僕達は粉々になったものに近付く
二学期。
僕達はいつも粉々になったものに近付く、それが粉々になって壊れていて、その点だけは明白な事実だから、声もなく横たわっているから。大体いつも粉々になったものに近付く僕達になったのには、段取りもきっかけすらもあまりなかった、見たくない気持ちだけはいつもずっとある。だけど分からない、きっとこれはそれほど助けになるようなものでもないと思ってはいるのに、未だに粉々になったものを見つけたらすぐに動いてしまう僕達がいるのが僕達には分からない。瞬きを意識しなくなるのも、雨の音も風の音も、意識しなくなっているのも。分からない、薄目を開けて見ているほうが普段はまだ近づくことができている正しさだし、もっと行くべきだ、なのに僕達はいつも粉々になった者に近付く。僕達は近付く、そこまで行ってうなだれに行くのだ。僕達はいつも決まって同じ形だろう、粉々になった者をただ見つめること、こんなにも何かをじっと見つめ続けるということをしているのは、校内の秩序を乱すなというぐらいの勢いで長い長い時間そこで、そうやって見つめていて、そうやって立ち尽くしていて、うなだれた僕達は実感する、こんなにもノーダメージで何か見つめることができるのって他にはないと。そしてこれが、もっと他のことをやるよりも全然、同情に動かされて何かをやろうとするよりももしかすると悪質で、僕達に芽生えるべきではないものなのかもしれないと。僕達がいる、そう僕達は考えてしまいがちなのだった。しかしおそらくはその思いから僕達は粉々になったものに近付く、あまり躊躇うことなく。僕達が粉々になったものの前にいるとやがてそこに誰か、同級生の中でもとりわけ顔が赤く手を伸ばしさえすれば朝は来るんだと毎日じぶんにいい続けているような類いの女子何が何でも掻き分けて前に出て青い空を目に映すということをやってのけてしまいがちな少女がやって来て僕達に向かってとっとと鈍重だけの厄介な役立たずのそのブツをどこか陽光の来ない隅のすみまで押しやってそして今日僕達がやるべきことに目を向けるよういうのだけど今までにも散々同じことをいわれてきたんだけど僕達は粉々になった者に近付くのと同じようにして今日僕達がなるべき姿僕達が抱えている問題に取り組むことができたためしがない。透明感には程遠い僕達にあるのは、弱い虫と体。僕達にあるのは、一歩の歩幅のずるさ。つい近づきたくなって近づこうとする連中とそんなに大差ないやり方だ、中とはんぱな気持ちだ。じぶんたちがまだこうなっていないということに感謝しながら近付く者、あるいはかつてはじぶんもこんなふうだったんだと思って近付く者、あるいはまた、程度の差こそあれ砕け散ったじぶんを誰かが、思いがけない誰かの手がかき集めてくれた、足りないところももしかしたらあるかもしれないけど彼らは全部全部集めようと努力してくれた、努めてくれるような人々に僕だってちゃんと出会ってた、とすごくもっと、深く感謝しながら近付く者。僕達が粉々になったものに近付く時、いつも決まって、もし僕達の見知っているものだとしたら、と皆一様におそれていた。おそれないわけには行かない、だから一つの見方としては、確かにそうだった、いわれるまでもなかった、これはたんに怪我人が増えるだけのことだった。僕達はそういうことにかんしては勉強中の身だったから。僕達が粉々になったものに近付く時、だから僕達は、これがこわかった、だから僕達は、これが懐かしかった、だから僕達は、これに物悲しさを感じ、だから僕達は願い、だから僕達は歩を止めたくなってもそうしてはいけなくなっていて、だから僕達はそこにいようと、だから僕達は望んで除け者になろうとする、だから僕達は、だからこちら側のだから達は、僕達のだから達はあちら側のだから達からの一睨みがあるなら立ち眩みもしてよかった。僕達は粉々になったものに近付く、廊下の床に膝をつくことにもなる。これは誰のどんな意志の弱さも証明してはいない。粉々になるまで砕かれる、これはおわった惨めさかどうかなんて、いつもそうそう粉々になったものが生むのは終わりの静けさだなんて、決めたくないと、今は考えられるから。僕達は粉々になったものが校内にあるとすぐにぴんとくる、そこだけ必ず独特の静けさがあるからだ。僕達はいつも粉々になったものに近付く、だから行こうとする。僕達一人ひとりがこれらのことを知れてよかったと僕は思っている、まだまだ僕達でいられることが嬉しい。
今はこれだけで十分だ。




