思った以上に相手が強かったから一旦家に帰りの会
「オッス、那珂川」
「チース。あれ? 先輩どうしたんスか?」
帰り道。
学生鞄を引きずって、河川敷をぶらぶらと歩いていた那珂川が、不思議そうに後ろを振り返った。
「さっき”怪人テキダー”を倒しに出動したんじゃ?」
「いや、それがよ」
那珂川が、後ろから走ってきた”グリーン先輩”をジロジロと眺めた。
放課後、突然現れた先輩は何とも変わり果てた姿になっていた。先輩はお決まりの、緑の戦隊スーツを身につけてはいたものの、まるで激しい爆発にでも巻き込まれたかのように端からビリビリに破けていた。髪は振り乱れ、露わになった肌からは、擦り剥いた傷や生々しい出血跡が見え隠れしている。那珂川は思わず顔をしかめた。
「どうしたんスか、それ?」
「思った以上に……思った以上に相手が強くてよ。一旦家に帰ることにした」
「ぁー……」
ゼエゼエと息を切らす一年上の先輩に、那珂川は喉から曖昧な音を出した。
「ったくよォ、やってらんねえよ。何であんなに強いンだよ、”怪人テキダー”」
「そんなに強かったンすか?」
先輩はそのまま倒れこむようにして草むらにへたり込んだ。那珂川は近くにあった自販機からポカリを買って、地べたにひれ伏す先輩に投げてよこした。昼下がりの太陽が、二人を遠くに見える赤い橋の向こうから照らしていた。那珂川は橋の上を鈍行列車が走っていくのをぼんやりと眺めた。
「強いってモンじゃねえよ。だって俺一人だったんだよ」
先輩が疲れた顔をして口を尖らせた。
「え? 他のヒーロー達は?」
「レッドとブルーは盆休みで実家に帰っててよ。イエローは彼女とデートとか言いやがるし、ブラックはバイトの掛け持ちだってさ。メンバー揃ってねえのに、暴れ出すなってんだよ。ったく」
「マジすか? ヤバいっスね」
「俺も一応、頑張ってはみたんだよ」
那珂川は先輩の隣に座り込んだ。道の向こうから同じ高校の生徒が数人、ペチャクチャ喋りながら自転車でやって来て、二人のそばを通り過ぎて行った。
「ホラ、あるじゃん。俺とレッドとイエローの合体技。”信号機アタック”」
「ありますね」
「俺がレッドを後ろから支えて、イエローがさらに俺を後ろから支えて」
「はい。レッドさんが自分を大砲の弾に見立てて、”せーの”の合図でぶっ飛んでいくヤツっスよね」
「あれ、一人でやってみた」
「え?」
「だってしょうがねえだろ。俺一人しか集まってないんだから」
「どうなりました?」
「不発だよ、不発。だって三人の合体技を、無理やり一人でやってンだもん。まぁ、分かってたけどな。元々この技自体、弱いんじゃないかって俺はずっと思ってた」
「えぇぇ……それで、”テキダー”はその時どうしたんスか?」
「何にも。フツーに俺に殴りかかってきたよ」
先輩がブツブツと恨み節を呟きながら、那珂川に自分の側頭部にできた巨大なたんこぶを見せてきた。
「うわあ……こりゃまた派手にやられましたね」
「で、”テキダー”の野郎がよ、構わず俺に馬乗りになって殴り続けてくるから、俺思わず”タンマ、タンマ!”って」
「え? 待ってくれたんスか?」
「ああ。”卑怯だろ”って。”俺今日メンバー足りなくて一人で戦ってんのに、そっちがいつも通りなのは不公平だろ”って」
「そしたら?」
「そしたら、”テキダー”もまぁ分かってくれたのかな。殴る手が一瞬止まったから、”俺、ちょっと今から新武器取りに帰るから、そこで待ってろ”って叫んで」
「新武器?」
「馬鹿野郎、嘘だよ。ンで、逃げてきたってわけ」
「ぁー……」
那珂川が喉から曖昧な音を出した。先輩がガックリと肩を落とした。
「ちょっと一回マジで帰らねえと。戦力差ありすぎ。対策練らねえと、一人じゃ倒せねえよあんなモン」
「そりゃキツイっスねぇ……仕方ないっス、そんな時もありまスよ」
「俺も、いつも五人で組んでやってたからさ……”こんなに”だとは思わなかったわ」
先輩が顔の前でグーンと両手を伸ばして見せた。那珂川は、目の前に広がる川のほとりでぽちゃんと小魚が跳ねるのをぼんやりと眺めていた。ランドセルを背負った小学生の集団が、今度は自転車とは逆方向から走り抜けて行った。今時の小学生のランドセルは赤や黒だけじゃなく、青や黄色、それに緑など、たくさんの個性的な色彩で溢れていた。
「でも……ちょっと残念だなぁ」
「ン?」
「俺、やっぱり昔から先輩に憧れてたんスよ」
「なんだよ、いきなり」
「街で憂さ晴らしに暴れる怪人とかに、果敢に立ち向かって行って戦ってる先輩たちに」
「……ッってもよぉ」
「それは」
那珂川が先輩の目を覗き込んだ。
「それは、”勝てる”とか”勝てない”とか、”強い”とか”弱い”とかの話じゃなくて……”立ち向かってるんだ”ってことに」
「なんだよそりゃ……」
「正直、先輩たちが負けた顔もたくさん見てきました。怪人にやられて悔しい思いをして、影で泣いていることも知ってます」
「…………」
「でも、次の日にはまた出動要請があって、それでヒーローたちは街に繰り出して……」
「…………」
「…………」
「……ッ」
「…………」
「……あーもう! 分かった、分かったよ!」
先輩が那珂川から目を逸らし、勢いよく立ち上がった。
「行きゃいいんだろ、もう一回! でも知らねえからな、俺負けても知らねえから! 強えんだよ、アイツ。マジで思ってた以上に強えから」
「先輩、どこ行くんスか?」
「ッセーな! ついてくんじゃネーよ! 来たらブン殴るぞ!!」
「ええぇ……痛ッ」
先輩は那珂川に飲み終わったポカリを投げ捨てて、元来た道を駆け抜けて行った。
「先輩……」
那珂川はしばらく道の端に立ち、ぼんやりと遠ざかるグリーン先輩の背中を眺めていた。
「あれっ? 那珂川じゃん。こんなとこで何やってんの?」
すると、彼の後ろから不意に声がかけられた。那珂川が振り向くと、そこには”怪人テキダー”が立っていた。”テキダー”はいつもの、お決まりの黒いスーツに身を包んでいたが、その四肢は痛々しいほどのアザを作っていた。那珂川は首をひねった。
「チース。テキダー先輩こそ、こんなところでどうしたんスか? こないだのテストで赤点取ったんで、街で暴れてるって聞いてましたけど」
「それがよ、聞いてくれよ」
”テキダー”は疲れた顔で那珂川の前に座り込み、深くため息をついた。
「アイツら、ヤベーんだよ。グリーン倒したと思ったら、”遅れて来た”とか言って他の四人も集まって来てさ。思った以上に相手が強くて、俺、一旦家に帰ることにしたんだ」