いよ~。ピュリ、ずーっと待ってたんだからね?」

「あら……? 時間はいつも通りだと思いますよ?」

「うん、遅刻じゃないけど……ピュリ、早くドロイアと遊びたかったの! ほら、早く部屋に行こう?」

 ピュリはまだ、天使として生まれてから八百年ほどしか経っていない。それは人間でいう八歳なので、天真爛漫、純粋無垢な愛らしい少女なのです。ちなみに、私の年齢は千八百歳。人間でいう十八歳ですね。なので、私とピュリは年の離れた姉妹と言ったところでしょうか。

「はい、行きましょうか」

 私とピュリはエイスさんに手を振り、ピュリの部屋へと向かった。


 私とピュリは、部屋で人形遊びをした。彼女の部屋には、アイシレス様に買ってもらった沢山のおもちゃがある。その中には、私がアイシレス様に引き取られたころに買ってもらった、私のお下がりのおもちゃもある。アイシレス様は多忙な方で、家でも仕事をしていることも多い。そのため、アイシレス様は私達が退屈しないよう沢山のおもちゃを用意してくれたのです。幼い頃の私や、屋敷に来たばかりのピュリは「おもちゃじゃなくて、アイシレス様と遊びたい」と駄々をこねていましたが、成長した今、改めてアイシレス様の日常を目にすると、なんて我が儘を言ってしまったのだろうと反省するばかりです。

 ピュリと遊び始めてから、数時間が経った頃。コンコン、と部屋の扉がノックされた。ピュリは立ち上がり、「はーい」と返事をして扉を開ける。訪ねてきたのは……

「やぁ、二人とも。今戻ったよ」

「「アイシレス様!」」

 私達の義父、アイシレス様だった。

「夕食の時間だ。二人を呼びに来たのだよ」

 アイシレス様はそう告げると、私たちに手を差し伸べて「さぁ、おいで」と言い、微笑んだ。私とピュリは、持っていた人形を置いてアイシレス様に駆け寄る。すると、アイシレス様は苦笑う。

「こら、二人とも。片付けてからおいで」

 私はピュリと顔を見合わせると、「片付けましょうか」「うん!」と会話をして、人形を片付け始めた。


 アイシレス様。この屋敷の主人であり、私とピュリの義父である。切れ長の目、長い睫毛、スッと通った鼻筋……非常に整った顔で、特にアメジストのような美しい紫の瞳は思わず目を奪われてしまう。きらきらと輝く金髪は長めで、肩より少し下まであります。背が高く、スタイルも良い。そして、鍛えられた身体。一度、アイシレス様の着替え中に部屋に入ってしまったことがあるのですが、その時に綺麗に割れた腹筋を見て とても驚いた思い出があります。年齢は、三千五百歳。私から見てお父さんにしては、少し若いような気もします。

 私からすれば完璧であるアイシレス様ですが、親しい人以外との交流は苦手らしく、外ではムッとした表情が多いので、一見 厳しく怖い人に見えますが、本当はとても優しく温厚な方です。親しい仲であるひとの前では、さまざまな表情を見せてくれる方なのですよ。

「アイシレス様、片付けたのよ!」

 ピュリは人形を片付け終え、アイシレス様に近づいた。私もその後を追う。すると、アイシレス様は微笑み、ピュリの頭を撫でた。

「よしよし、良い子だ。では行こうか。折角の料理が冷めてしまうからね」

「うん! ピュリ、おなか減った!」

「ドロイア、いつもピュリの面倒を見てくれて有難う。お前はとても良いお義姉さんだ」

 ピュリの頭を撫でた手で、今度は私の頭を撫でる。そして、さり気なく私の羽も撫でた。

「そう言っていただけて嬉しいです」

 アイシレス様は、よく頭を撫でてくれる。私もピュリもそれが好きで、幸せな気持ちになる。けれど、羽を撫でるのは何故なのだろう。ピュリの羽は撫でないが、私の羽は撫でるのです。……いえ、断じて嫌というわけではないのですよ? ただ、不思議に思っているだけで。

