田脳世界 ~アナクローム幻想記~ 凍える炎
口直し
雨の日は憂鬱を思わせる。
昔の女が雨の雫を好きだと言った。だから今の私は雨の雫に憂鬱を見る。なんて過去は存在しないのだが、湿気はあまり好きではない。窓を開けられなければ空気が重く感じられる。わずかでも換気のあるなしでやっぱり違うものだ。
カラカラの乾燥した空気。夏の通り雨ならば、雨雲の一行が空を横切るのを窓を開いて待つのも良い。障子に指先で穴を開けたほどの細い隙間からの風が心地よくも感じられる。
ただ、ここのところは通り雨もゲリラ扱いされるほどに雨脚が強い。それに纏う風も強い。隙間風ときたらびゅうびゅうと、なにやら恐ろしげな唸り声をあげることも多い。これではあまり好きにもなれない。
身勝手なものだが、程度の話になるのだろう。なにごとも適度というものがある。ただ、その最適は人それぞれになるものだから、世の中はクーラーの温度一つで揉め事にもなる。28度が最適と誰が決めた。私は18度が大好きだ。
設定温度が28なら実際の温度は29、30。そこに夏の東京の平均湿度70%を掛け算すれば、出てくる数字は不快指数にして80となる。
世界標準では、百人のうち百人が不快を訴える数値であるらしい。だが、エアコンの温度は28度が最適だと日の丸の大将が仰った。
これがクールなビジネスだと聞いたときには、こいつら頭をどうかしたのかとさえ思った。半袖のスーツを持ち出したときには確信した。
一度広まった28という数字は一人歩きを始めて、こんどは電気代がどうの、環境がどうのと学者先生が口を揃えて語りだした。こうなれば誰にも止められない。テレビというのはここのところが恐ろしい。お金や環境の話が先に立つと、実際のところの快や不快はどうでもよくなるようだ。
本当は不快極まる温度設定なんですよ、と、口にする先生はついぞ見なかった。家計であるとか、環境問題であるとか、錦の御旗が向こうにあると分が悪い。見えた負け戦に挑むのも馬鹿馬鹿しい話でもある。
学者としての気骨も大事だが、旦那としての家計も大事だ。
その後、熱中症対策の飴などが流行り出して、やっぱりな、と私は頷いた。
屋外は暑く汗が流れ、屋内が不快であるなら、それは熱中症になりもする。
東京の平均湿度を70%と書いたが、これは外のことだ。部屋のなかに人間が籠もれば天然の加湿器にもなる。それは天然の暖房にもなる。実際のところの不快指数は80に留まることもないだろう。
けれどもエアコンの温度は28と決まっているのだ。
黙って従い汗を掻き、自らの体液で不快指数を上げ続けろとの社命である。職場が美女揃いならばそれも良いのだろうけど、そうではないか、その対極であるかが常なので、他の意味でも不快指数は跳ね上がるばかりだ。
汗を掻けば湿度があがる。湿度があがれば不快に感じる。不快になれば汗を掻く。デフレではないが負のスパイラルがそこにはあった。エアコンなどいっそ切ってしまい、窓を開けた方がまだマシなのではないかという次第である。
不快指数とは温度と湿度の掛け算で決まるのだ。換気さえすれば、気温は上がっても湿度は下がる。なら、換気して不快指数が下がることだってあるだろう。
そんな頃に出会ったのがメンソール、化学の言葉でLメントールだった。
メンソレータムを塗るとスーッとする。それは子供の頃の想い出で、大人になってまで塗るものでもなかった。ただ、メンソレータムのメンソの名が、何処から来ているのか大人になり知った。
それは煙草飲みが教えてくれたことだ。私は煙草を吸わない。だから、メンソールの煙草と、そうでない煙草の違いがわからなかった。なにがどう違うのか尋ねると、ハッカのようにスーッとするらしい。それじゃあとサクマドロップのハッカを喰わせようとすると、それは嫌らしい。あの白い飴の子のことは常々不憫に思う。
そのころからインターネットは隆盛を迎えていたから、あとの調べは早かった。私の家族の写真です。なんて微笑ましいWEBページが残っていたりもした時代でもあった。インターネットでも時代の節目の頃である。
メンソールの煙草からハッカに辿り着き、ハッカからハッカ油に辿り着き、ハッカ油から有効成分のLメントールに辿り着いた。これを肌に塗り付けると、皮膚の温冷感を司る神経が誤作動を起こして寒気がするということだった。
そういうわけで、メントールを溶かしたお酒を腕に垂らして摺り込んで、死ぬかと思った。寒いを超えて、痛い。痛いを超えて、わからない。メンソレータムさんは、ずいぶんと希釈され、かなり手加減をしてくれていたらしい。
そして小学校以来となる理科の時間が始まった。
メントール結晶のグラム数を量り、それを溶かすアルコール溶媒のミリリットルを量り、ときには飲みつつ、二倍希釈、四倍希釈と薄めながら刷毛を使って己が身に塗り付けては効果を試した。
他人には見せられない恰好であったことだけは、状況描写として伝えておこう。
大河に一滴とまでは言わないが、浴槽に二、三欠片が最適な量だと判明した頃には日が暮れていた。それから、精神もボロボロだった。思えば、薬というものはミリグラム単位で扱うもの。グラム単位の千分の一で扱うものだった。
それから湯船に浸かり、上がり、爽快な極寒地獄を味わった。その適量も鈍感な皮膚であったから適量であったのであり、粘膜などの敏感な部分にとってはまだまだ濃すぎた。どことは言わないが、首より下の粘膜部が、大変な思いをした。
以来、なんぞ楽しくなってきた。
