田脳世界 ~アナクローム幻想記~ 御山様
よく、お世話になっております。
日が昇る前の山道を歩いた。
山道と言ってもケモノのそれではなく、きちっと舗装され、車だって走れるだけのアスファルトに固められた道。ただ、勾配が少しだけ膝にキツイ。
息が切れ、山の空気を美味しくも感じる。空腹ならなんだって美味いというが、窒息ならどんな空気でも美味いのかもしれない。そんなフレーズを思いついてはクスリと笑い、頭のなかに書き留めた。
普段と違う場所では、考えることも普段と違う。
静かに、眠った世界を起こさないようにして歩く。日が落ちて、夜の静けさが満ちると、風もまた眠りに就くのかもしれない。日が昇る、暁を覚える僅か前には、このときにしかない空気がある。なにか雰囲気のある空気。ズカズカと入っていくのが躊躇われる気配。眠っている赤ちゃんの傍を横切る忍び足。
どこか神社の境内にも似ている。その空気も、その静けさも。
昔々の人々が、山そのものを聖域とした理由を肌に感じる。夜明け前の山に入るのは、なにかいけないことをしている気になる。表現は俗っぽくなるけれど、他所様の家に勝手にあがりこんだような、そんな気になる。
山のそこかしこには歓迎されていない気配があり、そんなときには道を変える。まだ眠ったままの静かな空気を楽しみに来たのであって、喧嘩を売りに来たわけではない。昼間の、空気がすでにざわつきを覚えたなかでは感じられない独特の気配を感じては避けて通る。おかげで歩む道はグニャグニャと歪む。
なぜ、朝方ばかりに感じるのかはよくわからない。
あるいは、昼間過ぎには家主もすっかり目覚めているのかもしれない。朝も早くから他人に叩き起こされるのは私だって嫌だ。街は人のものかもしれないが、山はなにか別のもののように感じる。朝の山に入るのには、多少の礼儀が必要だ。言ってしまえば、他人の家もそうだ。
いわゆる霊感というものに持ち合わせはない。いわゆるスピリチュアルというものに興味もない。それなのに、山のそこかしこに避けるべき雰囲気を感じとるのはただの思い込みか、野生の勘というやつだろう。
社会の中では人は人だが、山の中では人もケモノだ。一人のときは、特にそうだ。
夜明け前の山、歓迎されない空気を感じることはあっても、歓迎された空気を感じることはない。朝も早すぎる時間というのは、人の世でも山の世でも同じなのだろう。夜なら夜、昼間なら昼というもので、きっちりとしない時間帯の来訪者は、誰にも歓迎されないものだ。
深夜の森に歓迎されても、それはそれで困る。そこにあるのはきっと注文の多い料理店に違いない。ヤマネコの店主が大口を開けて待っているに違いない。
そんなふうにして自分を歓迎しない気配を避けながら歩いていると、心は忍びの者に成り切っている。伊賀か甲賀か風魔か、根来衆かもしれない。黒ひげにホッカムリのコソ泥が一番に近いのかもしれないが、そこのところは男心だ。
山も中頃に差し掛かれば、遠くに海が見えるようになる。今日はこの辺りで良いかと思えるところで時間の過ぎるを待つ。
時が経つ。
真一文字の水平線に暁が顔を見せ始める。産まれたての太陽は新鮮な光を放つ。夕方のそれとは何かが違う。その顔はキリッと引き締まっている。ともすれば太陽も日中輝き続けたことで、夕には疲れ果てているのかもしれない。
夕焼けの太陽は、いつも少しだらしのない顔をしている。
朝からだらしのない顔をされても困る。朝一番目の顔は凛々しくあってほしい。その期待に応えるように暁は新鮮な赤。目にすると、こちらの気も引き締まる。山も渋々ながらに目を覚ます。周囲の空気が一変する。
草木も眠るのが丑三つ時なら、風さえも眠る四時も前、それから太陽の光に一斉に叩き起こされる夜明け。なにもかもが一変する、この瞬間が大好きだ。眠ったものが目を覚ます、この瞬間が大好きだ。すこし、底意地が悪いのかもしれない。
私の在るところは山の中腹。あたりにあるものと言えば、木と木と木。あわせれば森。山の天辺には天辺の良さがあるけれど、山の中腹には中腹なりの良さがある。私を囲んだ木の覆いが、陽の光を浴びて目覚め始める。
夜露に濡れた木々の葉っぱと、赤く透き通った太陽の光と、月明かりのしたで風に溜まった芳香族のアレコレが、科学のことは放っておこう。人の言葉にすれば、山が目覚めて森も目覚めた。それから、山風も朝一の呼吸を始める。
山風の一番を捕まえて、肺の奥底にまで取り込むと、空気にも美味いや不味いがあるものだと気付かされる。肺から血へ、血から身体へ、それから心へ、山風の一番吹きが私を巡ると、清められた気がする。
細胞の一つ一つから汚れたものが、と、語ることも無粋に思う。ただただ、清らかな風が私のなかを一つ通り抜けていく。それは心地の良い風で、わざわざ注釈をつけるまでもない。透明な風が入って、それから抜けて、出ていった。
二度、三度と、ただ空気を食むだけの時間が過ぎてゆく。
味わうことだけに意識を向けると、頭のなかでざわついていたあれこれが息を潜める。それこそ空気を読んだのかもしれない。透明な山風のなかでは、考えるべきこともない。ただひたすらに、透明に、自分という色が、消える。
どれくらい、そうしていたのかは解らない。時を計ったこともない。日によって違うのだと思う。自分の具合や山の具合、天気の具合で変わるのだろう。ふと、これで良いという瞬間があって、そこで終わる。
その頃になると、山のそこかしこにあった歓迎されない気配が消えている。解釈は色々。自分が山にとっての異物でなくなったのかもしれない。太陽を覚えて家主が目覚めたのかもしれない。暗がりを怖れる心が消えたのかもしれない。
どうでも良いことだ。
山の中頃まで来ておきながら、天辺まで登りきらないのも締まりがない。山道を上に向かって足を進める。あれだけ空気を食んだというのに、息はすぐに切れた。
言葉にしてみたけど、やっぱり言葉にならない。本コワとかだと、俺は嫌な気配を感じた、だけど好奇心に負けて~とかなるんだろうけど、いや、近寄れないから、怖くて。吼える野犬とか居たら怖いじゃない。肝試しとか絶対いかないよ。