「ドロイア? どうかしたかい」

「い、いえ、何でもありません。行きましょう」

「あぁ、そうだな」

 アイシレス様は私とピュリの手を取った。大きくて温かい手。私はこうやって、家族でいる時間がとても好きです。それは、誰にでもいえることでしょうが……。

私は今、『家族』と話したが、天界には人間界のように血縁関係のある『家族』と言うものがない。何故なら、私たち天使は皆、主様から生み出されたのですから。けれど、天使たちは同じ家に何人かで住んだりして、人間界で言う『家庭』と言うものを作って生活している。この習性は、自我のある者に共通したものなのかもしれませんね。


「アイシレス様、今日はどんなお仕事だったの?」

 食事中、ピュリがアイシレス様に問うた。アイシレス様は本部で働いていると言いましたが、彼は本部の中でもとても優秀な天使なのです。前にも話しましたが、実際彼は高い階級に属しています。

 天使には、本部に努めているか否か関係なく、階級があります。全ての天使が何らかの階級に属しているのです。

 階級は全部で九つあります。上から、熾天使(セラフ)、智天使(ケルブ)、座天使(トロノイ)、主天使(キュリオテス)、力天使(デュナメイス)、能天使(エクスシーア)、権天使(アルケー)、大天使(アルカンゲロイ)、天使(アンゲロス)の順。

 そしてこの九つは、上から三つごとに『上級天使』『中級天使』『下級天使』と分けられます。そして、アイシレス様はその中の『中級天使第一位・主天使』に属する天使様なのです。ちなみに私は一番下の『天使』で、ピュリも同様に『天使』です。天界に住む天使の九割が階級で一番下の『天使』に属しており、上級天使と中級天使の階級は各一名しかいません。階級が高いほど、主様に近い存在となります。なので、主天使であるアイシレス様は私たち天使よりも断然、主様に近い存在です。

「今日は……中級天使が集まる会議があった」

 アイシレス様がピュリの問いに答えた。中級天使ということは、主天使、力天使、能天使の三人が会議に参加したようです。

「じゃあ、天界の統治の話?」

 主天使の任務は『天使の務めを統制する』ことであり、主様の威光を世に知らしめることをその任務としている。主様の主権を全面的に押し出し、主様による真の統治を心から希望しています。なので、主天使であるアイシレス様は誰よりも主様を信じ、崇めています。また、主天使は天界と人間界を繋ぐ天使達の中では最高位の存在でもある。そのため、アイシレス様は仕事で人間界へ行くことが多いです。

 しかし、アイシレス様はピュリの問いに首を横に振った。

「いや、統治の話ではなくてだな……」

 急に、アイシレス様の声のトーンが落ちた。少し困った内容なのかもしれない。私とピュリは、アイシレス様の次の言葉を待つ。すると、アイシレス様は険しい顔になり、こう言った。

「実はな、近いうちに……聖戦が始まる」

 私とピュリは、「えっ」と声を漏らす。丁度、私たちにデザートを持ってきてくれた執事のソアレさんも、驚いた表情をしていた。

「本当は、聖戦が始まる数日前に教えるつもりだったが……まぁ、いずれ知ることだ。二人には……あぁ、君も含めて三人には、教えておくとしよう」

 アイシレス様は、私とピュリ、そしてソアレさんを見て話し始めた。

「まだ、確定ではないが……一週間後に、聖戦が始まる。天使と悪魔の戦争だ。天使と悪魔の争いは今までにも度々起こっているが、聖戦はそれとは規模が違う。天使と悪魔が大規模に軍を率いて争うこととなる」

 私たち三人は黙って話を聞いていた。アイシレス様は続ける。

「ドロイアとピュリは知らないだろうが、二千年ほど前にも聖戦があった。ソアレは私と同じくらいの歳だから……知っているな?」

 アイシレス様はソアレさんに問うた。執事さんは頷く。

「はい。確か、百年ほどで休戦となった聖戦の事ですよね?」

「そうだ。天使と悪魔の戦争――聖戦は、遠く昔から行われていることだ。そして、今までの聖戦に勝敗はついていない。開戦と休戦を繰り返し、何万年……いや、それを優に超えるほどの時が経っている。この世界に天使と悪魔が生まれたときから行われていると言っても良いだろう。その聖戦が――休戦中だった戦いが、もうじき開戦するだろうと言われている。悪魔軍に動きがあったからだ。聖戦はいつも、悪魔側が仕掛けるからな」

