拾壱縁
「そこについては海斗さんも悪くありません。気にしないでください」
慣れないと迷いやすい一角。そこに生徒会室がある。そこに居るのは、俺と姐さんだけだった。
過去、土曜日、そしてここ数日の出来事を正直に話した。姐さんに甘えてしまっているのは分っている。ただ、もうこれぐらいしか手段が思い浮かばなかった。
「蓋をしきっていた過去を見つめ直す事が出来たのは、海斗さんにとって大きな収穫でもあります。それでも問題があった。それは何故だと考えます?」
「やっぱり……左腕に傷痕を残すような怪我をさせてしまった事か、俺の最後の言葉か……」
「前者はありえません。後者は、当時の恭子なら思ったかもしれませんが、今は違うでしょう。恭子自身それを盾にはするでしょうが、本質とは異なります。隠していたのも恭子自身の為ではなく、海斗さんが思い出さない様にしていただけでしょう」
では何なのだ。分からない。そこが、分からないのだ。何故、恭子はあそこで退いたのか。何日も考えた。それでも、答えが出てこない。
その姿を見兼ねてか、姐さんは大きく溜息をついた。
「本来ならば、海斗さんが時間を懸けてでも見つけるべき答えですが、私としても恭子が此処に来ないのは困ります。なので、ヒントをあげましょう」
そのヒントとは、俺が恭子に再会した当初に思い出した黒歴史。それは、事故に遭う前。十年前の出来事。
幼き頃の俺は、公園でブランコを漕いでいた。隣では恭子が、倍程の振幅で漕いでいた。恭子は前方に大きく漕ぐと、勢いをつけてブランコから跳び降りる。弧を描き、いくつもの線が書かれている地面へと舞い降りる。舞い降りた場所は、どの線よりも遠い位置だった。
恭子はこちらに振り向き、満面の笑みと大きなVサインを押し出す。
「やった! 新記録~♪」
どこまで遠くに飛べるか。恭子は俺にまで強要していた。それほど運動能力も良くなく、まだ小学生でもなかった俺には、出来るはずもなかった。そんな俺にじれたのか、恭子はよく背中を無理矢理押した。それでも絶対手を離すものかと握っていたら、一回転して死に掛けた思いをしたこともある。こうなった時はもうさっさと飛ばなければならないのだ。
――目を瞑りブランコから飛び上がる。
感覚が左にずれてゆき、左側が熱く、痛くなる。低空で飛び、左を擦っていったのだ。
あまりの痛さに大声で泣き叫ぶ。
「もうかー君ってば、いっつもいっつもうるさいな。ほら、傷口だして」
その原因を作るのは恭子だろ、という考えも当時にはなかった。ただ痛みに泣きじゃくる事しかできなかった。
泣き止まない俺を強引に起こし、擦り傷を探す。擦った場所を見つけると、砂が付着しているのもお構いなしに傷口を舐める。これがまた染みて痛かった。俺の泣き声はさらに大きくなる。恭子は俺の頭を押さえ付け、「泣かないのー」と言い聞かすが、無理な注文だった。
このような出来事が日常茶飯事であり、この世で最も恐ろしいものの代名詞は、恭子となった。それは、今なお至る。
ただし、最近はそんな事が可愛らしいと思えるぐらい、恐ろしい物事に突っ込んでいた気もしなくはないが。
――つまるところ、俺は恭子が苦手なのだ。
「優希さんの時に、言う事を聞く約束をしたのを覚えていますね。あの時、私が恭子に見せていた紙を覚えていますか?」
ずっと気になっていた。恭子が悩み続けたあの紙には、何が書かれていたのだろう。
「私があそこに書いたのは 過去の一言を無かったことに です」
十年間、そして今も恭子を傷つけ続けてしまっている俺の言葉。恭子はあの時、直ぐにそれを受け入れなかった。そして、俺とのデートなんかに変えてしまった。自分が楽になれたのに、そうしなかったのか。
「私達が海斗さんを奪い合って戯れている時、恭子だけは一歩退いていました。何故でしょう」
恭子の勘違いが、ようやく解かった。恭子は、自分は嫌われていると思っているんだ。
俺は恭子に対し、冷たくあしらってきた。それは苦手意識があったからであり、嫌いなわけではない。恭子のいい所だって沢山知っている。
「お解り、いただきましたね?」
やはり、俺が悪かったのだ。そしてあの時、聞こえなかった事。恭子が呟いたのは、「これ以上嫌わないで」という事であろう。
