本当のデート
それがそうだということは誰しも理解は容易だった、彼はデートをしていた、正確には一冊の本を持ち歩く青年であるが。
街で彼を見かければ人々はじろじろと見ることにもなった、通りを歩く彼は一人笑い顔を浮かべていた、全開の嘘のない笑い顔。
この5月のあいだに彼は、すっかり街の人々に認知される人物となった。
職場やカフェで、人々の話題にのぼっているあの青年、というのではなかった。
道に立てられた無傷の看板、最寄り駅のごみ箱。そのような、他人とは共有しにくいが当たり前に誰の目にも触れられる存在として、視線の行き交いのなかで、意思の疎通が彼をポイントに可能になっていったのだった。
「鰯雲だねあれは」
笑顔で彼が声に出していっているのを聞いた者。
自転車で二人乗りしているところだった彼に横を追い抜かれた者。
公園のベンチで休憩する彼の前を通ったことがある者。
彼がじぶんのカーディガンを脱いで掛けてやっているところを目にした者。
イヤホンの片方をあげているところを見た者もいる。
強い風に、彼の前髪が乱れ、その本がパラパラと音を立てているのを目にした者。
青年が一冊の、いつも同じ本とデートしている姿を何度か見ているうち、懸念もし始めていた数人の考えはどれも同じだ。
あんなに体裁構わず入れ込んでいる本とのデート、なかの特定の登場人物とのデートなのか何なのかは分からないけれど、とにかくいつも仲睦まじい姿を見た後では、彼が他の本とのデートしているところなどは目にしたくないと確かに思う。
一番の展開は、ずっとあのまま彼があの本と真剣に交際を続けてくれること、ゴールして生活を共にしてくれることが、こちらとしてはすっきりした気分でいられる展開ではあった。しかしもちろん、そこは当人同士の問題で、傍から見ているだけの他人があれこれ気を揉むのは、やはり慎まなくてはならない。




