70.迷うな
「相手が悪すぎるな」
口を開いたのはウルスラだった。双剣の片割れを握っているが、満身創痍だ。膝を地面について、肩で息をしている。アレクとガイルは虫の息だ。ウルスラの仲間たちも倒れている。
唯一立っているスバルも傷だらけだ。
対して、エイベルは傷一つ負っていない。ギルバートが生み出したらせん状の影を躱し続けている。ギルバートは弓兵の動きを封じる事にも魔力を割いた。彼の魔力が底を尽きるのは時間の問題だろう。
ウルスラが背中に結わえていた剣を降ろす。
「スバル、諦めて癒やしの剣を使え」
「……その時が来たら考えてやるぜ」
「今がその時でなければいつ……!?」
ウルスラは反論しかけて、地面へ倒れ伏す。虚空から出現したロベールに背中を蹴られて、堪えきれなかったのだ。あっけなく倒れる姉を横目に、スバルは毒づいた。
「偉そうにしやがって。しばらく寝てろ」
「あなたもお眠りください。永遠に」
その声は、穏やかに流れる風のようだった。ロベールだ。優しげな瞳と目があった瞬間に、馬の前足が襲いかかる。スバルは地面を転がるようにして躱したが、激しい痛みを感じていた。傷口に運悪く岩肌が当たったのだ。血が体力と共に流れ出ていく。
「クソが!」
思うように動かない身体に対する怒りと、焦りを悪態で誤魔化す。スバルの目は死んでいない。消えたり出現したりするのを繰り返すエイベルとロベールを睨み、剣を構えていた。
しかし、体力の限界は近かった。いつものキレがなく、剣を振るっても、ロベールを捉える事ができない。相手が丸腰でなければ刺し殺されていたかもしれない。
「スバル、殺されてしまったら敵討ちができないだろう」
ウルスラがかすれた声で呟いた。
癒やしの剣が音を立てて、スバルの足元に転がった。ウルスラが残された体力と精神力で放り投げたのだ。
「呪われし血族に有効だと聞く。おまえの剣撃がエイベルに届くだろう。無駄死にしたくなければ使え……」
そう言って、ウルスラは何も話さなくなった。気を失ったのだろう。
無駄死に。
それはあってはならない。無念の内に命を落とした仲間たちへの裏切りだ。
癒やしの剣はスバルの仇の一人が使っていた。手に取るのはためらいがある。躊躇と仲間たちへの想いが天秤にかかる。
「ここは戦場です。迷うなら死になさい」
ロベールの言葉はスバルの動揺を誘う。生き残るには最善の手を尽くさなければならない。しかし、最善の手を尽くすのも裏切りだと思えてしまう。
馬の前足が襲いかかる。全体重を乗せて、スバルを踏み殺そうとしている。受け止められるはずはない。避ける体力も残っていない。スバルの脳裏に死がよぎる。
その時、大気を切り裂くような怒号が響き渡った。
「迷うな!」
感情がむき出しにされた、熱い言葉だった。ギルバートだ。スバルは咄嗟に癒やしの剣の柄を握り、鞘ごと持ち上げて馬の前足を弾いた。馬は悲鳴をあげて、スバルと離れる方向へ飛び退いた。
「嘘でしょう」
ロベールは巧みな手綱さばきで馬を落ち着かせながら、両目を丸くして感嘆の声をあげた。
「人間が馬を弾くなんて」
「……癒やしの剣は選ばれた血筋に膨大な力を与えるからね。持ち主を守るために結界を張ると聞いた事がある。初めて見たけど、恐ろしいね」
エイベルの額に汗が滲んでいる。血の滲んだ右肩を抑えていた。しかし、微笑みを絶やしていない。
「でも、ギルバートも手傷を負うはず。だって僕の兄弟だから。そうだよね?」
沈黙は肯定を表しているのか。黒い魔導士は姿を現さない。エイベルは笑った。
「僕は安全な方法で君たちを仕留めるとするよ。手始めに、フローラという女を殺しにいこう」
エイベルは、ロベールが操る馬ごと姿を消した。
「……まったく。ちょこまかとうるさい奴だ」
スバルの横から、黒い逆五芒星の魔法陣が出現する。その魔法陣の中心からギルバートがゆっくりと現れた。
「スバル、その剣を握るのは最小限にしろ」
ギルバートは脇腹を抑えていた。いつのまにか斬られていたらしい。相変わらず淡々とした口調だが、微かに焦っているのが窺える。
スバルは癒やしの剣を地面に置いた。
「……言われなくてもそうするぜ。で、どうするんだ? フローラを殺しに行くと言っていたが」
「どこにいるかは俺もエイベルも分かっている。おまえは先に行け」
「分かった。けどよ、どうやって……!?」
スバルが尋ね終わる前に、ギルバートは呪文を唱えていたのだろう。スバルの足元の影が形を変えて、人間と同じ大きさの黒い鳥となる。黒い鳥はスバルと癒やしの剣を強制的に浮かばせた。
「行け。報告は後でまとめていい」
「おい、心の準備がああああ!」
黒い鳥は急加速で飛び立ち、あっという間にスバルと癒やしの剣を連れて行った。
ギルバートはしゃがみ、呪文を唱える。脇腹の傷の痛みが引いた。
「これでエイベルに集中できる」
立ち上がり、空を見上げる。その先には、切り立った崖が見えていた。
戦闘前に、フローラと話をした場所だ。




