80.想い人への気持ち
レイブンがゆっくりと左手を持ち上げて、倒れているフローラにかざした。
「察しているかもしれないが、私は精神使いだ。精神使いらしく、まずはこの娘の魂を奪うとしよう」
フローラは頭を抱えてうめいていた。
「やめてください……ギル、ううぅぅ」
「私に抗うのなら、せめて弟の名前をしっかり呼んでほしいものだ」
レイブンは両目を吊り上げていた。
「おまえがいなければギルバートは王家を裏切る事はなかったが、おまえがいたからギルバートは魂を囚われた。おまえを守ろうとして、あいつの運命は狂わされたのだよ」
ギルバートの声と顔で、ギルバートが決して口にしない言葉を連ねていた。
スバルは舌打ちをした。
「吐き気がするぜ!」
「嫌なら抵抗するがいい。私は私の最善を尽くすだけだ」
スバルは癒しの剣を構えたまま走り出した。
ギルバートの身体を切るのに大きなためらいがあった。しかし、このままではフローラは魂を奪われるだろう。それこそギルバートを絶望に陥れるはずだ。
囚人たちが悲鳴をあげるが、構ってられない。一刻も早くフローラを助け出さなければならない。
事態を察して、シュネーがレイブンをポカポカと叩く。
「やめなさい! 大切な弟さんの恋人でしょ!? 他にやり方があるはずよ!」
脆弱な叩きだった。子猫に引っかかれるくらいのダメージにすぎないだろう。
しかし、レイブンの視線は明らかにシュネーに向いていた。気を引く事に成功したのだ。
どこか遠くを見ているような虚ろな眼差しだった。
「分かっている。私は何度も何度も模索した。互いに幸せになれる道筋はないものかと。諦めるのに数年は要した」
ポツリと呟いて、スバルに視線を移す。
「フローラが死んだら、ギルバートも死にたがるかもしれないとさえ考えた。その願いを叶えてやるのが、あいつのためかもしれない」
レイブンの足元の影が、数本の蔦状になり、スバルに襲い掛かる。
「何度も迷った。だが、私は私のやりたいようにやらせてもらう。身体も魂も生きている今なら助けられる。私はギルバートに生きていてほしい」
黒い蔦は、剣に薙ぎ払われる。
スバルを止められるものはない。そう思われた。
癒しの剣が振りかぶられる。
しかし、レイブンに届く事は無かった。
魔力により作られた透明な壁がスバルの一撃を阻んだ。
他でもない、フローラが張ったバリアだった。
スバルは床をいくらか滑り、弾き返された勢いを最小限に抑えた。
「何を考えてやがる!?」
「ごめんなさい……私を助けようとした事は分かります」
フローラが息も絶え絶えに言っていた。顔色は青白く、頼りない。
しかし、立ち上がっていた。
「私はどうしても、この人を倒すべき人とは思えません」
おぼつかない足取りでレイブンに歩み寄る。
レイブンは心底愉快そうに両目を細めた。
「そもそも私を倒す事ができないだろうに」
「私は、あなたの全てを知りません。ですが、あの人を守ろうとするのにどれほど苦労したのか、少しだけ分かる気はします。ずっと一人で辛かったでしょう」
フローラは柔らかな両手を差し出し、レイブンの両頬を包む。
レイブンは両目を見開いた。小刻みに震えて、言葉を失っていた。
信じられないものを目の当たりにしたかのようだった。
フローラが微笑む。
「精神使いのあなたなら、分かるでしょう? 私の心、想い人への気持ち。あなたは強く、儚く、そして優しい人なのだから」
フローラの唇が、相手の唇に触れた。
すぐに離れると、フローラの頬に血色が戻っていた。
「大丈夫です、誰にでも幸せになる権利はあります」
レイブンの頬から両手を放し、祈っていた。
レイブンは両目を見開いたまま、口をパクパクさせていた。
「……正気か? 私にその……せ、せせ接吻など……」
「あの、もしかしてキスは初めてでしたか?」
「……何も言うまい。私はこの男から離れようと思う」
「そうですね。その方がいいと思います」
フローラが頷くと、ギルバートの身体は床に両膝をつき、倒れこんだ。
その身体を受け止めて、フローラは一筋の涙を流していた。
「あなたの事は少しずつ思い出せると思います。いつかゆっくりとお話ししましょうね、ギルバート」




