中世ヨーロッパ風な貴族階級の説明が難しすぎる件
高田の人の一番好きな爵位は辺境伯です。
この辺境伯ですが、起源をさかのぼるとローマ帝国時代の地方長官に辿り着きます。
ローマ帝国と蛮族の間に立って戦うバリバリの戦闘民族です。
ジャパンのEDO時代で例えるなら、毛利家とか島津家とか伊達家のことです。
辺境伯は中央がアホを抜かすと、謀反したり、独立したり、やりたい放題です。
さて、貴族の社会にはだいたい七つか八つの爵位があります。
偉いほうから順に、王、公爵、侯爵、辺境伯、伯爵、子爵、男爵の七つです。
この下にも勲功爵やら騎士爵があるのでーすーがー、こいつらは名誉貴族です。
男爵以上の領地を持った貴族にぶら下がってる立場で、貴族というよりも貴族の家来に近いところがあります。
あるいは、公務員です。地方公務員とか、国家公務員とか、仕える相手はまちまちですが、基本的には一代限りの名誉貴族になります。
お偉いさんに気に入られると、子供に爵位を譲ることが許されます。
お偉いさんに気に入られないと、明日から平民です。ブラック時代つらたん。
現代でこそ権威あるナイトの称号、サーの称号ですが、当時はバンバン発行されてました。なんでかというと、ローマ時代からの軍隊の基礎単位、百人隊長に相当する爵位だからです。ナイトの数=兵士の数ですから、戦争があるたびにナイトが量産されました。平和になったら解雇されました。ブラック時代つらたん。
基本的に男爵以上が独立した領地をもつ地方領主、つまり本場の貴族となります。
ここからが説明の難しいところになるのですが、貴族の爵位と実力は、わりと関係ありません。宮中序列、王様が目の前に居るときには爵位の順序通りの関係なのですが、王様が居なくなれば腕力がものを言うことになりますから、わりと爵位とか関係ない。
もちろん、腕力があればそれだけ爵位も高くなりそうなものなんですが、爵位なんてものは王様の気分次第というところがありまして、王様と血筋的に近いとお年玉感覚で爵位が与えられたりします。逆に血筋的に中央から遠かったり、中央と仲が悪かったりすると、領地の石高がいくら高くても貴族の爵位は上がらないんですね。
伯爵、子爵、男爵、この三つの爵位は実力と乖離していることが多いんです。
これには貴族の爵位は上りはしても下がりはしないという制度が関係していて、伯爵になった当時はワンパク貴族だったけれども、家は三代で潰れるの法則で、若旦那が爵位を世襲するころには伯爵()の状態になっていたりするんですよ。
そしてこれが困ったことに公爵や侯爵にもあてはまったりしますから、戦闘力=爵位というバトルスカウター的な便利機能を果たしてはくれないんですね。
もちろん宮中序列では爵位の順が優先されますし、責任も負わされますから、実力に見合わない爵位を持っていると貧乏貴族内職物語が始まります。ブラック時代つらたん。
そして唯一、爵位=戦闘力なのが辺境伯です。国境線に領地を構え、国家と国家のあいだに立つ彼らは、まさしく戦闘民族です。彼らはとてもワンパクで、どれくらいワンパクかというと、自国の王様にもケンカ売っちゃうくらいワンパク貴族です。
そしてこのワンパクゆえに貴族社会の説明はさらに困難を極めるのです。
ワンパク貴族の辺境伯は、勝手に公爵を名乗っちゃったりします。公爵を名乗ったあとは、大公という称号を勝手に作っちゃったりします。認めないなら謀反します。独立します。辺境伯領は地獄だぜ。
辺境伯領は自治州に近いもので、辺境伯国と呼ばれることもあります。
日本人の感覚からすると国のトップなんだから王様なんじゃないの? って思うかもしれません。ですがこれは、また出てきたローマ時代の名残で属州総督に相当します。属州総督は軍権と司法を一任された存在で、つまりは結局、その地の王様のことです。
ローマ時代にはローマ帝国がありましたから属州でしたが、中世になると封建社会こと世襲政治になりましたので、辺境伯領は属州ではなくて自治州になるんですね。世代を重ねるごとに中央への帰属意識も薄れていきますから、王への忠誠()状態です。
そんなこんなで、中世ヨーロッパに似た異世界に転生した場合、爵位の解説がものすごく大変になるんです。男爵より弱い伯爵とか、伯爵より弱い公爵とか、わりとザラに存在しますから、爵位=戦闘力として簡単に紹介できないんですよ。
中世ヨーロッパの右のほうと左のほうでも爵位の解釈が異なったりもしますから。
EDO時代みたいに藩主の力を石高表示できたなら、どんなに楽なことかと思う。
ウェスタロス北部総督スターク家200万石とかバトルスカウター方式で、貴族の力を数量化できればなぁ……。 いや、普通に石高表示でも良いんじゃない? 最初は戸惑うかもしれんけど、二度三度でてきたら、そんなもんかと読者諸君も納得するんじゃなかろうか?