挿入話:動き出す兄弟たち
薄暗い洞穴の中で、一人の男が地べたに座っていた。
灰色のフードで顔をすっぽり覆った男だった。
男の名前はレイブン。ゲベート王国第三王位継承者である。
日頃はキノコや木の実などを採集しながら、王家とは信じられないほどのんびりと暮らしている。
しかし、今は様子が違った。
複雑な方陣の描かれた石造りの天井を時折見上げては、右腕を折り曲げて、震える人差し指で自身の唇に触れるのを繰り返していた。
「……あれはどんな意図があったのか」
呟きに答えなどない。それはレイブンも分かっていた事だ。
ルシフェルからスバルたちの足止めを命じられて、魂を奪われたギルバートの身体を乗っ取るという暴挙に出た。案の定ギルバートの部下であるスバルは攻撃をためらっていた。
結局は剣を振り下ろそうとしたが。
その剣を止めた娘の事を思い返す。
「フローラ……いい女だな」
柄にもなく頬が火照るのを感じた。
ギルバートに関する記憶を奪い、ギルバートの足枷とした娘だった。しかし、彼女からギルバートに対する想いは消えなかった。
再び自身の唇に触れる。
触れた時の感触はあるはずがない。フローラが唇を重ねたのは、ギルバートに対するものだ。一時的にギルバートの身体を乗っ取ったレイブンに対するものではなかっただろう。
しかし、胸の鼓動はどうしようもなく早くなっていた。
「あの娘がほしいなどと言ったら、ギルバートと喧嘩になるだろうな」
レイブンはほくそ笑んだ。
喧嘩になったらどうなるだろう。ギルバートは全魔力を使って応戦するのだろうか、それとも感情のままに殴り掛かってくるのだろうか。
そんな事を考えながら、レイブンは声を出して笑った。
「確かめねばならんな」
レイブンは立ち上がった。
方陣が描かれた洞穴の中では、彼は無類の強さを誇る。全ての事象が彼に有利になるように魔力が込められている。どんな人間が侵入してきても、操り、追い返す事ができる。
しかし、レイブンは洞穴の出口へと歩き始めた。
向かうのは王城。
ギルバートの魂が囚われている場所だ。
同じ頃、ドラグーン・シティでエイベルが自らの軍勢と対話をしている所だった。
ロベールの操る馬に乗ったまま、声を荒立てる。
「だーかーらー! 僕たちはギル兄の部下たちを攻撃しちゃダメなんだよ!」
「そんな口約束を守れと?」
「だまされていると思います」
部下たちの文句を聞きながら、エイベルは全身をワナワナさせた。
「僕がギル兄と停戦の約束をしなかったら、ロベールが殺されたんだよ!?」
「それはロベールの責任です」
「今からでも撤回できませんか?」
エイベルの必死さとは裏腹に、部下たちの眼差しは冷めていた。
視線を落とすロベールを一瞥して、エイベルは口元を引くつかせた。
「君たちはそんなにギル兄の部下たちを殺したいの?」
「王国の方針に逆らいたくないだけです」
「エイベル様もそうでしょう?」
一向に譲歩の姿勢を見せない部下たちに向けて、エイベルは露骨に溜め息を吐く。
「僕は人を大切にできない国なんて、意味がないと思う。どうしても僕に逆らいたいなら、そうしてよ。でも、その時の僕は君たちの味方ではなくなるだろうね」
「エ、エイベル様そんな……!」
「お考え直しを!」
部下たちの間に動揺が走っていた。
エイベルは腰に手を当てて胸を張った。
「考え直すのは君たちだよ。何も考えずに王国の言いなりになるのが正しいとは限らないんだ」
部下たちは黙った。
困惑しているようだが、反論しようとする人間はいなかった。
エイベルは安堵のため息を吐いた。
「みんな理解してくれたようだね。それじゃあ僕はギル兄の所に行くよ」
「行ってはいけません!」
急に声をあげたのはロベールだった。
焦燥に駆られた表情で、まくし立てる。
「恐れながら申し上げますが、エイベル様はこのままお逃げください! 時間稼ぎなら何とでもなりますので」
「いきなりどうしたの? 順を追って説明してよ」
エイベルが両目をパチクリさせると、ロベールは首を横に振った。
「申し上げるわけにはまいりません」
「なんで? 僕が命令しているんだよ?」
エイベルがロベールにジッと視線を合わせる。
「話せない理由も含めて言ってみて。君の忠義を信じているから」
ロベールの瞳は揺れたが、すぐに意を決したのか重い口調で語る。
「今から僕がお話しする事は反逆行為です。お話しを聞いた後で必ず僕を処刑してください」
「え?」
エイベルが戸惑い言葉を失うと、ロベールは視線をそむけた。
「お約束できないのなら、お話しする事はできません。それほど重大な裏切り行為です」
「わ、分かったよ。とにかく話してみて」
エイベルは努めて穏やかな口調になっていた。
ロベールは一呼吸置いて語り始める。
「ルシフェル王子があなたを力の源にするとおっしゃっていました。この事は口外してはならないとも」
「力の源……平たく言えば生贄の事だね。そんな話を聞いてよく生きていたね。他にも内緒にしている事があったとか、ルシ様によほど都合良く協力していたのかな?」
ロベールは答えない。その沈黙が、エイベルを確信させた。
「ギル兄がいつ裏切ってもいいように、ギル兄の部下たちを殺そうと提案したのも、君だったね。ルシ様の入れ知恵があったのかな?」
「……お答えいたしかねます」
ロベールの声は震えていた。
「僕は聞かれた事には忠実に答えました。口外したからには、僕は処刑されるお約束でしたね」
「さて、何のことかな」
エイベルはそっぽを向いた。
「僕は何も聞いていないよ。でも、何となくお家に帰りたくなっちゃった」
「エイベル様……?」
ロベールはエイベルの意図が掴めず、首を傾げた。
エイベルは続ける。
「ロベールは罰として、しばらくここにいてね。僕がギル兄と魔導師の誓いをする羽目になったのは、君のせいだから」
「エイベル様、僕が何のためにあなたの騎士となったのかお考えいただいていますか!?」
ようやくエイベルの意図を察して、ロベールはエイベルの両肩を掴もうとしたが、遅かった。
エイベルは既に姿を消していた。空間転移でこの場を去ったのだろう。
ロベールは頭を抱えた。
「自分で考えろという事でしょうけど……僕は何をするべきなのでしょう。もしかして、こんな風に悩むのが罰という事でしょうか?」




