72.不適な笑み
ロベールの操る騎馬が、大雨の降り注ぐ大地を駆けていた。その騎馬には呪文を紡ぐエイベルも乗っている。
呪文は人語を解さずに、超自然的な力を引き出すためのものだ。空間使いのエイベルが繰り出す奥義の威力を、ギルバートは知っている。
太陽光を地上に直接つなげるのだ。
太陽光は日頃なら遥か彼方にあり、世界を照らすだけの光である。しかしエイベルの魔力で召喚されれば辺り一面を消しさる滅びの光となる。
ナトュール国を滅ぼしたのは、その光であった。
ナトュール国軍は、国王も女王も懸命に戦ったが、エイベルの魔力の前では無力に等しかった。残骸が残っただけ奇跡的であった。
そんなものを放たれれば、この辺りは間違いなく消える。
癒しの剣を握っているとはいえ、スバルがエイベルたちに追いつき、止める望みは薄いだろう。せいぜい引っ掻き回すくらいだ。
その引っ掻き回しが、ギルバートにとってせめてもの望みである。
エイベルが呪文を唱えているタイミングで、ギルバートも呪文を唱えていた。
大雨はギルバートにとって恵みである。物質操作を駆使する彼にとって、操れるものは多い方がいい。
スバルも分かっているのか、時折ギルバートの視線を確認しては、騎馬に向けて叫んでいた。
「逃げてばかりじゃ騎士の名折れじゃねぇか!」
見え透いた挑発にロベールが乗るはずはない。
しかしロベールの気を引く事に成功していた。
ロベールは、ギルバートが放つ魔術に全く気付いていなかった。
ぬかるんだ土が急激に円を描き、騎馬の周囲に文様を浮かび上がらせる。
文様は恐るべき速さでらせんを描き、エイベルとロベールの行動範囲を狭める。
魔力のこもった土色のらせんは騎馬を捕らえて放さない。
当然のことながら、エイベルとロベールも土色のらせんに絡めとられていた。
「これはいったい……!?」
ロベールの顔面が蒼白すると同時に、逃げ場を失った騎馬がもがいて悲鳴をあげる。
ギルバートが安堵の溜め息を吐く。
「自ら罠にはまってくれたな。そのまま動かない方がいい」
いい聞かすように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「おまえたちを捕らえた土には俺の魔力がこもっている。エイベル、おまえが奥義を使うのならロベール共々締め殺す」
「エイベル様、僕の事など構わないでください」
ロベールは即答した。自らの命など惜しくないのだろうか。
雨の勢いはますます強くなる。
土色のらせんが呼応するように、ロベールとエイベルの首を絞めつける。
この時、不適な笑いが聞こえだした。
エイベルが含み笑いをしていた。
「ギルバート、君は生ぬるいよ。魔力も覚悟も」
喉元を締め付けられながら、絞り出すように言っていた。
声は弱々しい。
しかし、その表情は歓喜に満ちていた。
「こんな事で僕を抑えられると思うなんてね!」
エイベルが高らかに笑う。
らせんが粉々に砕け散る。エイベルの両の手のひらから、激しく光る白い球が生まれ、辺りを蹂躙していく。
「もう僕の命でどうこうできる事態じゃないんだ。ゲベート王国は君たちのせいで無茶苦茶になっているんだ」
大地が割れていく。裂け目からも激しい光が生まれている。
光は恐るべき熱量で雨を蹴散らし、蒸発させる。
エイベルの奥義が発動したのだ。
大地を初め、全てのものが消滅していこうとしていた。
そんな光がギルバートやスバルに迫り来る。気を失って倒れているフローラも助からないだろう。
崖の下にいるエイベルの軍勢の歓声が聞こえだす。彼らは勝利を確信している。
「ゲベート王国、万歳! エイベル様、万歳!」
光は天高く伸び、荘厳な柱をいくつも作っていく。分厚い雨雲に穴をあけ、やがて消し去っていく。
ギルバートは放心状態になっていた。
「……こんな事があるのか」
「おい、どうするんだ!?」
スバルが大声を発しても、ギルバートは星空を見上げるだけだ。十字を切った後で、両手を広げて深呼吸をしている。
スバルは舌打ちをした。
「神頼みかよ」
「それに近い」
ギルバートの口調はあまりにも冷静だ。
スバルは癒しの剣を構え直す。
「何か考えがあるんだな」
「考えというより賭けだ。メーア王女の声が聞こえた」
「ナトュール国の第一王女って奴のか? なんで?」
「魔力の波長を合わせてきたようだ。死に掛けているようだが、俺に力を貸すらしい」
ギルバートは再び深呼吸をする。両目を閉じて集中している。
光がギルバートの足元を崩す頃に、スバルは雄叫びをあげて剣を振った。
ロベールがいくつものナイフを投げているのが見えたのだ。
ナイフは一本もギルバートに刺さらなかった。スバルが全て弾いたのだ。
スバルはフローラを抱えて、崖から落ちない位置まで走った。
ギルバートは両手を広げたまま、真っ逆さまに崖から落ちる。
そのギルバートを追撃するように光の柱が迫る。
エイベルが狂ったように笑う。
「終わりだよ、ギルバート!」
しかし、スバルの勘は告げていた。
ギルバートの命が奪われる事はないと。
どこからともなく、せせらぎが聞こえ始めていた。




