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自由の姿






 よく、マンガやアニメに詳しい知り合いがいうのが、映像作品においての鳥の扱い方は留意すべきということだ。訣別。解放。成長。自由。ときには、地上に縛られ続け、あくせくと働き、社会という幻想を守ろうとする人類を嘲っていると。そして鳥はシンプルな生き方を象徴すると彼女たちはよくいった。恐らくは自由な心といっていいし、純粋であることといい換えてもいいのだろう。

 僕はそれに同意しない。鳥は空を飛べて、人は飛べない。考えるべき違いはそこのところでしかないように思った。

 人は武器を作れる、手紙を書くことができる、それを届けるための意志を持つことだって。人が遠くまで何かを届けようとするものである以上、鳥の象徴性というか、白く輝く自由の翼みたいな、いつどの時点で植えつけられたのかも判然としないイメージは僕は薄っぺらいと感じていた。撃ち落とされるようなそんなものが自由であっていいはずはなかった。



 フォクシーズのアルバムで、冒頭幼い少女のナレーションが聴こえてくる部分がある。あれも鳥になりたいと願う人の声だった。

 僕はつまり自由の姿と彼女たちが捉えているものでも、幼い夢や希望をそこに見ているんだろう。

 僕は彼女たちがいうようなものはそこに見たくないんだろう。



 僕はもしかすると、安全というものを買い被りすぎなのかもしれなかった。今日、それに思い当たって、今までちらとも頭を掠めもしないでいたことそれ自体に何か意味があるような気がした。

 彼女たちはもしかすると、そこはとっくに通過していた。だから彼女たちがいうような自由の価値を、一切感じ取れなかった時から僕は、それを感じ取れない生き方を続けてきたことこそ留意すべきだったといえる。いい的になるようなものだとしか思えない、自由の本質が存在の終わりと容易に直結するようなものであるとしか僕が今も思えてないとしても、それでも自由を求める心がある、と考えてみる。間違いなく有り様としては、あると思う。そのような心の有り様は状況は想像できなくても、あると思う。

 それを捨てないこと。求める、欲する、ただ必要だから必要だということ。そのための戦いなんだという認識と、見誤らないこと。戦いを止めない覚悟を決めること。誰かの血を見る覚悟、じぶんの血を見る覚悟を。叫ぶこと、お前らが持っているそれをこっちに寄越せと叫ぶこと。



 僕はだからきっと、いつまでも見ないだろう。

 つまりはきっと、彼女たちだから見るのだろう。

 見るのは、いつだって見ることができるのは、夢見る人たちだった。












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