こんな勘違いのまま、終わりたくない。
「それでは次に移りましょう。お手伝い、いただけますよね?」
いきなりプリントを渡される。
さすがは姐さん。行動が尋常じゃ無く早い。しかしなんのプリントなのだろう。目を下してみる。
復活! 猿投高校サバイバル。今週金曜日開催。
大きな文字情報で既に固まった。サバイバルって一体どんなイベントだ。
詳細にまで目を下していく。読めば読むほど、不思議なイベントだった。
このイベントは男子と女子で別れる。男子は狩り、女子は炊出しらしい。これは後で立花から聞いた話だが、元々男女共同、全校生徒で調理実習するイベントがあった。しかし何故か、男子の料理に関しては壊滅的で、毎年救急車が準備されていた程だったという。生命を脅かしかねない危険があったため、男子は狩りをさせようと二年前に変わった。しかしその狩りというのが、全校生徒から選ばれた男子十人を残りの男子生徒が、ペイント弾で狩るという、残虐非情なもの。
ルールは時間制限内に十人を打ち取れば狩り側の勝ち。逃げきるか、狩る側を全滅させれば狩られ側の勝ち。勝者が炊出しを食べる権利をもらえる。
当然こんなイベントは、その年で終わってしまった。使用されるペイント弾は当たり所が悪いと骨折するような代物。狩られ側十人の内、八人が骨折したらしい。選ばれたということはそういう怨念があった故での結果なのだろう。
あの調理実習館が役立っていたことにも驚きだが、選ばれる十人という文字を見ていると、背中から嫌な汗が湧く。自分の立ち位置を鑑みると、それこそ全校男子生徒に恨まれても仕方ない位置にいるのだ。
「海斗さん、それについては諦めてください。貴方は十人側で勝つ。それしかありません」
背中から声が掛けられた。
この御方は手助けしてくれるが、本当に高いハードルを用意してくれる。
それでも、恭子に近づけそうなイベントは確かなのだ。
∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽
金曜日。無論と言うべきなのだろう。男子票の八割以上を集めた俺は狩られ側、mob組にいた。mobとはネットゲームでいう、狩られるモンスターにちなんでつけたのだろう。しかし、本来は群衆という意味であり、逆だろうというツッコミをしようか小一時間悩んだが、止めておいた。女子からの票こそ零に近かったとの事だが、狩りに参加するのは男子だけ。既に戦場にいる八割から敵視されているのに、ここでさらにアピールしても絶望が深くなるだけだ。
左耳から、ノイズが走った。
「俺には関係ないが、お前は大変そうだなぁ海斗。アーハッハッハッハッハ」
ちなみに女子から九割を超える圧倒的な票数を獲得したのは漢の味方、立花である。手作り料理という魅力に負けて裏切る男が大半だろうが、お気楽な立花にそんな考えは浮かばないようである。
標的が減るのはこちらとしても痛手だが、それでも生き延びられるぐらいなら蜂の巣になっていただきたい。欲を言えば、そこで一秒でも長く堪えて欲しいものだが、天城家での不甲斐なさを思い出し、諦める。
再びノイズが走り、違う声が聞こえた。
「何故俺がこちらにいる……」
実のところ、俺と立花だけで全校生徒の殆どの票をかき集めてしまった。その為、残りの八人は一桁なのにmob組に入ってしまっている。
その一人が南風原将である。考えられる理由は彼女が女優だから、ぐらいである。きっとうちのクラスメイトだけの七票。ドンマイとしか言いようがない。
「将はどうするんだ? 飯なんていらないだろ」
今年、新ルールがいくつかできた。狩りに関してmob組が余りに不利な為、mob組には無線が配られている。そしてヘルメットと胸にリンゴ大程度の白い的がついており、ペイントが付着してしまった時点で退場となる。一方、狩り側はジャージを含め体のどの部分にでもペイントが付着してしまえば退場となる。一見、mob組が有利になった様に思えなくもないが、それでも十対六百強。数の暴力には及ばない。
炊き出しの方でも女子にも新ルールができた。今までは、炊出しをして勝ったほう(例年狩る側)に振舞うだけだったのだが、今年はもう一品を各々が作ることになり、それを男子一人に渡すというイベント。この結果次第で男としての何かの格差が広がると思うが、それすらも姐さんの楽しみなのだろう。恐ろしい御方である。
