河川敷
河川敷はさびしかった。勇敢な男の子がいなくなると、河川敷なりにさびしかった。
子どもの勇敢さをいつまでも忘れない存在がいるとすれば、勇敢な子どもだった勇敢な市民よりも、勇敢な子どもを持つ勇敢な母親よりも、河川敷のほうだ。
正確に、美化することもなく、河川敷は子どもたちの姿をずっと覚えている。
この話があった日も、さびしがり屋の河川敷はいつかの少年の幻をみていた。そうやって昔を思い出している河川敷に、まるで手を重ねるようにして同じものを見たがっている学校がえりの少年がいつごろからか立っていて、伸びすぎの髪を風に乱れ放題にさせていた。
近所の男子校の少年で、どうやら本格的に道草をすることに決めたようだった。
自転車通学の者たちを避けるように、少し下に来たところで腰をおろす。
静かな夕日を見つめる高校生。
しかし長くはもたない、スマートフォンの震動するのに反応して制服のポケットをさぐるという、そのお馴染みの動作を彼も見せるので河川敷はため息をついて、夕日と戯れる草を撫でた。
河川敷に二人めの高校生が現れた。久しぶりの男子高校生のにおいに、河川敷は困惑した。
二人組のことをよく見てみることにした。
一人は、柔軟性に優れた男子高校生。もう一人は、待っているのが得意な男子だ。
ナイーヴな河川敷には、ナイーヴな一匹の友人がいた。時折の散歩コースに入れてくれているのでそんなときには二ことぐらい会話をする。
そのスピッツにいわせれば、高校に行く人間には己に利益をもたらすかどうかだけしか考えずに相手を見るという。
友の住む家には、今は女子大生の娘がいたはずだ。相当鬱陶しい思い出があるらしい。
けれども、それすらさびしい河川敷には羨ましく感じられた。思い出ぐらい綺麗な物はないのだから。おかえりなさいも、ただいまも、河川敷には味わえない。
すごく待てるタイプの男子のほうは、話しかけもせずに横に座っている。
柔軟な男子のほうは絵を描く少年だった。
河川敷は絵を描く男の子たちにはいつもどぎまぎさせられてきた、半ば重苦しい存在として見ているぐらいだった。しかしこの種の少年たちの特徴的な視線の投げ方やにおいにはすぐに気づく。早くも絵描きの少年のほうに肩入れしていた河川敷は、その横の少年が革靴のかかとでグリグリと削ってくるのでさらに嫌になってくる。
ところが、少年の靴の先から質問が河川敷に染みだしてきたのだった。
いつも遠ざかるものとしてあるのってどんな気分すんの?
少しオレも似てる。
誰とも、じぶんともあんま仲よくない。
すぐ嫌なことから逃げんの。
そんですぐユーチューブな。
ホントたんびでユーチューブ。
やばいんだって癖になってんだってたぶん。
成績下がりすぎだもんホント。
逃げるのはいいんだたぶん。
ただなんで逃げる先が勉強とかに行かないのかなってゆう。
「あーもぉっ」
大の字というほどではなくても、男子高校生が勢い良く仰向けに倒れた。
この、男子高校生の自身の思考に本気でげんなりしてみせるところは連中に特有の悪癖である。
「なに急に」
「あーあ友だちがオナってないかわかる能力ほしいなぁとか」
「怖ぇ。話が見えない」
「不思議パワーがあったらなっつうアレの話じゃん。お前好きじゃんそんなん」
「うーん。わかった、じゃあ二つに割って」
「割るて」
「いや大事そうなとこだけ割って。えーとじゃあ、おれらは友達か。イエスかノーかで」
「友達」
「即答すね」
「青春の、いちページ的な」
「もう止めよう。夕日まぶしってゆう、このシチュエーションだよだって」
「じゃあ今日オナ禁な」
「マジでなんで?」
「じゃあ二つに割って」
「割るて」
「コースケがやるんだったら、じゃあこっちも」
「うん」
「やめようこれ」




