五話
難産雲山無理矢理KAN
買い物と言っても、そんな遠くに行ったり、沢山の物を買い込む訳でもない。
僕一人が、ホタテ号の散歩ついでに行くことは全然構わない。だけど、全く関係ない長谷部を、僕の用事に巻き込んでしまった事が申し訳がなかった。
「ごめんなさい。僕の用事に巻き込んでしまって」
「いいよいいよ」
そう言って、笑顔で返してくれるのは有り難かった。
「長谷部も何か用事があって外出していたのでしょう?いいんですか」
「ん〜まあ、あったと言えばあったけど」
長谷部は少しはにかんで、自分の頬を掻いた。
「結果オーライで果たしちゃった感じ?」
「……はあ」
よく分からないけど、用事は済んだらしい。
「なら、良かったです」
その後、しばらく会話は続かなかった。
僕も長谷部も、ただ黙って歩を進める。
時折、チラチラと長谷部が僕の様子を伺うように目を向けてくる。何か気になることがあって聞きたいけど、何だか聞き辛いなあ、という心の声が聞こえそうなくらいの分かりやすさだ。
思わず、不覚にも少し笑ってしまった。
「な、何を笑ってるのかな」
「いえ、まるで犬みたいだと思って」
「犬?」
「えぇ、まるで飼い主に叱られた後に様子を伺うような……」
「ななっ、それは馬鹿にされてるような気がする」
怒りか羞恥か分からないけど、顔を赤く染めた長谷部に僕は言う。
「馬鹿にしているんです」
途端、長谷部は餌を頬に餌を詰め込んだハムスターのように頬を膨らませた。
うん、あざとく見えて可愛くない。
「長澤は、もっと私に優しくしてもいいと思う」
「エッ、十分優しいと思いますけど、遊んだりしてますし」
「それって、絶対私のこと弄って遊ぶって意味だよね!そんなの優しさじゃない。優しさとは認められない!私は女だし、そんな形でも一応男の長澤は、私を優しく扱う義務があると思います。それが、紳士というものだと思います!」
なにやら喚く長澤を、軽く聞き流していたけれども、途中に聞き捨てならぬことを言っていた。
一応男?
そんな形?
あれか、僕の容姿か。顔か。
確かに、男にしては女性的な……いや、かなり女性的な容姿ではあるけれども。どうせ、成長していけば男らしくなるものだ。
……そう思って早数年。一向にその気配が無く、声変わりすら無く、身長ですら女子と肩を並べるくらい。
もうそりゃ、コンプレックスの塊。
僕が本当に男か自分ですら疑うぐらいだ。
「……そうですか。ですが、今は男女平等な社会ですので、そういうことをするのはおかしいですよね」
「異議あり!」
「却下します」
そんな不毛なやり取りをする間に、目的のスーパーが見えてくる。
まだ優しくしろだとかとぶー垂れている長谷部に、僕はホタテ号のリードを差し出す。
「……なに?」
「ホタテのリードです。持っていてください」
「なんで」
「店内はペット厳禁ですから」
僕の言わんとしていることが理解できたのか、長谷部はうんうんと頷いた。
でも、リードを持とうとはしない。
僕は首を傾げた。
「どうしました?」
「……なら、そこの支柱に縛って置けばいいじゃない!」
ビシッと、長谷部は自販機近くにある自動車留めの柱を指差した。
「……迷惑になりませんか?」
「大丈夫!」
その自信は、どこから来るのか知りたくもない。
「……分かりました」
僕は仕方なくホタテ号のリードをくくりつけた。
ああ、そんな目で見ないで、すぐに戻ってくるから。
「じゃあ行きましょう」
僕と長谷部は店内に入った。
●
勝手たる他人の家。
そんな感じで、既にこのスーパーの商品配置は体に染み着いている。
メモを見ながら、必要な物を入れていく。
「玉子にキャベツと……またもやし……」
このもやし、また僕の晩御飯になるんだろうか。
「それにしても……まるで主婦みたいだね」
「……ふざけないでください」
「いやいや、その手際の良い買い物の仕方、そして新鮮で良いものを見極める力、これで料理や家計ができたら、いい奥さんになるよ」
「……………」
