暗黒よりもおぞましき白
幼稚園は良かった。好きなものを描きなさいと真白な画用紙が一枚。
その中には自分の思い通りになる自由があった。確かにあった。
小学校も良いものだった。自由帳はジャポニカの心遣いだ。
学校は、子供達のなかに自由な創造を求める心があるのだと認めていた。
ただ、高学年になるにつれ自由帳の出番は失せて、子供っぽいと否定されるまでにいたる。
中学は絶望。高校はさらなる絶望。
新しい公式を生み出すことは、許されなかった。
キミの考えていることなんて、もうとっくの昔に誰かが通り過ぎたことなんだ。
だから、先人の道を歩みなさい。さぁ早く、もっと早く、この道を歩まないと皆に置いていかれるぞ?
大学はその延長線。
そして最後に渡されるのは、卒業論文という真白な画用紙。
好きなことを書いて良いんだよ?
でも先生? 好きなものを描くのは幼稚園以来なんです。
自由はあった。
選択の自由があった。
大人達が選んだ効率的な選択肢、その中から一つを選ぶ自由。
自由はなかった。
創造の自由がなかった。
大人達は中途半端な子供盛りの創造の自由を一言で表す。非効率。
効率的に生きなさい。非効率は罪悪です。
そして手渡された一枚の画用紙を前にして、固まる。
そして手渡された一枚の画用紙を前にして、思いつく。
そうだ、効率的に埋めていこう。世の中にはインターネットがあったんだ。
切って貼って、切って貼って、これで画用紙が埋まったぞと卒業論文を手渡しにいく。
なぜそんな事をするの?
効率的だからさ。
なぜそれが効率的なの?
時間も掛からないし、評価もされるからね。
それで良いと思ってるの?
ごめん、何が悪いのかさっぱり解らないよ。ボクはただ効率的に生きただけさ。
絵は、才能に恵まれた一部の人間が描けば良い。効率的だ。
音楽は、才能に恵まれた一部の人間が奏でれば良い。効率的だ。
スポーツは、口にするのも非効率だね。
効率、効率、また効率。非効率なんて選んでる暇なんか無いんだよ。
創造だって、創作だって、認められる事が効率的で、認められない事は非効率なんだよ。
――そのうち飽きた。効率に飽きた。非効率がとても新鮮だ。
金にもならぬ。ろくにもならぬ。その上、人生のためにならぬことをしようじゃないか。
時間は有限。寿命も有限。それでも、人生のためにならぬことをしようじゃないか。
よし、描こう! ――あ、やっぱり絵の才能はないみたい。ボクの目は乱視入ってるしね。
じゃあ書こう! そうやって歩き始めた一歩二歩、未だに効率の鎖を引き摺りながら。
幼稚園は良かった。
真白な画用紙一杯に、はみ出すほどに出鱈目に、顔から手が出るお母さん。どんな怪物だ。
なぜ描くの?
たのしいから!
でも、効率は?
こうりつってなに?
あ、ごめんごめん、効率って漢字を習うのは小学校に上がってからだったね。
はやく小学生になりたい?
うん!
どうして?
たのしそうだから!
――そうでも無いよ。とは、子供の前では言えないよなぁ……。
実際に今、私はジャポニカの自由帳を前にして固まっている。
子供の頃ならなんとでも埋められた、たったB5の紙を前にして一歩も歩もうとしない。
自由帳を前に、膝を屈して一歩も歩めぬ、それが今の惨めな私の姿なのだ。――椅子に座ってるからなぁ。