44.守るべきもの
巨大なシャンデリアが揺れる。
壁際で事態を見ていた貴族が悲鳴をあげる。ギルバート王子は本気だ! 誰か止めろ!
実際に、ギルバートの目は本気だ。天上に住まう神々に反逆しそうな、黒い感情が窺える。
無数の灯りを抱くシャンデリアが揺れるたびに、大広間にいる貴族や弓兵たちの影が激しく動く。貴族や弓兵は、恐怖を通り越して、呆然としていた。
ディーザは苦虫をかみしめたような表情を浮かべる。下手に仕掛ければどう利用されるか分からない。奥義は防がれた。単純に殴る、蹴るなどの攻撃が最も確実だ。両の拳を握り、ルシフェルの指令を待つ。
国王であるソーラーはルシフェルに命令する。
「なんとかしろ」
「分かっています」
ルシフェルの返事は早かったが、微笑みが消えている。いつもの余裕がないのだろう。ギルバートがどんな魔法を使うのか分からない。部下をどう動かすべきかの判断ができない。
事態は刻々と進んでいく。
巨大なシャンデリアが落下した。
一瞬の事だった。シャンデリアは自らの重さのために粉々に散る。無数に灯されたろうそくは無造作に床に落ち、転がる。ろうそくの火は赤いじゅうたんに移り、燃え広がる。
それだけでは収まらない。炎は床を駆け、壁際へと一直線に走る。ギルバートの魔力のせいだろう。軍事的な訓練をうけている弓兵たちさえ驚愕した。
貴族は混乱し、互いを押しのけて、われ先にと外に出ようとする。誰かが転んだら、踏みつけていく。
その様子を見て、ギルバートは静かに笑った。
「国を守るべき貴族がこの様では、ゲベート国は長くない。この城は炎に焼かれ、崩れ落ちる。守れるものを守るのがせめてもの手向けだ」
ギルバートはフローラを見る。フローラは泣きながら辺りを見渡ている。彼女にとってギルバートは知らない人だ。しかし、相手がどう思っていようと守るべきものは存在するとギルバートは考えていた。
「おまえの記憶を守れなくて、すまなかった」
ギルバートが呟くと、フローラは首を傾げた。記憶を奪われた心優しい娘は、ギルバートには思いもよらない言葉を発する。
「あなたがどうしてこんな事をするのか分かりませんが……もういいでしょう、辛いのはきっとあなたです」
フローラはギルバートに抱きついた。茶髪の娘は白く細い手を、黒い魔導士の背中に回す。自らの耳を相手の胸に押し付ける。
「あなたの鼓動が聞こえます。とても速くて、悲しいほどに荒れ狂っています。辛いのですね。でも、こんな恐ろしい事をしてはいけません。見てください。人々が恐怖で逃げ回っているでしょう。あなたは楽しめますか?」
ギルバートは言葉を失っていた。楽しいはずなどない。しかし、フローラのために貴族や王族へ怒りをぶつけた事を、フローラに咎められるとは思ってもいなかったのだろう。
沈黙が流れる。
炎が壁を、床を焦がしていく。火の手は広がり続ける。
貴族が慌てふためく中で、王子たちは冷静であった。
ルシフェルが口を開く。
「ギルバート、あなたが望むならすぐに炎を消しますよ」
穏やかで、優しい微笑みを浮かべている。
レイブンが操る反乱兵も笑っていた。
「私が王城にいるとは限らないというのに……呆れたものだ。今のおまえでは私の足元にも及ばぬよ」
「足元にもだと?」
ギルバートが反乱兵を睨むのを、ルシフェルは笑って見ていた。
「レイブンは娘の魂を壊す事だってできます。どうしてそうしなかったと思いますか? ヒントは、一度壊れた魂は二度と戻らない事です」
答えは容易に導けた。
しかし、ギルバートにとってそれを認める事は戸惑いがある。レイブンの素性は知れない。
ルシフェルがくすくす笑う。
「娘の記憶を戻す心づもりがあるからですよ。あなたが反乱軍と戦うなら、足枷が必要なくなり、娘の記憶を奪う理由もありません」
「……俺に仲間たちと戦えと言うのか」
ギルバートが確認すると、ルシフェルは静かに頷いた。ルシフェルが呪文を唱えると、炎が消え、壁や床の焦げが消え、無数のろうそくがシャンデリアへと戻り、壊れたシャンデリアがひとりでに浮かび上がって天井につながる。
時間が巻き戻されるような、不思議な現象であった。
ルシフェルが話を続ける。
「レイブンは娘の魂を壊し、生きる人形にする事もできます。あなたは決して私達には勝てません。忘れないでください」
穏やかな物腰に、第一王位継承者の威厳を併せ持つ。ディーザと共にゲベート国を守る絶対的な存在だ。
ギルバートはフローラの両肩を掴んで、自分の身体から引き離す。黒い魔導士は寂し気に笑っていた。
「聞いたか、フローラ。俺はこれから仲間を殺していく。おまえがもし反乱軍に加わるなら、おまえも殺さなければならないかもしれない。故郷へ戻って、今日の事を忘れて暮らしてほしい」
「……故郷へ帰ります。でも、あなたはどうして仲間を殺すのですか?」
「知らなくていい。俺の前に二度と現れないでほしい」
ギルバートが言い放つと、フローラは大粒の涙を流した。何度ぬぐっても、涙が途切れる事はなかった。




