理解の放棄
この世の全ての妹、つまりどの時代のどの国においても、無能呼ばわりされた、全ての妹たちに、例えば機会が与えられるとする。
元少女だろうと現在進行形の少女だろうと関係なく、兄の存在に影響され続けている全ての女の子たちに、兄について書かれた全ての物語を読むことが許されたとする、それだけの時間も。
つまり妹たちは他にはもう何の心配事もなくなる、食事も、あらゆる雑事も妹たちは何もする必要がなくなって、そういうのを天国と呼ぶのか地獄と呼ぶのかは各々の価値基準によるだろう、しかし妹たちにはとにかくそういう機会が特別に与えられるんだとして、果たしてその時わたしたちならどうするのがいいんだろうか。
わたしたちみたいな失敗作がそんなふうに、美しい兄たちについて理解を深める機会を得られるとして、長くドラマティックな物語を読めるとして、何を望むのか。何を畏怖するのか。
少なくとも、わたしは大人しく床に座ってとりあえず読み始め、それからどうするかを決めようとすることだろう、わたしという人間はいつもそうやって異性について判断を下してきたタイプだった。
じぶんの勘や経験に重きを置かない、ページに書いてあることを読みながら考えようとするだろう。
なら、その時わたしみたいな妹はどう思うんだろう、あらゆる視点から語られる兄、私が永遠に見つめることが叶わない、兄の肉体について語る女性や男性の声を聞いて?
兄について書かれた全ての物語、そして間違いなく、わたしは気に入りのページを見つける。
きっとそれをわたしは残す、他は引き裂く。
そんなパッチワークが始まってしまう。
おかしい、とわたしはしばらくしてきっと考える。わたしは最初、理解したいと思ったはずじゃないか。チャンスだと思ったはずじゃないか、と。
いつも結局、ある時点までくるとわたしは兄のことを理解するのを放棄する。いつも結局、ある時点までくるとわたしがやれることときたら、切り裂く、破り捨てる、食い散らかす、原型を留めないほどに兄を歪めようとする、そんなことだけだった。わたしの心は常にいったりきたりを繰返していた。それはあまりにも難しいことなのだ。
一体いつになればわたし、本当の兄を知っているといえるようになるのだろう、機会はいつ?
最後の紙吹雪の中、わたしならきっとぼんやりとそんな思いを抱いたまま、見上げ続けているに違いない。




