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くらいもり







 きりとられ、ちからをずっととじているままのまほうが、あるへいわなじだい、ちいさなくにのかたすみで、ぼろぼろになっていきていた。



 このやねなしのまほうは、いつもひとりだった。

 まほうは、たにんというものをしらずにいた、それにもかかわらず、なんとはなしに、ながいねんげつを、たにんにかかわるのをおそれながら、じべたをはいずりまわるように、ひかげをえらんであるきつづけるようにして、いきていた。



 といって、まほうは、まほうというものが、どこかいきばがないといけないことも、あたまのどこかで、なんとなくりょうかいしていた。



 つまり、じぶんがどんなまほうなのかもわからないまま、ながらく、さまよってきた、このまほうは、こどくにうんでいたまほうだった。



 まほうは、せかいのかたすみで、つぶやいた。

「どうせ、おれなんて、きらわれものにきまってる。めんとむかい、そういわれたわけじゃないけども。でも、このせかいをちょっとみてまわったら、それぐらいはわかる」





 そのとおり。いちにちすわって、もりのなかや、あおいそらのした、みずべといったばしょをかんさつをすれば、いかにりょうけんのせまいものでも、それはいやでもわかること。



 あかいきのみ。きゅうけいちゅうのわたりどりたち。

 かぜにながれるくも。おおきなくものす。

 しんりょくのきせつのまぶしさ。

 まほうは、じぶんをみおろしては、なにものでもなく、かたちのわるい、いろもそっけない、ちいさいじぶんをみとめ、なんどもなんども、ためいきをついていた。



 やっぱり、こわい。

 そうしてひとり、せかいのかたすみで、ひっそりいきをひそめくらしてきたまほうだった。

 へんがおのれんしゅうをしたり、はっぱのいろのへんかを、いちまいいちまい、ぼんやりながめたり。



 けれど、ちいさくたって、まほうはまほうで、ひとりきりでいるかぎり、じぶんとなかよくできるひは、えいえんに、こなさそうだった。





 ときがたち、こどくなまほうにも、かんがえかたのへんかがしょうじるようになる。



「もうあきたな」

 まほうはしあんするようになる。だれかのやくにたつ、そのかのうせいは、じぶんにもあるんだろうかと。





 ほんのうだとか、やくわりだとかは、ほんとうにやっかいなものだ。

 このせかいのじゅんかんするさまをみつめつづけ、そうけつろんづけていた、ひにくやなまほうだった。



 しかし、なんにしても、おわりをしること。ひとしくあたえられているこれは、けんりにちがいない。



 まほうは、いどうはんいをひろくすることにした。ひとまず、くらいどうくつのおく、ねぐらにしていたところから、さることにした。



 たにんきょうふしょうのまほうには、おそろしい、こうだいなかんじのする、へいげんや、ふかいもりをぬけて。

 とにかくとおくへ、けものたちからの、こうきのしせんをさけながら。





 やがて、まほうは、にんげんのおおくくらすくにに、じぶんがたどりついたのをしった。



 にんげん。

 おとことおんな。

 こどもとおとな。

 おとこのことおんなのこ。

 まほうにとり、にんげんのそんざい、とくに、まちでうまれて、まちのせいかつしかしらないままいきているにんげんたちのそんざいは、しんせんだった。



 はじめてのまちで、まほうは、えんとつや、ひろばのふんすい、とけいとうのなかなどにかくれて、まちのひとびとのようすをながめた。



 そしてまほうはにんげんにたいし、きもちをよくしたり、わるくしたりした。





 やがて、まちのこどもらが、どのせだいでもきまって、うわさばなしにしつづけている、このまちのちかくにあるという、ふかくていつでもくらいもりとやらに、まほうは、ちゅうもくするようになった。

 まほうはそしてきめた。





 まちにいて、じぶんのことでわかったことが、いろいろとあった。



 だいいちに、まほうは、じぶんが、ふつうのしょうねんをきずつけることより、ゆうかんだったり、はたまた、ただたんにやばんであるとか、すべてにたいしてあまかったりする、そういうおとこのこのほうが、きずつけてもよいのだ、とかんじることをみつけた。



