執事様、名前で呼んでもいいですか?
門の横でぼんやり景色を眺めていた執事様は、私の姿に気がついて振り返りました。
「シエル」
その姿を見て、私は目を丸くしました。
飾り気のないシャツにジャケット、かっちりしたスラックス。髪は普段通りきっちり分けられています。
……休みの日もそんな格好をして、肩が凝ったりしないんでしょうか。
呆れながら執事様の横に並びます。
「服、それ以外にないんですか」
「服? 同じものを何着か持っていますが」
「……」
うん。まずは服を買いに行きましょうか。
不可解な顔で首を捻っている執事様と歩き出します。
今日は約束の買い物の日です。
幸か不幸か天気は気持ちのいい秋晴れ。歩き回るにはもってこいの気候です。
「どこか行きたい店はありますか」
「特には……」
「買い物は普段どうしてるんですか」
「店に行って、同じものをくださいと言います」
執事様……その買い物って楽しいんですか。
思わずじとっとした目で見ていると、執事様は
「住むところも食事もあるので、不便は感じません」
と言い訳する。
確かにうちのお屋敷は賄いがあるので、食べるには困らないでしょうが。
見たことのない執事様の自室の殺風景な様子がありありと思い浮かんで、私は深々と溜め息をつきました。
無駄遣いをしないというのは美徳かもしれませんが、あまりに無駄がなさすぎます。
「まずはこっちです」
私は執事様を服屋に引っ張って行きました。
執事様は困惑顔です。
「服なら持っていますが……」
やかましい。いつ会っても同じ格好の男性が、女性に好まれるはずないでしょうが。
「こんにちは」
「あら、シエル。久しぶり」
顔馴染みの服屋の奥さんが、私の隣を見ておやっという表情をします。
「珍しい組み合わせね」
「今日はこの人の服を買いに来たんです」
ずいっと執事様を前へ押し出した私は、奥さんに予算を告げました。
「この人に似合う服を見繕ってください。地味すぎないやつ」
「あらあら、どうしたの?」
「この人、この服しか持ってないんです」
「それは良くないわね……」
奥さんの目がキラリと輝きました。商売人の顔です。
迎え撃つ私もニヤリと笑いました。
一度裏に消えた奥さんは、店主の旦那さんを連れて戻ってきました。腕には大量の服を抱えています。
「こんなのはどうかしら」
「いいですね!」
「背が高いから服が映えるわ。選び甲斐があっていいわね」
執事様を試着室に押し込みます。
次から次へと着替えさせ、奥さんとああでもないこうでもないと盛り上がります。
今まで気がつかなかったけれど、執事様は結構見映えがいいと思います。
今までいかに勿体ないことをしていたかが分かりますね!
最終的に、3着ほどの組み合わせを選んで購入しました。
財布を取り出しながら、心なしかげっそりした執事様が聞いてきます。
「……シエル。貴方は普段からこんな買い物をしているんですか」
「いつもじゃありませんよ、お金もないし」
いやー楽しかったですね!
こんなに思いっきり買い物ができる機会って、そうはありませんよね。
私はうきうきと次の店に向かいます。
「執事様、次から出かけるときはさっき買った服を着てくださいね」
「……分かりました。シエル」
「何ですか」
「それやめませんか」
「それ?」
「名前で呼んでください。仕事外なので」
名前ですか?
私は隣の執事様をまじまじと見つめました。執事様は真顔でした。照れたりしないんですね。
「ユーリウス様?」
「様は要りません。昔みたいに読んでいただいて結構です」
昔、と言っても十年くらい前。
お屋敷に来たばかりの私は、執事様のことを愛称で呼んでいました。
当時は彼も単なる侍従でしたからね。近所のお兄さんに対するのと同じノリで話していました。
立場をわきまえてからは、名前で呼んだことはありませんが。
「ユーリ」
「はい」
「なんだか懐かしいですね」
「……そうですね」
そういえば、執事様は昔から私を名前で呼びますね。
年上ですし上司ですから構いませんが。
少しだけ、昔のことを思い出しました。
お屋敷に来たばかりの頃、一緒に遊んだことがあったなぁなんて。
子供の時の話ですけどね。
当時から執事様は執事様だったことを覚えています。
おかしくなって笑うと、執事様が首をかしげます。
「何でもないですよ」
面倒くさいこの人に、少しくらい付き合ってあげてもいいかなぁなんて。そんなことを思いました。