78.真の価値
フローラはだいたいの状況を把握していた。
自分に迫ってくる人影に触れたら、自分の魂がルシフェルの持つ小箱に囚われる事。
それを防ぐために血相を変えて走ってくる男性がいる事。
自分の後ろには水槽に浮かぶメーアがいる事。
フローラは避けずに、バリアを張った。自分が避ける事で気を失っているメーアの魂が囚われると思ったのだ。
しかし、フローラは肝心な事を分かっていなかった。
人影を避けるにはバリアなど無駄だという事。人影はバリアをあっさりすり抜けていた。
走ってくる男性の名前をどうして思い出せないかなど、今は考えもしなかった。
男性がぶつかってくる。フローラはこらえきれずに床に倒れる。
この瞬間に、人影は男性をすり抜けて、淡く輝く白い球を抜き去っていった。
男性は糸が切れた操り人形のように、床に崩れ落ちた。
「ギルバート王子ぃぃいい!?」
スバルが悲鳴じみた声で、男性の名前を呼んだ。ディーザの王剣を癒しの剣で受け止めながら、悲痛な面持ちで人影が小箱に向かい、しまわれるのを見ていた。
フローラも男性の名前を呼ぼうとした。
男性の事は何も分からないのに、懐かしく、愛おしい。
「ギル……!」
ひどい頭痛が始まった。
これで何度目か分からない。彼の事を思い出そうとするたびに、ひどい頭痛に見舞われて立てなくなる。どうしようもなく悔しくなる。
フローラは床に伏せたまま、頭を抱えた。
シュネーが駆け寄り、心配そうな眼差しを向ける。
「しっかりして!」
ギルバートとフローラを交互に揺り動かす。
しかし、ギルバートは全く動かず、フローラはうめくだけだ。
シュネーは立ち上がって、水槽を叩く。
「メーア姉さん、起きて! 大変な事になっているの。もう一度力を貸して!」
シュネーなりに必死だった。
そんな彼女を見て、ルシフェルは微笑んでいた。
「無駄ですよ。メーアは既に全力を尽くして、魔力が空っぽです。ギルバートも魂を抜き取られています」
「どうしてこんな酷い事をするの!? ギルバート王子はあなたの弟よね!?」
シュネーは涙目だったが、ルシフェルに鋭い視線を向けていた。
ルシフェルは、ギルバートの魂が入った小箱を大事そうに見つめる。
「弟だから倒す時に全力を出すのですよ。この日のために幾重にも準備を重ねました。失敗したら面白くありません」
スバルは舌打ちをした。
「やっぱり、ギルバート王子が反乱に加わるのを狙っていたのか。ギルバート王子の命を奪う口実を得るために!」
「いえ、ギルバートの真の価値を引き出すためです」
思いがけない返答に、スバルは呆然としそうになった。
ディーザの蹴りをかわすために、ぼーっとしていられなかったが。
ルシフェルは小箱をなでる。
「この子にはもっと大きな力があります。この子なら感づいているでしょう。しかし、いつまでも目を背けたままです。あまりにも勿体ない話です」
「何を言ってやがる……?」
スバルは王剣の猛攻をいなしながら、ルシフェルの言葉を理解しようとした。何の理由もなくギルバートが殺されるはずはないと思っていた。ルシフェルたちにも思惑があると思っていた。
しかし、まったく理解に至らない。
剣同士が立てる甲高い金属音が、どこか遠いものに聞こえていた。
ルシフェルはくすくす笑う。
「分かりやすく申し上げます。ギルバートは世界を改変する力を持っています。私がその力を引き出してあげるのです」
スバルの頭は真っ白になった。
言葉が浮かばなくなったのだ。両腕が震え、全身がふつふつと熱くなる。
怒りが沸きあがったのだと頭が分析するのに、わずかに時間を要した。
本能的な怒りを感じていたのだ。
「ギルバート王子の意志に関係なく」
言葉が勝手に口から出てくる。
「ギルバート王子の力を利用するという事か?」
「簡潔に答えれば、そうなりますね」
あまりにも感慨の無い答えに、スバルの瞳はぎらついた。
「ふざけるな!」
王剣を弾き、スバルはルシフェルに向かって走る。
「何が真の価値だ、そんなのギルバート王子自身が決める事だ! てめぇがしゃしゃり出ていいもんじゃねぇ!」
「あなたの言いたい事も分かりますが、私たちの答えは一つです」
ルシフェルは左手で小箱を握り、右手の人差し指を立てた。
「この世界をよりよい方向へ導く。それだけです」
スバルの足が一瞬止まった。
時間操作の能力だと気づいた時には、背中にディーザが迫っていた。
足が止まったのはほんの一瞬だったが、ルシフェルは剣の間合いから外れていた。
スバルは振り向きがてらに王剣を受け止めた。
ルシフェルは地下室から離れる方向に歩き始めた。
「ディーザ、キリが良くなったら例の場所へ。あなたがスバルを倒す必要はありませんので、そのつもりで」
「分かった、レイブンが到着したらすぐに行く」
スバルは歯ぎしりした。
レイブンとは、第三王位継承者だ。最も得体の知れない人物だと聞いた事がある。
まっさきに切り裂くべき人物だろう。
王剣と激しく切り結びながら、周囲を警戒する。
「もう到着している」
声は思わぬ方向から聞こえた。
ギルバートがゆっくりと立ち上がった。その目は虚ろで生気がない。
「まったくつまらない役回りだ。この男の身体を利用して、時間稼ぎなんてな」
「ギルバート王子……?」
スバルがかすれた声で呼ぶと、口の端を上げる。
「私の事はレイブンと呼んで欲しい。短い付き合いになると思うがな」




