67.消えない微笑み
辺りはいつのまにか夜が訪れようとしていた。
日差しは消え、周辺は闇に包まれていく。大気が痛いほどに冷たくなる。
しかし、スバルの身体は燃え立つように熱かった。
目の前に、同胞の命を奪った大敵がいる。相手がどれほどの人格者であっても、許せるものではない。
スバルは大地を蹴る。時折、クーガの弾いた矢が飛んでくるが止まらない。
ためらいは無くなっていた。呪われた黒剣に心を預け、仕留める。それだけが今のスバルの行動原理であった。
クーガが悲痛な面持ちで、黒剣を受ける。癒しの剣と黒剣がぶつかる瞬間に、キイィイと甲高い金属音が響いた。癒しの剣は淡い光を四散させ、黒剣は闇を散らした。
クーガが距離を取ろうとさがるほどに、スバルが猛追する。攻防が止むことはない。
光と闇が入り乱れ、飛び交う光景は苛烈であった。
矢が飛んでくる。クーガを仕留めるためのものだ。スバルをかすめる事もある。痛みはなかった。感じるのは煮えたぎる熱だ。
「やめろ! こんな戦いは意味がない!」
クーガが叫ぶが、聞き流す。仲間の仇を討つのに無意味などあるのだろうか。浮かばれない仲間の想いを受け継ぐのに、なんのためらいがあるだろうか。
スバルは黒剣を振りかぶる。全身全霊を込めてクーガの脳天を目掛けて振り下ろす。クーガは矢をいなしつつ、黒剣を右に跳んでかわす。スバルの背中はガラ空きになった。
矢が飛んでくる。目標を外したのか、スバルの背中に刺さろうとしていた。それでも構わないと思った。なんとしてでも、クーガを仕留める。黒剣をクーガへ突きだす。癒しの剣で受け止められるだろうが、クーガの体力は削られている。勝利は目前だ。
そんな時に、スバルには信じられない光景を目にする。
クーガが、スバルに刺さるはずの矢を払った。癒しの剣は、黒剣を受け止めない。黒剣はクーガの左胸を貫いた。
「な……」
なんのつもりだ?
スバルはそう言いたかったが、言葉が出なかった。クーガがスバルを突き飛ばす。黒剣はクーガの胸に刺さったまま、スバルの手を離れた。
クーガが倒れる。
シリウスが歓声をあげる。
「やったぞ、クーガが死んだ! 反乱の芽を摘んだぞ!」
シリウスが乗る馬も、いななく。茂みから、矢筒を背負った男が数人出て来る。あまりよく知らない顔ぶれだが、弓の名手たちだ。皆一様に喜びの声をあげる。
しかし、スバルは釈然としなかった。
「クーガは俺をかばって死にました」
「結果が良ければなんでもいい! これでギルバート王子も安泰だ」
シリウスはくぐもった声で、引き上げの命令をくだした。
スバルは辺りを見渡す。大量の矢が地面に落ちている。風は血の臭いを運んでくる。おそらく、村人は殺されている。
スバルは溜め息を吐いて、その場を後にしようとした。
その時、声がした。
「お兄ちゃん、そいつらやっつけて!」
フィンだ。村で知り合った男の子だ。
「そいつら、すごく怖いし嫌な奴らだ。お願い、やっつけて!」
「……騒がなければ見逃してやったものを」
シリウスが槍を構える。男たちが矢をつがえる。フィンは悲鳴をあげて後ずさったが、スバルに涙目で訴える。
「そいつら野盗より悪い奴らだ。お兄ちゃん、やっつけて!」
「……逃げろ、フィン。そいつはおまえが知っているスバルじゃない」
声は意外な所から聞こえた。クーガが血を吐きながら言っていた。
クーガは起き上がり、左胸の黒剣を引き抜き、構える。
シリウスが驚嘆する。
「馬鹿な、死んだはず!?」
「あいにく、地獄から追い出されたらしい」
クーガが自嘲気味に笑う。
シリウスは激昂した。
「スバルのとどめが甘かったのか。死に損ないが!」
スバルは心外であった。確かにトドメはさしたはずだ。なぜ生きているのか不思議だ。クーガの左胸から血がしたたっている。死に損ないなのは間違いない。
シリウスの号令で、クーガに向けて一斉に矢が飛ぶ。しかし、その全てが薙ぎ払われた。
「体力がゴリゴリ削られる。さっさと片付ける!」
クーガが地を蹴る。男たちは矢をつがえる間もなく倒れていく。その速さに、スバルはぞっとした。
「あっさり倒されるとは情けない!」
そう言っているシリウスも、馬ごと切り裂かれた。
スバルの思考は停止していた。本当に恐ろしいものを前に、考える余地がない。
しかし、身体は勝手に動く。クーガが手放した癒しの剣を拾い上げて、黒剣を受け止める。信じられないような圧力がスバルの全身を襲う。両腕がしびれる。重い一撃だ。
クーガがかすれた声で口を開く。
「俺の気持ちは分かったか? この剣に襲われると、すごく怖いだろ」
スバルが距離を取ろうとしても、黒剣が迫る。受け止めるたびに、スバルは全身が悲鳴をあげるのを感じていた。
しかし、スバルは乾いた声で笑った。
「てめぇは長く生きる事はできないぜ。ここで俺が死んでも、俺の任務は完了だ」
「そうだな。じゃあ、新しく任務を言っておく」
いったい何を? 俺に任務を課す立場じゃねぇだろ。
スバルはそう言いたかったが、圧力が酷くて口を動かせなかった。
クーガが微笑む。
「俺の代わりに、ギルバート王子に報告してくれ。食い物に困った善良な人間たちが、盗賊になっていたと」
血を吐きながら言っていた。
「約束してくれ。この世界の平穏のためだ」
「……余計な事を言うつもりはないぜ。シリウス隊長が葬られたのは報告するが」
「機会を作って言ってくれ。王子は気づいているだろうが、後押しがほしい」
子供をあやすような優しい声だった。
黒剣が突きの構えを見せる。それを握るクーガの手が震える。
「口だけでいい。そうでないと、俺はおまえを殺してしまう。俺に殺されたら、それこそ死んだ仲間が浮かばれないだろ」
スバルは逡巡した。黒剣の突きは強力だ。いともたやすく骨と心臓を刺し貫く。防ぎようがない。
クーガの瞳が虚ろになっていく。間もなく意識を失うだろう。
「もうすぐ俺は黒剣に意識を奪われる。俺はおまえを殺したくない。フィンのお兄ちゃんだしな」
フィンは涙を流していた。
「お兄ちゃん、お願い!」
「口だけなら、いいだろ」
クーガが言葉を重ねてきた。
スバルは溜め息を吐いた。
「どうやって黒剣を封じるから知らねぇが、分かった。機会があれば起こった事は報告する。これでいいのか?」
クーガは笑顔を見せた。そして、黒剣で自分の胸を刺し貫いた。
「ありがとう、これで大丈夫だ。黒剣は俺を殺すために作られた。俺が死ねば殺戮に走らない」
クーガは地面へ崩れ落ちた。そして目を閉じる。
「スバル、フィン、どうか幸せになってくれ」
それ以降クーガがしゃべる事はなかった
「クーガ? クーガ!?」
フィンが駆け寄る。何度も揺り動かすが、クーガは目を閉じたままだ。
「嘘だ、なんでクーガが!?」
フィンはスバルに向き直る。
「お兄ちゃんの馬鹿、バカバカ!」
子供の罵倒を受け流しながら、スバルは沈黙していた。
クーガに触れる。少しずつ冷たくなっていく。
しかし、微笑みは消えていなかった。