必要は発明の母というが、不要は発明の父である。男と言うのは意味のないことにばかり情熱を捧げるところがある。少なくとも、私はそうだった。
皮膚に寒いと誤解させるものがあるのなら、皮膚に暑いと誤解させるものもあるだろう。探してみれば、これは簡単だった。鷹の爪なりショウガである。そのまま肌に摺り込むのも難しいからと、ホワイトリカーに漬けたなら美味しかった。
目指したものと手にしたものが違うことは、ままあるものだ。
ただ浸しても、なかなかその成分が抜けることはなく、ホワイトリカーをレッドに染めるのには一週間ほどの時間がかかった。こうなると実験には向かない。人体実験を行うには、多くの試薬が必要だった。
あれは、モーツァルトの音楽を聞かせると酒の熟成が進むとかいう話だったと思う。一見、笑い飛ばした。二見、思い直した。三見、閃いた。物の溶けるの道理を思い出せば、あとは早いものだった。
話は飛ぶが、キャビテーションという用語がある。水をクルクルと勢いよく掻きまわすと、水の中で泡が生まれる現象のことだ。船舶のスクリューが水を掻きまわすと、空気があるわけでもないのに泡が生まれ、そして弾ける。そうして弾けた泡の衝撃波は小さくとも強く、ときにはチタン構造にさえミクロの傷をつける。
衝撃波とは振動であり、つまるところ音だ。超音波だ。
眼鏡洗浄機の上のコップは微細でありながら素早い振動の波にさらされた。ホワイトリカーのなかに溶けこんだ空気が、一瞬生まれる真空の負圧に形を成して浮かんでは消える。こうしてホワイトリカーのなかに余白ができた。鷹の爪と水の分子が何度も何度も衝突を繰り返すと、赤の色素がホワイトリカーをレッドに染めた。
そうしてまた刷毛を片手に人体実験を繰り返した。痛かった。涙が出るほど痛かった。皮膚に浸透するまで時間がかかるのか、塗ってすぐは何も起こらない。ただ、暫くすると焼けたような痛みが走る。そして、これが一番厄介なことに、浸透したものは水に浸してもお湯にさらしても、洗い流せるものではなかった。
ワイシャツに跳ねた、カレーうどんの汁のようなものである。
これも適量を見つけだすまでに、多くの私の犠牲があった。私の命が残機制であったなら危なかった。そうして温感を刺激する真っ赤な薬液を手にした。もちろん、ホッカイロの方が便利で暖かいことなど重々承知の上である。
こうして出来上がると疑問が生じる。
何でも貫く矛と、何でも防ぐ盾。矛盾が生じた。冷たく感じる薬液と、熱く感じる薬液を一緒にしたならどっちが勝つか、矛盾というテレビ番組が始まる以前に私の家の風呂場で対決が行なわれた。
極北から訪れし女帝、透明のなかに確かな冷酷を感じさせるメントール液。真っ赤な色は紅蓮の炎、地獄の底からやってきたカプサイシン液。当時、暴君ハバネロというお菓子が流行っていた記憶がある。冷酷メントールが流行る日はそのうちくるのだろうか。
対決の結果と言えば、引き分けではなかった。両方が勝利して、私が負けた。残機が一つ減った。人間の暖かいを感じる神経と、寒いを感じる神経は独立したものであり、舌の上の甘味と酸味の関係だった。打ち消しあわなかったのだ。
熱くて寒い。焼けるように凍える。厨二用語であるところの、凍てつく炎の完成だった。相手は死ぬ。私も死ぬ。人間の脳は、同じ個所が熱くて寒いという矛盾に対応できるようには出来ていなかったらしい。鳥肌が立つほどに暑い。もう、わけがわからない、というのが感想である。決して心地よいものではなかった。
こうして完成した禁忌の果実は、渦巻き型の蚊取り線香と出会うことでケミカル兵器としての完成を迎える。人間、なんでも試してみるものだ。暑さ寒さを感じる生き物であれば、あの日の私のようにパニック状態に陥る。
これは想定していなかった効果なのだけれども、多くの虫にも良く効いた。虫の身体にも暑さ寒さを感じる神経があるのか、それとも頭の触覚であるとかにメントールやカプサイシンが触れるのかもしれない。
一つ難があるとすれば、当時はテロだとかに厳しく、異臭騒ぎにはピーポくんが良く顔を出した時期でもあった。集合住宅にはあまり向かない。濃い煙は、人の目だとか鼻だとか、肺の中まで染み渡り、うっかりすると私の残機がまた減った。
環境省のお役人も、クーラーの温度は28度とクールビズを推奨した結果、個人がケミカル兵器を生みだすとは思いもよらなかっただろう。適量のメントールに、適量のエタノール、適量の湯冷ましの水で造られる制汗スプレーは、いつのまにやら副産物に成り下がっていた。男心にあまり面白くないものだったからだ。
皮膚の温点と冷点の経絡秘孔を同時に刺激する凍える炎は面白いが、吹きかける相手が居なくては詰まらない。自分に吹きかけるのは御免被る。吹きかけた後で笑い話にできなければ、あまり楽しいものでもない。
今では、ときおり我が家に訪れるネズミやゴキブリの御一行を出迎えるために用意するばかりだ。
クールビズから政府は半袖のスーツを作り、私は自然にやさしいケミカル兵器を作った。それだけの話である。
湿気の多い雨の日は、清涼感を得るため私はよくメントールの液に頼る。ただそれだけの長話である。
蚊取り線香のケミカル兵器、作中ではわりと簡単に作ってますが、手間も暇もかかります。そこらをジックリ描いても楽しい描写にはならないため省いた部分も多々あります。お隣の人がピーポくんを呼んだところとか。
凍える炎、バーニングコキュートス誕生の経緯、昔々のプロジェクトX。若いって、馬鹿だな。