南風原将という男は、彼女以外の女の手料理など食べない。参戦意欲も無いだろう。このままでは、すぐに死ぬと分かっている立花を含めると、いきなり八人になりかねない。能力的にも是非とも戦って欲しいのだ。
「料理などどうでもいいが、怪我は困る。怪我してしまっては、藍那が悲しんでしまう。それだけは断固阻止だ。ということで、降りかかる火の粉は振り払うが手助けはせん。せいぜい生き延びろ」
無線からその他mobから死ね! 羨ましい! 等の野次が飛ぶ。しかし参戦意欲があると分かっただけでも俺は多少なりとも楽になった。
スピーカーが震え始める。
「それでは紳士の皆様。準備は宜しいでしょうか」
男共の咆哮が、校舎を揺らす。今遭遇しては絶対にいけないという警告が、体中を駆ける。
――大きな鐘の音が鳴った。三時間に及ぶサバイバルが、今始まる。
「ぎゃぁぁあああああ」
あまりに早い悲鳴が、ノイズと共に左耳から流れた。
「ぎゃぁぁあああああ」
そして時間差で、遠い運動場のほうから聞こえた。
立花……一分持たなかったな。役立たずめ。
すぐに、学内に大量に設置されているモニターに、立花が殺される場面のリプレイが表示される。
文字通り、殺される瞬間だった。何百もの銃が一斉に立花を襲っていた。結構引きの――それも、横からの――アングルだったのだが、車で轢かれるかの様な勢いで後ろに飛んでいく立花は、序盤で既にカメラから消えていた。
ペイント弾が右から左に流れていくだけの映像が十秒近く流れる。あれで生きていたら、立花はもう人間ではない。ゴキブリと称してあげたいと思う。アレにはこれ以上ない褒め言葉であろう。なんといっても生命扱いだからな。
狩り側の鬱憤は一撃目である程度か出したのか、それからは割りと落ち着いた戦闘だった。ジャージには所々ペイントが付着していたし、足にも二回ほどペイント弾が当たり、未だに痺れが取れない。それでもなんとか逃げ切れていた。
一時間経って、現在の生き残りは三対ニ百四十三となっていた。
「ガフッ」
無線から小さな断末魔が聞こえ、残り三つとなっていたランプは二つとなった。残り二時間で、残りは俺と南風原の二人。なんとも厳しい現状だ。
「いたぞ!」
大声で叫ばれた瞬間背中に足ツボマッサージで痛い場所をゴリゴリされた時に匹敵する激痛が走る。背中から撃たれたのだ。背中からだと、どう考えても的に当たらねぇだろが。
ペイント弾の嵐が止む気配はない。俺を痛みつけるのが目的のようだ。畜生……俺が何したっていうんだ。美少女四人と戯れてたぐらいじゃねえか。
この辺りで安全そうな場所。激痛に耐え考えてみると、一つの場所に辿り着く。何故あんな位置になるのか今までよくわからなかったが、安全面から見るとどこから襲撃が来ても迎撃可能。自己防衛の意味が強いのだろうが感謝せざるを得ない。本当に頭の上がらない御人である。
辿り着いたその場所は、生徒会室。扉を開けると、いきなり逆光で動きが止まりやすい。そして両側面は、白く塗られた金属製の壁。しかも光が降り注ぐ、一面窓ガラスは防弾ガラス仕様。つまりは、入口がたったひとつであり、中からの迎撃が圧倒的有利なのだ。
敵がいるかもしれないが、迷うことなく生徒会室に飛び込む。的さえ当たらなければいいのだ。動いているほうが当たる可能性は低い。
目の前でペイントが跳ねる。目視もせずに攻撃されたであろう方向に銃口を向け、トリガーを引く。反撃は来なかった。
「海斗か。危ないぞそこ」
生徒会室にいたのは、南風原将だった。扉にペイント弾を打ち、その飛び散りで多くのハンターを殺す。
――あの扉の汚れ。俺が落すんだろうなぁ……姐さんに笑顔で睨まれながら。
「お前まで来てしまったという事は……残りの二時間を、二百と少し相手に籠城か」
将の顔もさすがに強張っていた。確かにここが有利といっても、仮に残りの二百人が一斉に突撃してきたら二人では対応しきれまい。少しでも減らさねば、勝算はないのだ。
何としてもここは勝たねばいけない。だが、変にリスクを犯して負けるわけにもいかないのだ。
「仕方ない。俺はここを出る。援護してくれ」
南風原は諦めたように、地面に祈りを捧げていた。
