8.心強い重み
スバルは溜め息を吐いて首を横に振った。
「俺はここの連中と話し合うつもりだったんだ。武器は持ってねぇ。ましてや狼男が来るなんて予想してなかったから、銀のさじの一つもねぇよ。まあ、ここで俺が狼男に殺されてもあんたは殺されずにすむだろう」
言いながら、スバルは狼男と向き合った。狼男は既に態勢を立て直し、余裕の笑みすら浮かべていた。
狼男は爪についたスバルの血をなめながら、恍惚とした表情で鼻息を荒くしている。
「君の血は美味しいよ。実は、いい血筋の人間だろ?」
「知らねぇよ! 気色悪い」
スバルが唾を吐くのを見て、狼男は声を出して笑った。スバルには狼男にトドメを刺す手段はない。余裕があるのは当然だと言えた。
「血の晩餐を始めよう。僕にたてついた事を後悔しながら死ぬといい」
十本の爪と、凶悪な牙がスバルに襲い掛かる。スバルは応戦するが、鼻づらや目元はガードされていて、体毛がない部分に攻撃が届かない。体毛のある部分にいくら蹴りをいれた所で、虫に刺された程度のダメージもないだろう。
スバルの身体に、じわじわと切り傷が増えていく。そのたびに、スバルの身体の動きは悪くなり、爪の餌食になる。急所を外されているのはわざとなのか、分からなくなっていた。
シュネーが震える。人が嬲り殺されるのを見ていられなくなったのだろう。
片膝をつくスバルの目の前で、シュネーが両手を広げる。
「私が捕まればいいのでしょう。この人を殺す必要はない」
シュネーは涙声だった。彼女の顔から時折こぼれおちる雫は月明かりに光り、誰の心も惑わしそうなほどに美しく透き通っていた。
しかし、狼男は首を横に振る。
「反乱兵を逃がすわけにはいかない」
「この人は反乱兵じゃない。ただの通りすがりよ!」
切実に訴えるシュネーの言葉を、狼男は鼻で笑った。
「信用できない、どけ」
狼男が右腕を振りかぶり、シュネーへと殴りかかる。殴り飛ばすつもりなのだろう。しかし、その腕がシュネーに触れる事はなかった。
スバルが舌打ちする。
「めんどくさい王女様だぜ。俺が時間稼ぎをしている間に逃げりゃよかったのに」
スバルはシュネーの両腕を掴み、引き寄せていた。シュネーが急に後ろに下げられたために、狼男は空振りをしていた。
スバルは間髪入れずに狼男の鼻づらを蹴り飛ばし、シュネーの右手を引っ張って距離を取る。狼男がもだえているうちに走った。
しかし、そんなスバル達の行く手を阻む獣の集団がいた。瞳をぎらつかせた狼の群れだ。狼男の呼び声に応えて集まったのだろう。瞳を血走らせ、不気味なほどによだれを垂らしていた。
「ヤバいのが来たな……前にも狼、後ろにも狼」
スバルはぼやいて振り返る。狼男が起き上がり、スバルを睨んでいた。
「君は血祭りにあげる。覚悟してほしい」
狼男がじわりじわりと近づいて来る。その眼は怒りで満ちている。狼の群れも、徐々に近づいていた。
スバルは交互に見ていた。
「きついな……狼男がいるせいで、狼どもがはじゃぎそうだぜ」
「でも、諦めていないでしょ」
シュネーが口を開いた。
「私も諦めたくない。メーア姉さんに会うまでは、絶対に。でも、あなたは何も持っていない。仕方ないから、これを預ける」
シュネーは銀の首飾りをスバルに手渡した。見た目よりも重い。だが、今のスバルには重さが心強かった。