キック
必死に覚えたんだ。
色々なことを、おれたちは最初からできるように感じる、一度もやったことがないことでも、やる前からもうやれるに違いないとどうしてか感じる瞬間はしょっちゅうやってくる。わざわざ習う必要もないかのように感じるんだ、わざわざそれを習得しようっていう意欲をおれたちは呼ぶ必要なんてないかのように感じる、やれるかどうかもじぶんに訊いてない時点からもうじぶんたちならやろうと思いさえすればやれる、そういうふうにおれたちは感じる。
だからつまり、全ては気分次第、周りのやつら次第、タイミング次第だ、というふうにおれたちは感じる。おれたちが感じる実に多くのことがらは、おれたちの見ているのとは丸きり別の顔を持っていた、おれたちははっきりいって、盲目。そう思っていたほうがまだましだということに、おれたちはやがて気がつくことにもなっていった。
おれたちは段階を踏んで、今のおれたちになった。
最初のほうはそっちにあまり意識が向かわないだけで、ゆっくりと段階的に気づきを得る。
やがておれたちは必死に覚えようとしながら、おれたちは始め、どうにも恐れることになった。瞬き一つしない二つの目、そうしろと、目だけで語ることをする目がある。おれたちはおれたちの目が見ているのを感じる。
おれたちは手繰り寄せた。
真実味のあるものから、順番に蹴りを入れたおれたち。
微熱じゃ終われない、そう何回も身をもって知った。
多くをこの身をもって思い知ることになるおれたち。
損得勘定、前後不覚になること、瞳。
後ろ前のティーシャツ。
嘆息もペンキ塗り立てのベンチもお願いだから今だけだから静かにしてと手の動きだけで伝えること大縄跳び食べられそうにない肉の臭いも隣に座ってもいいですかと訊くときだけ出す声の表情も見ないようにしながら切り刻んでいること罪なき人を攻めること隣近所ではぐれないように手を繋ぐことを、そして素早く走って逃げなくちゃという時はこないと考えるのはぜったいむりっていうんならじぶんのうでを切り落とす覚悟を持ってなきゃだめってのも、おれたちは覚えた。
引っ掻かれて初めてわかることがあること。
皮膚が剥がれて、ほんとうのじぶんが見える。
割れた窓との、指切り。
ある急かされ方。
基準がない人の手にとるものは壊れやすくなったから、よっぽどじゃないと渡しちゃいけない。
紙飛行機みたいな紙飛行機でいいんだ、とおれたちは思えるようなおれたちでいよう。わりと、おれたちだったらどの背中だってさするし。
ようやく巡り合う苦痛に似合うシャツの色を、廊下ですれ違い様誰かに教えられた日もあったりして。
いつからだろう、おれたちはじぶんに似合うものをみつけることに自信をどこでなくしたのか、おれたちの誰一人、覚えてない。いつなんだろう。
例えが浮かばないから、例えられないし、信じるべきじゃないことを、どの口も、いくらだって時間殺しして、唾も飛ばして、教えてくれる。
雄弁さとは程遠いやり方でしか、おれたちに何かを語ろうとはしない顔たちを、おれたちは覚えた。人は平等に老いるという、そのことを。
長い目で見てっていうやつに限っておれたちの前からすぐ消えてくれるってこと。
出会い方はいつも重要、世界の色や歩く姿や。とはいっても結局は、出会って、それで後々になってからどう出会っていたら一番よかったのだろうかって考えるし、それが人らしさだと誰かがいった。
おれたちは見た。
おれたちは触った。
開いた、こじ開けた。
おれたちは濁し、追いかけた。
折り畳んで、察知し、震えた。
おれたちはオープン前に行かない。
おれたちは回った。捨てた。
拾う振りをして、拾わない。後で捨てた。
引っ張って、伸ばした。
伸びるだけ伸ばし、とても困って、おれたちは袋とじにする。
おれたちは塗った。重ねた。吹いた。昇った。浮かべた。
何よりも、それらにかんして迷わないということ。見せない、ということ。
