記憶
遠いいつかの五月、母親の運転で大学病院まで行った。
どうして近くの病院があんな遠くの病院にじぶんを紹介したのか、当時の私も戸惑い気味だったはずだ。
当時、私の肌が起こすトラブルは多岐に渡っていたから、母の様子にもさほど驚きはなかった。
今思うと、ではあるけど、私のことに関して余計な口を挟むのも彼女にはすでに面倒になっていたのだ。
道中、娘の所有する三枚のCDを車内で親子二人は聴くことになった。
アヴリル、スカイ・スウィートナム、それから帰りにアラニスがカーステから流れていた時、母は初めて好意的な反応を示した。
正確にはあれは好意からというより、音楽の例のあの効用が母親に口を開かせた、そういったほうがいいだろうか。
「この人は聴いたことがある、けどどこでこれ聴いたんだったかな。どこだっけ」
五月って、と数日前にしたその話を今日また持ち出して彼がいう。たまに、私の話で思いもしてなかった部分が妙に彼の心を揺らしている。
「五月っていい思い出が全然ない。十代、特に高校以前のじぶんのことは思い出しても虚しい気持ちにしかならない。俺はだから他人の思い出話を求めてるんだろうな」
「なんで。私だって昔を思い出すとすごく虚しい。虚しいというか、ヒャハ笑いが出る」
「でも俺に、母親とのその最後のドライブの日のことをわりと細かく描写しながら話してくれた。話しながらどんな表情でいたか知らないだろ?」
「じぶんでもよく分からない。何でもない晴れた日の、半日の出来事なんだけど。五月ってゆうと、じぶんのお気に入りの音楽だけがかかってて、母親が運転してる車に乗ってた、その明るい日の記憶が出てくるんだよね」
「お母さんのほうは綺麗に忘れてそうだ」
「ほんとそれ。今考えても本当に分かんないの。手繰り寄せれば幸福を感じる記憶ってんでもないしさ。おかしなもんだよ」
「塗り替えられない記憶だ。苦手だな」
「靴を履いた足が歩くなら、石がぶつかって傷がつく。それは小石でも、人に当たれば呪いがかかってしまうやつかも。でも当然私にはそんなのが選べないの。いつだってそう」