「男たるもの、愛すべき女は一人であるべきだ」
心の中では咲乃と決めていますとも。ただ姐さんも優希も魅力的過ぎるんだよ。そりゃあまあ……恭子も。
「が、お前は今、悩んでいる。何に対しては知らんが、そこは評価しよう」
それはありがとう。は南風原が俺を嫌っているのは薄々分かっていたが、評価されているとは思いもよらなかった。
「此処ならば一人で考えることも出来るだろ。せいぜいもっと悩むがいい」
南風原さん。あなた、本当に高一ですか? なんか悟りを開いていませんか。
「ちゃんと援護しろよ」
それだけ確認すると、颯爽と飛び出していった。突撃の機会を伺っていた連中は慄き、動けずにいた。
その隙を突き、将はことごとく死者を増やす。俺は少ない生き残りを狙い落としていった。
静かになった頃、モニターを確認するとこちらはまだ二人、狩る側は残り百五十人をきっていた。
将の優しさに感謝しつつ、しっかりと見つめてみたい。
恭子は、俺を立ち直らせたかった。しかし、結果として俺は拒絶してしまった。
再会したものの、俺にはあしらわれ続ける始末。確かに、嫌われていると思っても当然だ。苦手意識を持ち続けた俺が悪いのだ。蓋をする原因だけを棄てていなかった俺が。
恭子は優しい。いつも俺を気遣ってくれていた。いつも俺に無理をさせていたのも、恭子なりの気遣いだったのだろう。幼い頃、俺には友達が恭子ぐらいしかいなかった。あの無邪気な笑顔に、何度癒されたんだろう。
恩を仇で返すとは、正にこの事だ。
考え事に夢中になっていたのか、突撃された事に気付くのが遅れた。とっさに標的を守るものの、全身が痛んだ。天井と床にペイント弾を撃ち続けると、しばらくして「汚ねぇぞ」という罵声のみになった。向こうは飛び散ったペイントですらアウトなのだ。
的は守り抜いたが、全身が痛む。特に横腹から貰ってしまったものは、骨がいってしまったかも知れない程、脳を強く刺激していた。
痛みには慣れていた。恭子の無茶な要求。交通事故。喧嘩三昧。痛みは俺から全てを忘れさせ、気持ちよくさせてくれた。
――それなのに、この痛みはただ苦痛でしかない。
過去と向き合うだけではダメなのだ。向き合ったうえで、どうするかが大切なのだ。姐さんもそう言いたかったはずだ。
過去を完全に棄てて生きる。この生き方もありだ。
ただ、俺は中途半端なのだ。曖昧だったせいで、恭子は悩んだ。そして、より傷つけてしまった。この根本をどうにかしないと、今後より大きな問題に喰われてしまう。そんな気がした。
「済まん。海斗」
それだけで、ノイズが途切れる。モニターを見上げると、一対百十になっていた。残り時間は一時間。逃げ通すのは無理だ。もう、ここで抑えきるしかない。
外から囁き声が聞こえる。いつ突入されてもおかしくない。
俺は、勝たなければいけない。
扉が勢いよく開かれた。残り少ないペイント弾を、惜し気無く撃ち放つ。何度も、何度も。もはや動き回ることもしない。一発でも多く相手に、ぶち込む。ペイント弾が足に、腕に、肩に、横腹に当たる。それでも、的には当たらなかった。当てられる気がしなかった。
――やがて、戦は静かに幕を下ろした。
先程までの殺伐しさが、嘘のように会場は潤っていた。炊出しには大勢の男が詰め寄り、一部分だけが阿鼻叫喚と化してはいたが。
「アンタもバッカねー」
「海君、惜しかったね」
優希と咲乃が励ましに来てくれた。これがまた男達の怨念の的になるのだが、やっぱり悪い気はしない。
「咲乃。自爆に惜しいも何もないって。まあ、海斗らしいけどね」
バカといわれればバカかも知れないが、優希にバカ扱いされたくはない。お前の方がバカだ。などと、反論することも出来ない。まさか、暴発して自分に掛かってしまうとは思いもよらなかった。
勝たなければいけなかった。そう思っていたのに。
――そう思い込んでいた。
姐さんの新ルールによって、負けようが恭子に近づけるチャンスはあったのだ。そんなことに気付けない程追い込まれていた。それでも、その事を教えないあたりが姐さんの厳しさ。
「まあ元気にいこーよ。咲乃からのプレゼントもあるんだし」
咲乃の照れ笑い。あまりの眩しさに目が潰れそうになる。それはもしかしてあれか。あれなのか!
