執事様はご乱心です。
「皆さん、長らくお疲れ様でした」
その日、夕方の締めの会で、従業員一同の前に立った執事様がそう挨拶しました。
ここ最近、忙しくておざなりになっていた締めの会も、今日から再開です。
いち従業員として、私もほっとしています。
平穏な日々、万歳!
殺人的な忙しさよさらば。これで夜も安眠できます。
私の勤めるヴィアイン男爵家において最大の懸案事項。
それがこの日ようやく片付きました。
一人娘であるお嬢様の結婚問題です。
幼い頃から女の子らしいものが大好きで、夢見がちなところのあったお嬢様。
その彼女が恋に落ちたのは、隣国の大貴族の子息様でした。
婚約発表間近な婚約者がいる身空で「好きな人ができちゃった!」と恥ずかしそうに打ち明けられたときは、締め上げてやろうかと思いましたよ、ええ。
その相手がまた、絵に書いたような王子様というやつでして。
高身長高学歴、容姿端麗な優しいお方でした。
初めてお会いした時に、妙に納得してしまいました。さすがはお嬢様の選ぶ人ですね、と。
激しい恋に落ちたとか言うお二人は一気に盛り上がり、お嬢様が家出騒ぎまでする大事になりました。
まあとにかく、一度決めたら譲らない頑固な一面を持つお嬢様が、そんな状態で大人しく親に決められた結婚を受け入れるわけもなく。婚約解消と相成りました。
ですが、貴族の結婚ですから、家同士の話になります。
婚約を解消するまでに、まずひと悶着。
まあ恐ろしい泥仕合でしたとも。
途中で元婚約者様が「実は俺にも心に決めた人が……」などと言ってくれやがりましたので、無意味に長引きました。
それがやっとこ片付いたと思えば、新しい婚約者様のお家問題か巻き起こったり、前の婚約者問題が勃発したりと、トラブル続きでした。
そして諸々の困難を乗り越えて、今日めでたくお二人は婚礼の運びとなったわけです。
ようやく、ようやく! というのが、このお屋敷で働く全従業員の心の声です。
涙涙の大恋愛に振り回されたのは、もちろん私たちです。
話がまとまるまで、まとまってからも、どれだけ走り回ったか!
西に暴走するお嬢様あらば宥めに行き、東に婚約者様の空回りあらば先回りして説得し。
ああ。
語るだけでも涙が出てきそうですよ。
今日送り出したお嬢様は、外交官として我が国に滞在している旦那様と一緒に王都で暮らされます。
残された私たちは、男爵夫妻と、今度後継者としてやって来るお嬢様の従弟様とお屋敷で過ごすことになります。
私たちも一安心というところです。
私以外の皆さんの表情も、心なしか明るいようです。
それは、今前に立っている執事様もそうです。
私たちの失敗を見逃さず、小舅のようにねちねちと指摘するのが得意の執事様。
眼鏡の向こうの眼差しはいつも冷静。即決即断が信条の彼は、混乱の最中も皆さんを統率してきたのです。
「この一年、みんなよく頑張ってくれたと思います。順番に休暇をとるなどして体を休めてください」
執事様の言葉に歓声が起きました。
私も少し驚いています。仕事の鬼である執事様が、こんなことを言うなんて。
この一年、休みなんてほとんど取れませんでしたからね。
真面目な顔で部屋を見渡した執事様は、みんなの反応を見て一つ頷くと、ついでのようにポロっと爆弾を投下しました。
「私も休みを取るので、用がある場合は早めに伝えてください。婚活で不在にします」
はっ??
今なんて? トンカツ??
みんながぽかーんとしている間に、執事様は「今日は以上。お疲れ様でした」と会を締めにかかっています。
言いたいことの終わった執事様は、さっさと立ち去りましたが、私たちは動揺を押さえられませんでした。
くそ真面目、仕事の鬼、その執事様が婚活ですって?
そんな馬鹿な。明日は雪が降りますよ?