 そう、こどくなまほうは、だれにすかれるのもきたいしちゃいないのだが、だれかにきらわれるのも、どうにかかいひしたいとねがってしまう。



 とてもながいじかんをかけて、じぶんをおくびょうなまほうにしたまほうだった。





 なぜ、このようなくらいもりのなかで、ゆうかんなしょうねんというものをまつことにしたのか、じつはまほうも、じぶんでもよくわからないところがあった。



 しんぴのいずみも、まほうはみつけておいた。わかちがたくあるメリットとデメリットのことは、はっけんずみのまほうである。



 ここは、もりのおくふかく、いつでもたいようのひかりがとどかない。



 せいじんだんせいなら、ここまでたどりつくことはかのうだろう、けれど、どんなしょうねんが、どんなようじむきで、ここまでやってくるというのか。



 このてんは、まほうはまちのくらしでたくわえたかんがえで、ほきょうしていた。



 つまり、ゆうかんなしょうねんというやつは、ときとして、とっぴな、ばからしいがつきぬけているこうどうをせんたくするいきものだ、ならば、しんぴのいずみみたいなものさえあればいい。



 それにくわえて、だいじなのは、ここでまほうが、その、ゆうかんなしょうねんだけをまっていることだ。



 きぼうはじゅうぶんにある、とまほうはなぜかかんがえていた。





 それからまほうは、さらに、しんぴのいずみのすみで、こそこそとみをかくしておいでだっためがみさまを、みつけるとはんごろしのめにあわせ、じぶんとともに、いつのひかやってくる、ゆうかんなひとりのしょうねんを、そのうつくしさをいじしながら、まつようにとおねがいした。



 こうして、うつくしいめがみさまとまほうのふたりの、まつひびがはじまった。




10


 まほうのポジショニングはいつでもおなじ。うつくしくかがやく、めがみのうっとおしい、ながすぎるかみのあたりにかくれる。

 そうしてまほうは、ひがないちにち、もりじゅうにみみをすませている。



「あのぉ、おとこのこをたいしょうにするの、やめにしませんか。おとなの、ぼうけんしゃたちとかにすれば、このもりをうろついていることもありますもの。そしたらですね、そのなかから、むだげがなく、きんぱつで、あおいめをした、ろくフィートはあってでもがちっとしたたいかくをしてなくて、どこかしら、やぎのようなふいんきをもった、あとぜったい、てざわりがよいにちがいないというようなはだをした、わかいそうしょくだんしをつかまえるのです」



 いつもぷるぷるふるえているめがみさまがあるひ、みょうにぐたいてきなこのあんをだしてきた。



 まほうはかんがえる、むごんで、めがみさまのおかおに、おうふくびんたをあびせながら。




11


 きほんてきに、ふたりは、というか、まほうがめがみをぼこぼこにしたり、すきをねらってじさつしようとするめがみを、まほうがとめたりするだけの、じかんがどんどんすぎてゆくだけの、せまいそらをみあげ、とりたちのこえをみみにし、ああまたよるがすぎあさがきてそしてまたよるになるのをまつだけの、とおもうだけの、そんなまいにち。



 ここへきてすぐ、このばしょのうすぐらさに、ふたりどちらもなれてしまっていた。せいかくてきなあれで。



 だからときどき、ふたりどちらも、つい、こんなばしょにくるにんげんなんて、ぜったい、ろくなやつじゃない、とおもうことすら、しなくなる。



 ゆうかんなしょうねんに、じぶんをみつけてもらうだと?



 おわらいぐさとは、このことなんじゃないかな、と、まほうがおちこんでいることもある。



 やれやれだわ、といわんばかりに、めがみが、あまりまほうがしょげているひには、えしりとりをしましょう、まるばつゲームをしましょうといって、きをまぎらわせてあげようとすることもある。



 もりは、くらさをましていくばかり。
















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