 アイシレス様の言葉にピュリはとても驚いていた。きっと、聖戦の事はほとんど知らなかったのだろう。それもその筈、アイシレス様は私たちに『聖戦』というものを教えてくれなかった。アイシレス様は悪魔のことが大嫌いなので、私たち義娘に教えたくなかったのだろう。だから、ピュリは初めて教わることに驚いている。私はというと、聖戦についてライジアから教わっていたので、ピュリほどの驚きはなかった。

「休戦中の二千年間、私たちは過去の天使の経験などをもとに、多くの武器や戦略を生み出した。だから、今回で聖戦に終止符を打てると思ったのだが……」

「何か問題があったの?」

 ピュリの問いにアイシレス様は腕を組んだ。

「問題というか……。私は今まで聖戦に参加したことがなかったため、知らなかったことだったのだが……そもそも聖戦に決着など永遠につかないだろう、と言われていることを知ったのだ」

 確か、ライジアもそう言っていた。聖戦に終わりはないと。

「えっ? なんでなの?」

「私もそう思っていたのだよ、ピュリ。前回の聖戦は、まぁほんの百年程度で休戦となったから、悪魔側が開戦のタイミングを誤ってすぐに身を引いたのだろうと思っていた。だから、今度こそは悪魔を殲滅しようと私が会議で言ったところ、能天使に『悪魔が全滅したら、世界の善悪が提唱できなくなるから無理だな』と言われたのだ」

 そうなのです。聖戦に決着がつかない理由。それは、悪魔を全滅させてはいけないからなのです。悪魔が消えることで、世界から『悪』という概念が消えます。それは、善悪の両方を持つ人間の絶滅も意味します。そして、『悪』が消えたことで私たち天使の存在を証明するものが無くなります。『悪』が無ければ、『善』は成り立ちません。つまり、『悪魔』が居なければ、『天使』は居ないのです。

 アイシレス様の眉間に皺が寄っている。悪魔の全滅を夢見るアイシレス様にとって、能天使様の発言はきっと気に障ったのでしょう。

「能天使はそう言ったが……やはり私には、悪魔の存在価値がさっぱり分からない。偉大なる主様を誹謗中傷し、悪事に励む毎日……。どう考えても排除すべき存在だ。それに、私は人間も好かんからな。悪魔が消え、人間も消えれば……私たち天使と主様だけの世界が出来るというのに。『善』を語るのに『悪』が必要だと言うが、そもそも私は天使を『善』と提唱しなくとも良いと考えている。『主様の使い』それだけで十分でないか」

 アイシレス様はそこまで言うと、ハッと我に帰った。

「……すまない。楽しい食事を台無しにしてしまった」

 アイシレス様が悪魔や人間に関することになると、熱くなってしまうことは屋敷の皆が分かっている。だから私は「そんなことありません、気にしないでください」と告げた。ピュリも「大丈夫! アイシレス様が言うこともよく分かるのよ」と言う。ソアレさんも、私たちに続いて「主天使様らしい発言ですよ」と話す。

 それにしても……聖戦、ですか。

 私は、デザートのケーキを食べながら考えた。私自身、聖戦を見たことがない。どんなものかはライジアの話でしか知らない。そのため、もうじき聖戦が始まるのだと思うと、不安な気持ちが心を満たしていった。そして、個人的に嫌だと思うのが、天使と悪魔の戦争だということ。私は悪魔を嫌ってはいない。勿論 その理由は、ライジアが悪魔だから。私は狭間の世界でライジアとよくこんな話をする。『天使と悪魔、仲良しだったら良かったのにね』という話。そうしたら、私たちはこんな風に こそこそと狭間の世界に来てお喋りをする必要はなくなるのに、と。……そして、この聖戦のことで何よりも気がかりなのが――。

