嗅ぎ出す
五月も第三週になれば、新一年生たちも嗅ぎ出す。
夜半に目を落とすべきうらみを舌を使って描き終え汚れたテーブルクロスを汚れてもいない指で犯した上に大人と約束したことなんて一つとして守る気がない、そういう男子からはいよいよ距離を置こうとし始めている者だけが見せる鼻の動きをあちこちで目にすることができる、そういう頃合いだから。
我々にしてみたってこれは奇妙なことだった、だがじぶんたちの小学校の七不思議を忘れていると気づかされることにもこれは繋がっており、何はともあれこれらは記念すべきフスフス。
ここに至るまでの道で嗅ぐことでどうにかしのいできたといえる男子学生には一人としてお目にかかったことがない、もしかするとこれから先のどんな夏だって、その点についてはずっと変わらないかもしれないという危惧さえ今感じている。他の、何かしらのキノコでも、新一年生たちは上手く代用してみせるかもしれない、そして実際それで通用するのかもしれない。
だいいち、何といってもこれまでずっとそうしてきた。ちゃんと嗅がないと通用しないなんて感じも一度もしなかった。
今も昔も、友人が嗅いでいるのを見て嗅ぎ出す、そんな男子高校生の何と多いことか。
ステイという名のスープの作り方を知らない、初期の段階からどこかしら壊されているチーズみたいなところのある女の子とどうなるべきなのか分からなくなっている彼らなら、嗅ぎ出す。
そうして彼らはただちに理解する、つまるところ仕分け作業なんだと。スイートリフレインなんてあり得ない。
純朴な彼らなら、中学時代からの女友達ともこの時期には距離が生まれ出し、ぼろっちい体育倉庫の扉の前で、なんか、あれ、半分ほどしか開かないな、という状況で、その横顔には何か数年間漂っていたものが消えているのを、その女友達は目の当たりにしていて内心、なんだか男臭くなっちゃったなあこいつもと女友達たちからは思われることにもなっている。そういう頃合いだから。
コマーシャルで耳にした程度のバンドが冬のさなか解散して最後さなぎになりたいと語るのを知り驚くことだって勿論彼らにはできる。そして、じぶんの指の匂いを嗅ぐ。
尊重したいと思う彼らなら、嗅ぎ出す。
はぐれたくない彼らなら、嗅き出す。
合言葉を二人一緒に落としている二人を見かけた時。輸入CDの封を開ける時。集合場所が分からなくなった時。じぶんのためだけに組み上げた魔法を結んでいる時。
壊した指が思いがけない速度というわけではないのだが完璧に修復されているのを見た時。
果てで。
記憶しておきたくて。
尊重したいという思いがどこから湧き上がるのか理解できていなくても。
訳も知らずに嗅ぎ出すのが殆どだった。手助け程度になれば、などというようなあまっちょろい考えで嗅ぎ出す者は実際のところはごく少数である、それでも結局誰もが同じように知っていく。
知りたいのか知りたくないのかと自分に訊ねるようなこともしない。新一年生は嗅ぐ生き物だった。そしていつも、ちゃんと、見ようともしている。