「残念ながら私と咲乃さん、優希さんの合作ですよ」
姐さん……立花みたいな登場は止めてください。反射神経で攻撃しかねないです。当たり前ながら、攻撃なんてしたらこっちが最期ですけども。
――いつぞやの江■島平八似のオッサンみたいになりたくはないです。
咲乃の持つお盆には、シチューが盛られていた。
「素材を斬ったのがお姉で、味付けがアタシっ!」
つまりは料が姐さんで理が優希という事だ。日本料理には、素材をどれだけ活かせるかという技術、“料”が大切であり、フランス料理等は、どれだけ美味しくできるかという調理技術、“理”が大切とされる。繊維を潰さずに「料」をしたからこそ「斬った」というわけだろうか。
「別にそんなのどーでもよくない?」
「いいや、大切な事だ」
「ふーん」
……もういいっす。
「……あれ。咲乃は?」
「私は、愛情!」
なんという最高のスパイス。
ついついマジ吐血をしてしまった。決してさっき負傷した横腹が原因では無い。咲乃の可愛さに、だ。そう信じている。早く食したい!
「ごめんね海君。私不器用で何にも出来なかったの……」
「あれはもう不器用ってレベルじゃなかったわ」
何を申すか優希め! 咲乃の愛情さえあれば何でも美味しいさ。
と言いたかったが、口に出してしまえば、両隣からこの世から逸脱した拷問を受けそうな気がするので、そこは押さえておこう。まだ狩りでの傷が痛むしね。
こうしている間にも、ある方の眼光が鋭くなっておられるので、頂くことにする。
「うーまーいーぞーーーー!」
シチューってこんなに美味しく出来るものなのか。味皇様なら口からビームが出せる代物である。
しかも、これはただのホワイトシチューではなかった。肉がビーフでは無くラムなのだ。
――そう、アイリッシュシチュー。
アイルランドの肉じゃがともいわれるアイリッシュシチューは、とても優しい気分になった。究極の一品ここに在り。
「しっかし……なんでアイリッシュシチュー?」
「優希さんの四分の一は、アイルランドの血が流れているんですよ」
優希って、目の色的に北欧かと勝手に思っていたが、アイルランドの血が入ったクォーターだったのか。半年もの間知りもしなかった。これも反省せねば。
「まぁ他にも、日本、ドイツ、フィンランドが入ってるんだけどね」
……いくらなんでも混血過ぎるだろう。時代背景を鑑みると、優希の血筋は映画になりそうな経験をしてそうである。駆け落ちとかあったのだろうか。
ふと、いつしか見たはずの優希の母親の顔を思い出そうと試みるが、あの時はもう色々と限界が近く、全てがぼやけていた。
「雑談はこのぐらいにしておきましょう。後は……」
いつも通り、人間ではない動きでターゲットを捕捉した。誰が、とは言ってないぞ。
その誰かが捕らえたのは恭子。
「ぅう~~」
しばらくは足をバタつかせ抵抗していたが、恭子は料理を手に持っているうえ、相手は人外だ。勝てる道理がない。
「あ、海斗さん。後でお話が出来ましたので来てくださいね」
お話があるのではなく、出来たんですね…それ生きて帰れますか?