「ねぇアイシレス様、聖戦ってどこでやるの?」

 ピュリの純粋な問いに、アイシレス様はこう答える。

「戦場は……『狭間の世界』さ」

 私は目を伏せる。……そうなのです。聖戦の舞台は、狭間の世界。天界や魔界から見放された者が住む世界で、聖戦は行われるのです。天使は魔界に入れない。悪魔は天界に入れない。人間界を巻き込むわけにはいかない。そこで、狭間の世界が戦場に選ばれたのです。

「『狭間の世界』って、なあに?」

 ピュリはアイシレス様に再び問いかけた。……そうでした、ピュリは知らないはずです。アイシレス様は悪魔や人間を嫌っていますが、狭間の世界で住むひと達も嫌っています。アイシレス様が好きなのは、天使と主様だけなのです。

「あぁ、狭間の世界のことも二人に話さねばならないな」

 ……そうだ。アイシレス様の中では、私は『狭間の世界』を知らない事になっていますよね。私は空気を読んで頷く。

「本当は、あのような世界の事を純粋で美しい君たちには教えたくなかったのだが……」

 アイシレス様は紅茶を一口、口に含んでから狭間の世界について話し始めた。

 アイシレス様の話は、全てライジアから教わった事だった。ピュリが興味深そうに聞いていたので、私もそれに合わせて相槌を打つ。

「……というわけだ」

 ピュリは「成程なの……」と呟いた。そして、少し考える素振りを見せた後、ピュリはアイシレス様にこう問うた。

「じゃあ、戦場になる狭間の世界にいる天使や悪魔は、どうなるの?」

 確かに、あの世界に住む方々はどうするのだろうか。それはライジアとの話題に出てこなかった。ライジアも私より少し年上なだけなので、聖戦に参加したことは無く、私に教えてくれることは全て書物などで知ったことだそうです。

 アイシレス様が『聖戦は天使と悪魔の戦争』というのだから、狭間の世界に住む方々は、きっと戦争に参戦はしないのでしょう。正直、狭間の世界に住む方々を天使と悪魔に分類することは難しい。ライジア曰く、狭間の世界の人々は新たなジャンルと考えた方が良い、だそうです。

 アイシレス様は「どうなるか?」とピュリの問いを反復する。その言動に、私は少し恐怖を覚えた。

「本部では、狭間の世界の民の生死は問わないとされている。まぁ、私にとって天使と主様以外は排除すべき存在だといえるからな。私が戦場で彼らに出会えば、躊躇なく引き金を引くだろう」

 アイシレス様は淡々と話した。その様子に、ピュリも思わず眉を下げる。

「……皆、消しちゃうの?」

「裏切り者だからな。悪魔諸共……滅ぼす」

「前はピュリ達と同じ天使だった、悪の心を持っちゃった天使も、ピュリたちと同じ善の心を持った悪魔も……」

「全滅だ」

 アイシレス様はそう言うと、紅茶を飲み干して立ち上がる。

「すまない。聖戦に関する書類の作成を思い出した。私は先に失礼するよ」

 私とピュリは、「分かりました」「頑張ってね!」と声をかける。アイシレス様は、ソアレさんに「美味しかったよ、ありがとう」と告げ、自室へと戻って行った。


 次の日、私は昨日と同じ時間に狭間の世界へ向かった。いつも、ライジアと待ち合わせる場所へ行くと、もうすでに彼が居た。

「こんにちは、ドロイア。今日も来てくれて嬉しいよ」

 と、言った。私も微笑んで「こんにちは、私も嬉しいです」と告げる。私がカフェの方へ歩こうとすると、ライジアが私の腕を掴んだ。

「あの、さ。今日は別の場所で話そう?」

「……? 別に、構いませんが……」

「有難う、カフェだと話しにくいんだ」

 私はライジアに手を引かれて、歩いていく。私たちがいつもお喋りするカフェは、この世界の方たちの憩いの場である。そこでは話しにくいということは……。

 私たちは、村からそれなり離れた場所で立ち止まりました。その場所は村のように整備されておらず、酷く荒れている場所でした。私とライジアは、その場所にあった大きな石に腰を下ろす。

