只の夜では終われない
信頼、というのが何なのか彼ら二人はよく理解していた。
雨の夜で、車の中にいて、音楽がかかっていて、次の曲が始まる。ピアノの音だけが鳴っている時に、このアルバムではこれがいちばん好きな曲なんだというようなことを片方の青年が相手にいう。
特に二番のサビの歌詞がいいんだよなあという意味のことを、助手席にいる彼にいってくる。
ちらと運転席の彼の横顔を見れば気に入りの曲のお陰なのか、ご機嫌なドライバーの細い首がすぐ近くに見えることに、改めて例の不安感を彼は感じることになった。
狭い空間と、女性シンガーの歌声。
助手席の彼にすれば、この手の音楽にはカラオケに行く時くらいにしか用はない、思い入れが持てない、日本語で歌う日本人シンガーだというだけの理由で。
その夜、その瞬間、彼にはしかし偶然とはいえ、ちょっとしたことだがいえることがあった。
槇原敬之も同じことをいっていて、カバーまでしている曲なんだよねと、彼にはそういえた。
でも、そんなことをいえばドライバーの青年はご機嫌なドライバーではなくなる可能性があった。
それで済むのならまだいいほう、ひょっとしたら今後この曲に対して、今ほど好感を抱くことができなくなるかもしれない。
じぶんにもそういう類の経験は幾度もある。そのことを助手席の彼は考えた。
槇原敬之がこの曲を以前カバーしていることは、その夜、運転席にいた彼だって承知の上で好きな曲だと名言した可能性もあると考えることはできた。だから、話した相手が槇原敬之がカバーしていることを知っている上でとまでは、しかし名言したのかどうかが定かじゃないのが問題だった。槇原敬之がこの曲を好きだったり、カバーまでしたりしているのを承知しているからといって、槇原敬之がこの曲を好きで、カバーしたこともあったという指摘を他人の口から聞かされても構わないと思っているのかどうかという点までは、分からない、というこの不安に陥っている意味が彼じしんあるのかないのかも不明な不安感。
じぶん一人が分かっていることでも、改めて他者からそれをいってほしいとは思わない事柄というのは確かにある。
以上のことから彼は、助手席でそれまでやっていたことをやることにした。つまり、窓の外を見ている、たまに何か相手がいってくれば眠ってはいないことを示すため短く返事を返す、それくらいのことだけをだ。
そんな、彼らの雨の夜のドライブ。
同じ雨が降る、同じ夜を過ごしてたっていうのに、と彼は先程から何度か思っていたことを今また思っていた。随分とまた違う。違い過ぎる。
彼はストローをいじくり回す。向いの席では友人が不審そうにしている。
昨晩何をしていたのかという、つまり会話ともいえない会話をしていて、でもそれで思いがけずこちらとしては動揺させられていた。
この友人のいい方を真似るんであれば、落ち着きを失う意味があるのかどうかも不明な、というところだ。
でも本当に、昨晩は酷かった。酷いことを、彼は彼女とやっていたのだ。
昨晩の友人たちが座っていたところと、彼じしんと彼女が座っていたところを思い浮かべる。信頼という言葉からはかけ離れたことを、このじぶんがやらなければならなかった道理はなかった。けれど、実際やっていたことといえばそれだった。単純な事実として、そういわないわけにはいかない。
道理の話なんかしたって、彼女の反応は目に見えているけれど。
同じ夜なのに、同学年なのに、全然違う考えで、全然違う行動を人はとる。
それが、彼には可笑しい。
そうしてそれから、間違いなくとても淋しくなっていた。




