坂東蛍子、ほこりに思う
ホコリはどこから来るんだろう、と蛍子は思った。
部屋に戻ってゴロゴロしたり、文机の前でシャーペンを顎につけたり――そんなふとした拍子にそいつに気づき、「このまえ掃除したはずなのに」と思うことが蛍子には何度もあった。取っても掃いても、あんまりしつこく現れるものだから、部屋中をひっくり返してホコリのためだけに大掃除したことなどもあった。奴らはあらゆるところにいた。普段目に入らないようなところ、例えばハンガーの上とか、背もたれの裏とかに息を潜め隠れているのだ。膝より下の高さに隠れられると一々しゃがまなくてはならず、大変だったのを覚えている。そうまでしてホコリを一掃したのに、しかし数日も経てば奴ら、もううっすらと積もっているのだ。だから坂東蛍子は強く思うのである。ホコリはどこから来るんだろう、と。
もしかしたらホコリは自分たちのあずかり知らぬ高尚な存在なのかもしれない。神様のため息が街に降りつもったものなのかもしれないし、あるいは幽霊の一種で、魂か何かが地上を通過したときの残りカスなのかもしれない。そんな風に、つまり空から降ってくる雪のように、何もないところから現れたかのような現象でないと、彼らホコリの存在には説明がつかない。そう蛍子は思った。十七歳の夏現在、彼女がホコリに感じるものはまさに畏敬という言葉がぴったり当てはまる。
で、結局のところ、ホコリはどこから来るんだろう。
学校生活も完了間近の放課後の掃除時に、そんな思いが彼女の中で再び燃え上がった。しかしこの謎は自分で決着つけようがない。どんなに考えたってわからないものはわからない。そういう風に世界は出来ている。
そこで少女は友人に質問してみることにした。
「え?ほこり?」
流律子は生徒会に所属する絵に描いたような真面目な生徒である。蛍子とはクラスが違うのだが、今日の掃除場所がたまたま隣り合わせの廊下であったため、こうして顔を突き合わせている。真面目な彼女ならばきっと自分の質問に真面目に答えてくれるに違いない。蛍子は期待の眼差しで律子を見返し、律子も律子でまんざらではないことを胸の張り具合で示した。
流律子が語り出す。
「そうねえ・・・やっぱり、自分の中の――」
「自分の中!?」
ぎょっとする律子を置いて、蛍子はアイデアに膝をうち顔を明るくした。
そうか、自分の中。それは盲点だった。確かに自分の内部から出ているのだとしたら閉め切られた生活空間にホコリが生まれるのにも説明がつくし、私の形而上学的推理からも外れないじゃない!どうしてこれを思いつかなかったんだろう!
坂東蛍子は目を輝かせる。
そんな彼女を見ながら、律子は改めて言葉を続けた。
「コホン。自分の中の、譲れない部分から来るんじゃないかしら」
「譲れない部分?」
蛍子は首を傾げた。今の言葉をどう解釈したら良いものか、と悩みを抱いた。
しかしそれにもすぐに仮説が追いついた。譲れない部分、とはつまり、つい熱くなってしまう部分、ということだ。もしかしたら人は感情が高ぶって体温が高まると、その「熱」から何かを生み出すのかもしれない。現に体温が上がると汗腺から汗がにじみ出る、という現象は実在するのだ。だったらホコリ腺からホコリが生まれる可能性というのもゼロではない。むしろ人体からホコリが出る場合、熱くなると分泌されるというのは理にかなっているように思われる。
「たしかに、そうかも」と蛍子は言った。
「でしょ」と律子が言った。
「じゃあさ、仮にそうだとしたらさ。ホコリってどう扱ったら良いのかな」
ここで少女の中に一つの疑問が生まれていた。それは「分泌物であるホコリを捨てて良いものなのか」ということだ。たとえば垢だって、体を守ってくれている側面があったりする。正直ホコリは鬱陶しいけど、でも完全に捨てきっちゃって良いものなのかな。私の熱い感情の余熱だっていうなら、空っぽにするのもちょっと違う気がする。蛍子はそんなことを思った。
「コントロールは難しいんじゃない?」と律子は言った。「自尊心と深く関わる問題だし、ありすぎてもなさすぎても良くないというか」
「うーん、でも、邪魔は邪魔でしょ?」と蛍子が腕を組む。流律子も軽い同意を示した。
「私はさ、掃いて捨てるだけの方が気楽で良いなと思うんだ」
「・・・そうね。それに執着しすぎるのは私の悪い癖だとは思ってる」
「やっぱり人目につく部分は綺麗にしちゃった方が良いよね。掃除機で、ガーって」
「ふふ。変なたとえ」と生徒会書記が笑う。「ほこりは吐いたら捨てる。それが一番良いのかも。それに本当のほこりは隠したって目に見えるものだしね」
「え?そうなの?」
それは困るな、と蛍子は思った。
「ええ。本当のというか、立派なほこり?ううん、これもちょっとニュアンス違うかも」
どうやらホコリには本物と偽物があるらしい。立派なホコリについては記憶にあった。立派なやつはカーテンレールの上なんかにあるのだ。
「でも、貴方の口からそんな言葉が出るとは思わなかったわ」と律子が言った。
「そうかな」
「ええ。だって蛍子はすごくプライド高いじゃない」
「え?プライド高いのは関係なくない?」
「?」
「二人共、仲が良いのはとても良いことですね」
いつの間にか隣に担任教師の財部花梨が立っていた。二人に向かってにっこり笑んでいる。
「そんなに仲が良いのでしたら、理科準備室の掃除もお願いできるかしら」
どうやら掃除をサボって会話していた罰をやらされるということらしい。放課後のチャイムを聞きながら、二人の少女は肩を落として廊下を進んだ。「ほこりに囚われたばっかりに」と律子がこぼし、「まったくね」と蛍子が愚痴を返す。二人の優等生は居残り掃除という不名誉に、それなりにプライドを傷つけられていた。
さあ、はいて捨てる時間だ。
【流律子前回登場回】
出題する――http://ncode.syosetu.com/n3028cw/
【財部花梨前回登場回】
卵を割る――http://ncode.syosetu.com/n2271dh/