挿入話:メーアの決意
ゲベート国の地下室は、苔の臭いが充満していた。誰も掃除をしないため、ほこりが溜まっている。不衛生極まりないこのフロアには、既に処刑が決まった面々ばかりが閉じ込められている。
鉄格子のはめられた牢獄が数個あり、ゲベート国王にゴミと断じられた者たちが閉じ込められている。
しかし、例外的に鉄格子の外に出されている者がいる。
巨大な水槽に入れられた人魚だ。長い銀髪を揺らめかせて、見る者を妖しく惑わしそうだ。どうせ逃げられないと判断されたのだろう。その正体は、ナトュール王国の第一王女メーアが、ゲベート国王の魔力により姿を変えられたものだった。
メーアが巨大な水槽から顔を出した。
「シュネー、よく聞いて」
鉄格子に閉じ込められた猫耳の銀髪少女が顔をあげる。ナトュール王国の第二王女シュネーだ。空腹と眠気をこらえて、耳をそばだてる。
「はい、メーア姉さん」
「ギルバート王子から返事がないの。きっと、助けを求める声が届いていないのでしょう。水の精霊に尋ねたところ、エイベル王子に苦戦しているようね。全力で戦っても負けるかもしれない」
人魚は途切れ途切れに、一言一言を紡いでいた。
シュネーは歯噛みした。メーアの声は本来は透き通っていて、聞き惚れるものだった。しかし、今はか細く、消え入りそうな声だ。暗くて表情が見えなくても、苦しそうなのが分かる。
「シュネー、落ち着いて聞いて。私はあなたを助けたい。私はもう長くない。一縷の望みにかける」
「どうするの?」
シュネーは嫌な予感がしていた。心臓の鼓動が早まり、背筋がひどく寒くなる。
「ギルバート王子に莫大な魔力を与えるために、命を捧げるの。あなたを助けてくれるかもしれない」
メーアの返答は、シュネーの予想どおりのものだった。
ナトュール王国に伝わる秘術だ。メーアにしかできない。海の精霊の全魔力を一人の魔導師に注ぎ込み、膨大なエネルギーを使わせる。海の魔力を注がれた魔導師は、うまくいけば無敵になれる。ただし、犠牲が大きい。メーアの体力が持たないのもそうだが、魔力を注がれた側の命の保証はない。莫大な魔力の奔流に耐えられず、命を落とす可能性がある。
その危険性を、メーアは承知している。
「ギルバート王子ならうまく扱うでしょう」
メーアの声は消え入りそうだったが、確かな決意を感じた。
覚悟はしていた。手段は残されていない。
しかし、頭と感情は必ずしも連動しない。
「軽々しく命を捧げるとか言わないで!」
シュネーの口調は、どうしようもなく激しかった。
「メーア姉さんが死ぬなんて、絶対に嫌! ねぇ、よく考えて。海の精霊の魔力をうまく使うとか、他にできる事はないの?」
「それができるなら、私はもうここから逃げているわ。制御可能な魔術では、どうしようもないの」
あまりにも最もな反論。
しかし、シュネーは納得したくなかった。
「絶対に嫌! そんな方法で助かりたくない!」
「シュネー! あなたにはナトュール王国の再興がかかっているのよ!?」
メーアが珍しく声を荒げた。
「立場を自覚しなさい! ナトュール王国の王女でしょう?」
「メーア姉さんは第一王女だよ。死んじゃダメ!」
「身分は関係ないわ。このままでは、二人とも殺されてしまう。一刻も早く手を打たないといけないの」
「もういいよ、手遅れだよ!」
言った後で、シュネーは口を両手で押さえた。あまりも感情的な発言だったと気が付き、後悔した。
「……ごめん」
シュネーは謝った。
メーアは水に潜っていた。怒っているのだろうか、悲しんでいるのだろうか。長い銀髪を水中に揺らめかせながら、天井を見上げているようだった。
シュネーは必死に声を張り上げた。
「本当にごめん! 今のナシにして! メーア姉さんは何も悪くない」
メーアは再び水面から顔を出した。
「いいえ、悪いのは私よ。そもそも、ゲベート国に戦争の大義を与えてはいけなかった。ギルバート王子との婚約を破棄してはいけなかった。でも、私にはそれができなかった」
震える声だった。泣いているのかもしれない。
「あの人が、別の女性を愛しているのは分かっていたの。でも、言い訳にすぎない。私が冷静な判断をしていれば、ナトュール王国の滅亡は防げた。国を助けられなかった愚かな姉だけど、妹だけは助かるように、一縷の望みにかけさせて」
メーアが人語を解さない言葉を口ずさむ。海の精霊に語りかけるための呪文を唱えているのだろう。何を言っても聞いてくれないくらいに集中しているはずだ。
それでもシュネーは語りかける。
「メーア姉さんは何も悪くない! 自分を責めないで。私はメーア姉さんが助かるように神様に祈るから、死なないで!」