「ごめんね、ドロイア。実は……今日話そうと思っている事って、あんまりこの世界の皆には聞かれたくない内容でさ……」

 やはりそうでしたか。私は「なんとなく分かりましたよ」と彼に告げる。すると彼は「本当かい?」と言った。

 そしてライジアは、少し間をとってから話し始めた。

「ねぇ、ドロイア。約一週間後、この世界に悲劇が起こる」

「聖戦?」

「即答!?」

 ライジアは、あははっと笑った。

「こんなに早く答えられちゃうなんてね……知らないと思ってたんだけどなぁ」

「昨日、アイシレス様に教えてもらったのです」

 ライジアは、「そっか」と言って、耳元で揺れるピアスに触れた。ライジアは右耳に、悪魔の尻尾の形をしたピアスを付けている。彼が自分のピアスを触る時は、悲しかったり、期待はずれだったり、戸惑っていたりする時です。今はきっと、折角話そうとしていた内容を私が知っていたという事に残念がっているのでしょう。

「昨日、ドロイアと別れた後に軍の集会に出席したんだ。そこで、魔界軍の長が『約一週間後、聖戦を開戦する』って悪魔たちに言ったんだ。正直、嫌だなぁって思ったよ」

 ライジアは私と目を合わせ、話を続けた。

「俺、天使と闘いたくないなぁって思った。だって、天使はドロイアの仲間だからね。天使が傷つけば、きっと君は悲しむ。そんなの嫌だなぁって」

 彼はそう言うと、悲しそうに微笑んだ。そしてまた、ピアスに触れる。

「今回の聖戦の目的、それは……狭間の世界の制圧。第二の魔界を作るって言ってた。まぁ……確かに、俺たち悪魔が一番手を出しやすい世界は此処だもんね」

 ライジアはそう説明してくれた。悪魔軍の聖戦の目的なんて、本当は天使に言ってはいけないことでしょう。けれど彼は私に話してくれる。それはきっと、彼に戦意が無いからなのでしょう。

 悲しそうに遠くを見つめる彼に、私は話しかける。

「……ねぇ、ライジア。一つ聞いても良いですか?」

「うん、なぁに?」

「戦争が始まったら、戦争が終わるまで、私は……ライジアとお話しすることが出来なくなるのでしょうか?」

 狭間の世界が戦場なら、ここで彼と会うことが難しくなるでしょう。ライジアとお話しすることが、私の毎日の楽しみなのに……。

「いや、そうでもないよ」

 ライジアの返答が予想外のもので、私は「えっ」と声を漏らす。

「実は、聖戦って四六時中ずっとやるわけじゃないんだ。聖戦期間中は、朝に一度鐘が鳴る。それは、聖戦開始の鐘。そして、夕方にもう一度鐘が鳴る。それは今日の聖戦が終了する鐘。聖戦はその二つの鐘の間の時間に行われる。何故そうなったのかは、よく分からないんだけどね。多分、これもお互いが全滅しないためなんじゃあないかな。しかも、終了の鐘が鳴った後に争いを起こした者は、重い罰を受ける。これは天使軍も悪魔軍も共通した決まりらしいよ」

 「ってなると、善も悪も永遠に存在し続けるなら、何で聖戦なんてやるんだよって感じなんだけどさ」ライジアはそう話す。私もそれには同感した。

「ライジアも戦場で戦うのですか? ライジアは研究員ですよね?」

「えーっとね、戦場で研究ってことになりそう。天使と出くわしたら戦闘になるかな。本当に嫌なんだけどさ、聖戦の開戦はサタン様からの命令らしいから、動かないわけにはいかないんだ。……ごめんね」

 謝る彼に、私は首を横に振る。

「仕方ないです、私だって主様には逆らえませんから」

「……ねぇ、ドロイア」

 ライジアは私の手を取った。私は突然のことに少し驚く。彼は真剣な眼差しを私に向けた。

「俺……聖戦期間中も、ドロイアに会いたい。終了の鐘が鳴った一時間後……いつもの場所で。俺、待ってるから」

 そう言い、私の手を取った逆の手の小指を出した。

「約束……しよう?」

 私はゆっくり頷いて、ライジアの小指に己の小指を絡ませた。

「約束です。……消えたりしないでくださいね?」

「当たり前だろう? 俺は消えたりしないさ。消えたら…ドロイアと会えなくなるからね」

 小指から伝わる彼の熱が、とても温かかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