海に落として
僕が一番長く正直さをもって話ができる女友達は、この僕に負けず劣らず、手にしていた物を下に落っことすことを昔から得意としている人間だ。
おそらく彼女や僕のような人間の手は、物をつかむのには向いていない手ということなんだ。
僕らがつかんでいられない物は、床に落ちて割れたり、テーブルの上に広がったりした。名古屋駅の改札口近くで他人の足に蹴られた末に失踪したりした。
熱々だったからだったり、余所見や余所事をしていたからだったり、そんなわけはないと思っているからだったりした。しかしそんなわけないわけもない。
僕らはそういうことをやる人間だ。
排水溝に吸い込まれた鍵。出すつもりだった葉書を尻ポケットから取り出そうとすると、既に落として風に飛ばされている。釣り銭をポケットに入れたまま洗濯機にかけようとしているのに寸前に気づいたはいいが、左手でつかんだコインをこぼして洗濯機の下へ転がす。
僕は自転車の鍵を落としてみつからなくなったことが三回あり、彼女もまたスイミングの時にロッカーの鍵を知らないうちに落としてはそのつど周りに訊ねていた。
あのすみませんみかけませんでしたかすみませんみかけませんでしたかあのすみませんすみませんあのすみません。
あの瞬間くらい、他人の善意を完全に頼りきりにして動く鈍重さを持てる瞬間っていうのは中々ない。
僕らからしたら熱いコーヒーは最悪の結果で他人に渡す可能性がいつも見えている。
コーヒーを無事、じぶんたちに取り込めることを、その場で我々二人だけが、ウインクの手前みたいな、目線だけのやり取りで、たびたび確認し合う。
最近の僕らは、海で落としたわけではない、というのが合言葉になってきている。
僕は大学生になるまで、家族行事で親戚のいる徳島まで長時間移動をしていた。すごく昔のことだけど、途中のどこかの海が見えている車中から、一回だけ赤潮を眼下に眺めたことがある。
彼女も僕のと似たような畏怖、いちども海に行ったことのない人特有の畏怖の感覚で、海を見ている。
二人とも海を大切にしながら畏れ続けていくのだろう、とにかく海は偉大なんだと、馬鹿みたいに。
彼女は、鯨が本当にいるのか信じられない。
僕は、ダイオウイカをいつか肉眼で目にしたい。
「海に落としていいものなんか、結局は一つしかない」
「でも若い時分で落ちてないといけなかったね」
残念だ、と二人して頷く。
そうして二人はしばしの間、各自の身体を見下ろしていた。
「好きなことやものをなるべく抱きかかえて落ちていきたいとは思っているんだけれど」
「ボーヴの分厚な小説があってさ、読み終えるととことん暗い気持ち引きずるような、こう、車に轢かれても心穏やかに死ねそうな精神状態になっちゃうっつか、読みやすさもあってあれはいい本なんだけど。読むものとか聴くものとかって、なんかやっぱ重要、重要視していいんだろうなと最近思う」
「だけどずっとこれを引き裂かれたりしなかったんだよ。失望すらルールブックにはあった。私たちみたいな人間って、つまり優しさが足りないよね優しいとか優しくなんないでとか、疑われて当たり前な優しさだとか本当の優しさだとか普通にあった優しさとか、決めきれない。どこにも行き場はないね」
「今はオレらから忘れられしあわせに、海の底で暮らしてる。大人になるっていうのは、穏やかな水面を保っていることでしかない。顔を出さなくなり、深い、深いところへ落ちていきながら、忘れて、忘れられている、そういうしあわせだ。そこでは思いしか存在できない、綺麗な思いのままいられてる筈。もう二度と切られたりしないんだよ、もう角度のこととか案じる必要もなくて。そして今は誰からも忘れられ、しあわせに、海の底で暮らしている。本当にしあわせだ」
「わたしがもし、プラチナブロンドで、どこにも肉がついていない中年の女で、葉巻愛好者で、青い瞳で、大ぶりのサングラスを持っているだとか、衣装持ちであるだとか、冬着るコートもいくらでもある、とかそういう、美しい孤独を有する人間であったなら、毎朝目覚めることは、意義があることだとじぶんにいえたんだろうな。でもそうじゃない。美しい孤独は生まれない。わたしは今朝、思った。代わり映えしない毎日、わたしは何のために目覚めようとするのかが分からなかった、動き出せないでいた、ここでわたしは持たざる者で、だから、少なくとも、前述したような美しい孤独がわたしにあった場合、また始まった、とベッドの中で考えることはできるはずだった。わたしは孤独を感じない、無論わたしの孤独をわたし以外の人たちはたびたび見ることにはなっていると思う。例えば、ぽつねんとパイプ椅子に座っているあの人として。例えば、カートを使わずに買い物かごを手に動き回る女として。わたしがわたしでいることは、もう何もいいことではない。今朝、わたしは思った。神様、と」
彼女は、その続きを話すことができなかった。
ただ今回ばかりは違った、今回はいつもの、僕たちの就いていたテーブルでコーヒーがこぼされたための会話の中断というわけではなかった。




