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猫の為のコート






 あれは良くなかった、と今だから俺自身も考えられていることだ。当時同じ大学にいた人たちからは、幾度となくいわれていたことだった。みんな俺よりも大人だった。

 付き合っているんだか、付き合っていないんだか、俺は分からないまま、一人の女の子と会い続けていた。彼女のほうは初めての一人暮らしをしていた、喋り声の優しい女の子だった。二人でいる時の彼女の、緊張しっぱなしのところが多分俺は好きだった。二人だけで会うのがそんなに大きな意味があることだとは俺は全然感じてなかった。本当に良くなかった。



 だが今になり何より良くないと思うことは、彼女の声や身体や激しい言葉といったものたちより、真っ先に思い出すのが、猫の為のコートだからだ。



 繰返しになるけれど、彼女は生まれそだった土地から離れた初めての一人暮らしで、初めての日々で、発見を続々としていたわけだ。しなくてもいい発見、特にじぶん自身に関しての好ましくないこともいくつか彼女はみっけていた。

 とはいえだ、頭んなかに脳ではなくクラゲでも入っているのかと思うような妹や両親も一切気にしないで日々を過ごせる。彼女はじぶん好みの古い洋楽を結構なボリュウムでかけ、図書館から借りてきたファッション雑誌を何冊も広げて、手持ちの服も全て床に広げて、一人でショーをして楽しんだりしていた。



 俺たちはコンビニでもちゃんと猫用フードが売られているのは知ってた。

「それはなんか違うんだよね」

 彼女はそんなへんないい方をしていた。俺は笑った。

 猫の為のコート。

 二階建てで昭和六十年に建てられたあの、家賃が安いのと日当たりの良さだけがメリットの古アパート。







 夜中に彼女は猫二匹の喧嘩中に発する人の幼児とそっくりな悲鳴を、眠れないままに十分間じっと聞いていたりした。

 確か彼女のいっていたところじゃ、一階に住む男がやたら猫好きで食い物をやるのだといっていた。度々小さい来訪者が階段下で雨宿りをしていたりバイクに勝手にのっかったりしている。

 よく一人で彼女の部屋に遊びに行った。

 臆面もなく手料理に飢えているから行くと俺はいい、彼女は怒る振りをした。

 あの頃の俺は何がしたいんだったか、よく彼女の隣にいた。

 夜明けまでまだまだの暗い空を見上げて二人、数えきれないくらいコンビニまで歩いて行った。レンタル屋の返却ボックスにCDを返してから、おにぎりやサンドイッチを買いに行くというのが二人の定番だった。そして帰りみち、アパートのまわりを彼女が無駄にぶらつきたがった。煙草の煙にしかみえない吐息。遠くのバイク音。赤やみどりの信号。



 おかかのおにぎりとかなら大丈夫そう、と彼女は判断した。

 彼女も俺も、結局は猫たちに関心があるわけではなかった。猫と楽しく戯れる体験にしか関心がないタイプだった。

 深夜の散歩ともいえないそんな時間に、彼女が目当ての猫を指差し、声を出すなと仕草で俺に指示する時もあった。

 当然こうなるのも予期して、ちゃんと出掛けに猫の為のコートを選んで着てきている。

 早速彼女はターゲットから距離を置いて屈んで、がさがさレジ袋をあさって食い物を取り出す。猫の顔のある位置で揺らして見せる。

 俺は猫たちなんかより、そんな彼女の小ささを、どう感じながら見ていたのかを思い出したい。



 いとおしくはなかった、哀れみもなかったし、嘲りもなく、遠くにも近くにも感じてなかったんじゃないだろうか。

 だから、今、こんなにも絶望視していいはずの猫の為のコートとの距離も、何となく消せなくなっている。



 抱かせてくれた野良猫は現れていたんだろうか。

 あの年以降の、彼女のあの猫の為のコートの行方も俺は知らない。本体である彼女とも、連絡手段はとっくに失われている。ちゃんと猫の為のコートを買った甲斐があったと、そう思えた日は彼女に来ていたんだろうか。

 そうだったらいい、と俺は今思うのだけど、随分月日の経過があってからこんなことを思ったって、もう何の意味もないことも分かっている。









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