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ドブの色
出されたのは一杯のコーヒー。オレがたんに店に入ってきた客で、金をとるためじゃなく、それは、戸外から中にやっとの思いで入った濡鼠な、体の芯まで冷え切っているようなオレだから。淹れたての美味いコーヒーを出すのが彼だったから。惨めな男がこれ以上惨めな思いにならないように、と。見返りのことははなから一切なしで。
一杯のドブ色の液体。オレはなぜか、その始めから終わりまで泥の味しかしない黒い水を、飲み終えてしまう時がくるのを引き延ばしたかった。少しずつゆっくり飲むオレは、期せずして味わっているように見えたらしかった。他人の優しさをきちんと受け取るだけの礼儀ただしさを身につけている人間といったふうに。
目を上げると、彼は同じマグカップを手にしている。部屋の壁に背を預けて立っている。
オレは両手で包んだマグカップから徐々に失わていくものを感じていた。だからオレは目を伏せると視界から何もかも消してみせた。それ以外のやり方なんて、ひとつも思いつけなかった。