ほとんど出来ます、なんて言えなかった。
だって、恥ずかしいし……。
「……長澤?」
「あ、うん。なんでもない」
訝しそうな長谷部の視線を感じるけれど、早いところ買い物を済まさないと行けない。
ホタテも待っているだろうし、なにより、母親様の機嫌を損ねて晩御飯を抜きにされては堪らない。
「さあ、早く済ましましょう」
「手伝おっか?」
「助かります。じゃあ、鮭の切り身を四切れ取ってきてくれませんか?僕はお肉コーナーにいますので」
「分かった」
長谷部は僕にくるりと背を向けると、そのまま雑踏に消えていった。
段々、人が増え始めている。
僕も急がないといけない。
お肉コーナーに行くまでに、メモにある数品を入れた。
「長澤!」
嬉しそうに、弾んだ声で長谷部が走り寄ってくる。
その手には、しっかりと頼んだ物があった。
だけど、店内では他の人の迷惑になるので走っちゃいけません。
「他の人の迷惑になります。走らないでください」
「ご、ごめん」
全く、まるで子供をもった母親みたいなことを注意しないといけないんですか。
「な、長澤、他に買うものはある?」
「そうですね……」
メモを見る限り、ない。
「無いですね。レジに行きましょう」
長谷部はこくりと頷いた。
僕と長谷部は混みあうレジに並んで会計を済ませると、店を出てホタテのところに行った。
ホタテは、僕の姿を確認すると、尻尾を振って喜んでいた。
「さて、帰りましょうか」
そう言って歩み出した帰路は、終始無言だった。
その微妙な空気を察知したのか、ホタテ号が時折僕の顔色を伺うように見上げてくる。
犬にまで心配されるのか、僕は。
「な、長澤」
「……何ですか」
「えっと……ね」
何かよほど言いにくいことなのか、長谷部は言いよどむ。
なんとなく、察することができた。
「長澤は、家族から……その……酷い扱いを受けているの?」
やっぱり。
僕は静かにため息をついた。
「何を持って酷いとなるか分かりませんが……まあ、お察しの通りですね」
その瞬間、長谷部の表情が劇的に変わった。
哀れみ、悲しみ、怒り、驚き、不安……。負に近い感情の様々が、ごっちゃになったようだった。
ただ、心底僕のことを心配していることは分かった。
「暴力とか大丈夫?ちゃんと食事も取ってるの?」
「暴力は今はほとんどないですし、食事も死なない程度に取れていますんで、大丈夫です」
「死なない程度って……本当に大丈夫?」
「大丈夫です」
僕は腕捲りをして、元気であることをアピールした。
空元気ではあるけれども。
長谷部には要らぬ心配をして欲しくはなかったのだ。
これは僕の家庭での問題であり、長谷部には何の関係もない。
だから、僕が長澤家にて数世紀前の奴隷みたいな扱いを受けていることに、もうすでにあきらめてしまっていることも、知られたくはなかった。
「……何かあったら、私が力になるから」
「ありがとうございます」
でも、僕はどうなっても長谷部に頼ることはないだろう。
何故なら――
「そうだ!」
突然、長谷部の上げた声に、思考を中断せざる負えなかった。
「な、なんですかいきなり」
「忘れてた。私」
「はあ?」
何か、買い忘れでもあったのだろうか。
「ねぇ」
ずいっと、長谷部が僕に顔を近づけた。
少し、僕は後ろにのけぞる。
「今度、デートしよう」
「……はい?」
ワンモアプリーズ。
その意味が籠もった疑問。
しかし、いきなりすぎる爆弾の投下だったので、頭が対処仕切れなかったようだ。
言葉を間違えた。
長谷部はその疑問が籠もった『はい?』を、イエスの『はい』と受け取ったのだ。
「い〜やったぁ!」
「え、あの」
「じゃあ、来週日曜日ということで!詳しくは後程!」
「ちょっと、どこ行くんですかぁ!」
長谷部はくるりと180度回転して、先程来た方向に走り去ってしまった。
残された僕はぽつねんと、買い物籠を持って突っ立っていた。
いきなり何なんだ。一体全体どうなっているんだろう。
僕を見上げているホタテ号が、何だか憐れみで見ている気がした。