7.狼男
男は両目を血走らせ、獣のように吼えながらスバルに殴りかかる。
スバルの右手には男から奪った剣があり、切り捨てる事はたやすいと思われた。
しかし、スバルの背筋には悪寒が走る。
スバルはシュネーの頭を押さえつけ、しゃがんでかわす。男の手は空ぶるが、瞬時にスバルの頭に蹴りを入れる。スバルは首を傾けて紙一重で回避し、立ち上がると同時に男に切りつける。
剣の一閃は、素人目でも明らかに男を足元から肩にかけて斬っていた。だが、男は痛がる様子もなくスバルへ襲い掛かる。その身体には、濃い体毛が生えていた。
男の指には先の鋭い爪が伸び、男の口には鈍く光る牙がある。その姿は、まるで狼であった。
スバルは男を蹴り飛ばし、シュネーの手を引っ張って間合いを取りながら、顔色を青くした。
「あんた何者だ!?」
「ご覧のとおり、狼男だ。僕は国王から力を分け与えられた選ばれた人間なんだ。国王に逆らう者はどんな理由があれ、始末する!」
狼男は満月に向かって吼えた。遠くから、同じような咆哮が聞こえだす。
高らかな咆哮が響き渡り、こだまする。獣達の血なまぐさい宴の始まりが告げられようとしていた。
狼男の仲間が集まれば、スバルに助かる道はないだろう。
スバルはシュネーの右手を強く引っ張って声を掛ける。
「走れ!」
シュネーは頷き、青息吐息で足を動かす。しかし、既に散々逃げてくたびれているのか、狼男のスピードに比べてあまりにも遅い。狼男が追いついてくる。スバルは剣を狼男の左足に突き刺した。
狼男は薄ら笑いを浮かべた。
「僕の身体が得物より弱いと思うのか?」
剣は刺さったが、案の定ダメージはほとんどなかったようだ。狼男は不適に笑いながら剣を抜き、道端に捨てる。
スバルは苦笑した。
「なんのためにそんな立派な長剣を持っていたんだ」
「国王の命令で、あまりこの姿を晒すわけにはいかないから。反乱兵を殺す時は例外だけど、人間の姿で戦うための武器も必要なんだ」
剣が乾いた音を立てて地面に落ちるのと同時に、狼男は強靭な脚力でスバルに跳びかかる。鋭い爪の数々が、スバルへ襲い掛かる。いくつかは紙一重でかわすものの、丸腰で十本の爪を同時に避けるのは不可能だ。スバルの肩に、腕に、膝にと傷口が開く。
だが、スバルも無抵抗であったわけはなく。
狼男の鼻づらに強烈な殴打を食らわせていた。
「……っ」
狼男は鼻を押さえて距離を取る。体毛に覆われていない部分は強化されていないようだ。狼男はもだえている。
スバルは声を荒げる。
「シュネー王女、何か持ってねぇか!?」
シュネーは唐突に話しかけられて戸惑い、両目をしばたたかせた。
「何かって何を?」
「狼男が相手じゃ、殴る蹴るとかじゃトドメが刺せねぇ。銀のアクセサリーとかないか?」
「え……」
シュネーは首元に手をやる。その手元には、かすかに光る小さな丸い宝石がある。宝石は鎖状の輪っかにつながれて、シュネーの首にかかっていた。
輪っかはおそらく銀製だろう。
古来より、王家の人間は銀の小物を所持していた。銀は人間の五感では分からない毒物に反応して黒くなる性質があり、幾人もの王家の命を救ってきたからだ。銀のスプーンを用いてスープを飲もうとしたらスプーンが黒くなって毒物の混入が発覚し、毒入りのスープを飲まずにすんだ、などは典型例だ。
また、その白い輝きから宝飾品として好まれる事も多い。囚われの身であったシュネーが持っているかは賭けであったが、どうやら奪われていなかったらしい。
スバルは右の手のひらをシュネーの前で広げる。
「わりぃが、貸してくれ。俺とあんたが助かるためだ」
「あ、あなたは何か持ってないの!?」
シュネーは胸元の宝石を握りしめながら、顔を赤くした。よほど渡したくないらしい。