73.魔導師の誓い
光の柱がギルバートを覆いつくす。悲鳴も断末魔も聞こえなかった。
光の柱が崖の下の一部を、音を立てて砕き、消える。その後にギルバートの姿は無かった。
スバルは両目を見開いた。
「マジか……?」
恐る恐る崖の下を覗くが、ギルバートはいない。エイベルの軍勢が大歓声をあげているだけだ。
スバルの勘は、ギルバートの命が奪われる事はないと告げていた。
しかし、嫌な汗が噴き出し、胸が痛くなる。
猛威を振るっていた光の柱が空気に溶けるように消えていく。星々が静かに光っていた。
「ギルバートなら死んだよ。僕たちに逆らった罰だ」
エイベルが冷淡に言っていた。
「表立って逆らわなかったら、命までは奪わなかったよ」
「……よく言うぜ。俺の仲間の命は散々奪っておいて」
スバルはフローラをそっと地面に置いて、馬上のエイベルを睨んだ。
エイベルは肩をすくめた。
「君たちが信頼されなかったのがいけないんだ。ギルバートがゲベート王国に歯向かうかもしれないと思われたのがいけないんだ」
「言いがかりにもほどがあるぜ! 俺たちがなんで命がけで戦ったのか、考えた事があるか!?」
スバルは吠えて、癒しの剣を構えた。
「てめぇらにギルバート王子を責める資格はねぇぜ!」
エイベルは答えない。視線をそらし、唇を噛んだ。
ロベールが溜め息を吐く。
「スバルの剣はエイベル様にとって猛毒です。早急に取り上げるか、スバルを仕留める必要があるでしょう」
「……分かっているよ。僕がやる」
エイベルの声と両手は震えていた。頬も、腕も、膝も、全身から血がにじんでいた。
エイベルの血筋には、癒しの剣の放つオーラは有害だ。
「すぐにけりを付けるよ」
スバルの周囲の空間が歪む。空間ごと切断される前触れだ。
スバルは空間の裂け目を避けて、癒しの剣を振るおうとするが、次々と裂ける空間のせいでエイベルに近づけない。
剣を構えながら走るせいで、腕や足の感覚がなくなっていく。殺されるのは時間の問題だろう。
しかし、スバルは歯を食いしばって走り続ける。たとえ相手に届かなくても、意地を見せつけたかった。
全ては祖国のために死んだ仲間の想いに報いるために。
志半ばで死んだ仲間の無念を晴らすために。
スバルは呼吸さえも忘れていた。
そんな時に不思議な事が起こった。
空気が急激に湿ってきたのだ。
それだけではない。せせらぎの音がいくつも聞こえ始める。
音は重なり、やがて波となる。辺りは透き通った青色に染まり、静寂に包まれていた。
エイベルが両目を見開く。
「これはいったい……?」
「俺が死んだと思っていたら、永遠に分からないだろうな」
淡々とした声が上から聞こえた。
星空を背にして、ギルバートが浮かんでいた。青い燐光を帯びて、悲しそうな表情を浮かべている。
スバルは足を止めて様子を見る事にした。ギルバートが何も考えていないはずはない。
ロベールがギルバートに向けてナイフを投げつける。しかし、ナイフは簡単にはたき落された。
「メーア王女がくれた力を無駄にするつもりはない」
ギルバートが右の手のひらを、エイベルとロベールが乗る騎馬に向ける。
エイベルは大笑いをしていた。
「地獄から追い返されたのかな!? それならもう一度殺してあげるよ!」
エイベルは呪文を唱えた。
空間ごとギルバートの身体を割くものだ。
太陽光を呼び出すほどではないが、人ひとりを仕留めるには充分な威力がある。エイベルが扱う魔術のうち最速のもので、ギルバートの魔術より素早く発動できる。
ギルバートの身体は上下に二つに割れる、はずだった。
ギルバートは溜め息を吐く。
「無駄にしないと言っただろう。エイベル、おまえはしばらく空間を扱えない」
「そんな……どうして!?」
「俺の能力は物質操作。メーア王女のおかげで、操る対象が空間にまで拡大されている」
エイベルは自分の両手を見つめた。
空間使いとして、空間を操れないのは致命的だ。ギルバートに対抗できる魔術を放てない。
エイベルの顔面から血の気が抜ける間に、異変が起きる。
ロベールが声を発する事もなく、急に地面に落ちたのだ。
彼の全身には青白い液体がまとわりついていた。ロベールは苦悶の表情を浮かべながら液体を払おうと両手両足をばたつかせるが、液体は緩くたゆたうだけで、ロベールの顔も身体も覆いつくしていた。
エイベルも馬から降りて青白い液体をかきわけようとするが、かきわけた隙間に瞬時に液体が満たされる。空間使いの能力を使えないと、どうしようもない。
エイベルはギルバートを睨んだ。
「やめてよ、こんなの卑怯だよ!」
「卑怯? おまえも俺の部下を何人も殺しただろう」
「ロベールは僕の命令に従っていただけだ! 殺すなら僕にしてよ!」
「俺の部下も、俺に従っていただけだが?」
ギルバートは淡々と告げていた。
「部下を救えない惨めさを味わってみるといい」
「そんな……」
エイベルは言葉を失い、呆然とした。
ギルバートは感情のうかがえない表情でエイベルを見つめる。闇色の瞳は、エイベルから抵抗する気持ちを奪っていた。
「どうしてもロベールを助けてほしいのなら、魔導師の誓いを立ててもらう」
「魔導師の誓い……」
エイベルは苦々しい口調で言葉を吐き出す。
「その誓いは何があっても守らないといけないんだよね。命を失う事になっても」
「当たり前だ。その為の誓いだ」
「本当にロベールを助けてくれるんだよね?」
ギルバートは頷いた。
ロベールが苦悶の表情を浮かべながら何かを叫び、訴えているようだが、青白い液体に阻まれて声が届かない。
エイベルは十字を切って、胸に左手を当てた。
「どのみち、僕は自力でロベールを助けられない。どんな誓いでも立てるよ」
「分かった。三つ告げる」
ギルバートはゆっくりとエイベルの前に降り立った。
エイベルは生唾を飲み込んだ。
「いいよ。何でも言って」
「一つ、おまえが俺の部下に攻撃を仕掛けないようにしろ」
「……分かったよ」
エイベルの青い瞳は震えた。ゲベート王国の方針に逆らう事になる。しかし、今はそんな事を言っていられない。
ギルバートは続ける。
「二つ、おまえの部下たちにも、俺の部下に攻撃しない事を徹底しろ」
エイベルは唇を噛んで頷いた。
最後の一つを聞きたくない。ギルバートやスバルが抱く憎しみを考えると、ろくでもないものになるはずだ。しかし、魔導師の誓いには逆らえない。
「……最後は?」
エイベルはかすれた声で促した。
ギルバートはエイベルに背中を向けた。
湿った風が吹きすさぶ。
「前の二つが守られればおまえの自由にしろ。以上」
「え……?」
エイベルは呆然とした。
スバルは舌打ちをした。
「もう二度と、俺たちに手を出さないように誓わせただけかよ。変な所で甘いな、本当に」
「……たぶん、自分を慕う人たちや自分に従ってくれる人たちを奪われる苦しみを、弟さんに味わってほしくないのだと思いますよ」
鈴の鳴るような声が聞こえた。
フローラが地面に横たわったまま、微笑んでいた。