おれたちは、吐くことを覚えた。
何だか遠いように思えるあの日々。
今は懐かしく思うんだ、自転車通学していたあの頃のじぶんたちを。
男子たちは眠りながらの、長距離通学者たちをしていたんだったよな。
ペダルをこいではいても前は見ていなくてさ、色とりどりの夢を前かごに入れて。ひどくうつ向いて。
男子はみんな眠りながら、自転車に乗りながら、無垢で、大きくなっていったんだ。
派手に転倒し、男子たちの制服は汚れた。おれたちは、田んぼに落ちることを覚えた。
何もかもこの手が悪いんだってことだ、この手がしっかりといつもあるということはいつも少し苦いということだった。曲がることができない。全然。
今ではその全ぶが懐かしい、落ちる田んぼもない今となっては。
待合室の隅で、おれたちは少なからず覚えた。
靴下の色は電車を待っているようなタイミングで見下ろすことをおれたちは覚えた。
おれたちの唇からこぼれる夢物語。
はっとして、じぶんの手で口を押さえることを、おれたちは覚えた。
それを誰から教わったことにしたいのかなんて、決められない。悔しいけど。それは誰に教わったわけでもなく、いつの間に身に付いていたと、じぶんでも嘘っぱちだってわかってる上で、彼はそう思い込むことにしたのだ。彼は、じぶんでそう決めたかっただけ、それはあのひとから習ったんだって。その権利の行使っていう、それだけなんだ。
黙って頷くことをおれたちは覚えた。
骨まで残さないこと。
おれたちは吹き、そうやって消すことも覚えた。
おれたちは近場で済ませることを覚えた。
おれたちは悪あがきを覚えた。
おれたちは歌うようにもなった、おれたちに歌えるようなものだと、耳にしていて感じられるようなものならどれでも。
実に多くのことを場末の宿や安アパートの一室でおれたちは覚えた。
さびしいことばつかいたいだけの女子と、おれたちの違い。
要るとか要らないとかじゃない、柔らかくはない答えだし、一つ一つが何だかとても音を出す。
思いっきりテレビをながめている時の時間の流れと、寓話をながめている時の時間の流れの違い。
踏む人と、偶然を装い踏む人との違い。
一階の窓と三階の窓の違い、悪い赤と良い赤の違い。
嫌な頬と厭な頬の違い、間違えるべきタイミングと間違えちゃいけないタイミングの違い、傷心旅行とそうでない旅行の時にする顔の違い。
他人のせいで唇が切れた時にする顔と始まりから全てどうでもよかった顔の違い。新しい技と汚い技の違い、古い頭と洗い立ての頭の違い。
どうせ覚えなくたっていいようなことばかり、そういいながら、おれたちはやっぱり覚えたし、潰すことはしない。
一方では、ただ涙で本のページを弱らせてるだけって人もいる。当然おれたちのやるみたいな振りじゃなく、それはやけに大粒の涙。
いつも、いつまでも、誰かを知り尽くすことなんてできない、ということ。
やがておれたちは備えるようになった。
要らないもので王様たちのお城はできていないということ。
そこには何ひとつ、不要なものはないんだろう。
おれたちなら涙ながらに覚えた筈だ、優しく触れられれば壊したくなって、だからむしろ抱きしめにいくタイミングだって感じてた筈だ。
おれたちはでも地面に置いたりはしなかった筈だ、帰りの道のあまりに長い距離を消化できず、持ち手のほうの腕が、疲れたやめたい寝たいとうるさくいってくる。それはおれたちも同じだ、こんなに疲れが感じられるようになってきているのが誤魔化しきれないとしても、それでもおれたちは反対のほうの静かにできてる腕にそれを持ち替え、おれたちなら寝床までいつも持ち帰った筈だ。運んだ筈だ、破らなかった筈。
おれたちなら破れなかった筈だ、いったいそれが何のための、誰とした約束だったのか、一体それをいつどこでしたのかもわからない、でも約束は約束で、そしてたぶん、おれたちは反故にしたりしたくもなかったんだ。