「さぁ、どうでしょう」
「 」
「可愛く無言になっても、無駄ですよ」
マリーアントワネットも、もしかしたらこんな気持ちで最期を迎えたのかもしれない。ええ、勝手な憶測です。
「では、お預けします」
颯爽と恭子を連れ戻ってきた姐さんは、これまた颯爽と優希と咲乃を引連れて消えていった。残されたのは俺と、全く顔を合わせようとしない恭子。
謝るのはだめだ。ただそれだけが、反復されていた。
「ぁーー……恭子?」
挙動不審っぷりが激しくなるが、決してこっちを見ようとしない。口を開こうとしない。
そんな恭子を見てるとつい笑いが込み上げ、耐えきれなかった。笑いが止まらない。
「な……なんで笑うのさ!」
「いや~悪い悪い。なんか可愛いなぁって」
恭子は顔を紅潮させたかと思うと逃げだした。
しかし、回り込まれてしまった。
いくらドラ△エをやらずに育った俺でも、それぐらいは知っている。ここで逃がしてなるものか。
かといって、何から言えばいいのか出てこない。
「恭子……」
赤みの引かない顔で正視出来ない恭子から、頑固たる姿勢が見える。少し回り道をしよう。
「その……よかったら、それ。もらってもいいか?」
それとは、恭子の手にある栗きんとん。おせち料理に出るようなものではなく、高級茶菓子のあれだ。俺の小さい頃からの好物である。毎年一回は川上屋の栗きんとんを食べねば年は越せないね。
本来は女子から男子に渡すとあった。しかし、こちらから催促してはいけないというルールはなかった。このぐらいはいいだろう。
恭子の迷いがみえる双眸は、それでも、俺を捉えた。
「悪いがすぐには変われない。でも必ず変わる。変わってみせる」
中途半端では居続けない。それが残酷な選択であっても。過去を棄てきるか、全てを受け入れるか。
「ただ、これだけは誓って言える」
これだけは、伝えたい。
「俺は恭子を、神崎恭子を嫌いになることは無い。これまでも。これからも。絶対にだ」
これだけは。
「だから待ってて欲しい。もうちょっとだけ」
中途半端な自分が変われる、その時まで。
恭子は顔をそむけながら、栗きんとんを差し出した。
「ボク、刃物触れないからこんなものしか出来ないけど……」
慎重に手に取り口にする。栗のまろやかな甘味が口に広がりつつ、甘さを控えている。すやよりも川上屋に近く、まさに俺好みに仕上がっていた。
「本当に美味しい」
「当たり前です。私の茶菓子を担当しているんですから」
声は正面ではなく後ろからだった。
だから、本当にこの御方は……。
「恭子も、もう大丈夫ですね?」
「ぅん」
まだ俺といるのは気まずいのか、避けられてる感は否めない。それでも、拒絶は無くなったようでなによりだ。
「では、早速サボってくれた一週間分、しっかり働きましょうね」
姐さんの顔を見つめる。その行動が恭子と見事にシンクロした。
姐さんの笑顔は、全ての言い訳を押し潰さんという迫力。
恭子の顔色はいつの間にか蒼くなっている。
「海斗さんも、お手伝いいただけますね?」
……パードゥン?
「私、働いた分はしっかりお返しいただきたい性分でして」
この世を隔てた刺々しい空気が、逃走経路を塞ぎ切っていた。
「誰か達のせいで、生徒会の仕事が溜まっているんですよ」
マズイ。マズイぞこれは。今すぐ良心を捨てなければ。どす黒いオーラに絡まれて、ボロ雑巾となりかねない。
「元々二人しかいなかったというのに。この一週間、私は、一人で、やってきましたのに。おかしいですよね。いつしか、手伝うだなんて言った方も、いた、はず、なんですが」
ここで泣いたふりでもすれば役者。それでも尚、微笑み続けて強制を醸すのが姐さん。全くお役にたてず申し訳ありませんでした!
「というわけで海斗さん。これに署名を」
案の定入会届。もう、生徒会に入れということです。あはははは。
「お姉。それ私も入っていい?」
「わたしもー」
「大歓迎ですよ」
咲乃が入る。これは俺も入るしかないではないか。ボロ雑巾になろうが、やってやろうじゃないか!
これで毎日オアシスに会えるというのなら。咲乃と生徒会室できゃいのきゃいのわいのわいの。
――あれ? いつもと変わらない。
「海斗さん」
トーンが先程までとは少し異なっていた。姐さんの厳粛な声。
「答えを出すのは貴方一人です。ですが、決して一人で悩む必要はありません。私がダメでも恭子がいます。優希さんがいます。咲乃さんがいます。頼ってもいいんです。自分の納得する答えを出してください。それは、甘えなんかではないのですから」
甘えではない、か。確かに、何と言われても、答えをだすのは自分でしかない。皆から意見を貰うことも、一つの手段。
「最早、いつ切れてもおかしくない時間です。それでも、私は海斗さんを信じます」
姐さんが何かを言ったのか、俺にはよく聞き取れなかった。




