6.……なあ湊くん、あの子と仲ええん?
月曜日の朝。
教室に入った瞬間、俺――桐谷湊は、小さくため息をついた。
理由はすぐ分かった。
俺の席の近くに、本来この教室にいるはずのない男が立っていたからだ。
「おはよう、湊」
にやにやしながら手を上げるそいつは、土井海斗。
中学からの腐れ縁で、今もよくつるんでいる親友だ。ただしクラスは別。海斗は隣のクラス――二年B組で、たまにこうして朝のホームルーム前に俺の教室へ遊びに来る。
「……なんでいるんだ」
「朝の挨拶」
「自分のクラス行け」
「ホームルームまでまだ時間あるだろ」
そう言いながら、海斗は俺の肩を軽く叩く。
その顔が、朝からやたら楽しそうで嫌な予感しかしない。
「その顔やめろ」
「無理。ちょっと面白いから」
「何が」
海斗はそこで、わざとらしく俺の隣へ視線を送った。
そこには、すでに登校していた銀髪の転校生――白銀ルナが座っている。
今日も目立つ。
朝の光を受けた銀髪がやわらかく光っていて、ただ席に座っているだけなのに、やっぱり妙に絵になる。
でも今日は、いつもみたいに俺を見つけた瞬間「おはよ、湊くん」と笑ってくる感じじゃなかった。
俺と目が合う。
すぐに逸らされる。
そして数秒後、またこっちを見てくる。
分かりやすい。
たぶん、もう何か聞く気でいる。
そこへ、海斗がいかにも楽しそうに口を開いた。
「湊、土曜に福原と会ってたんだって?」
その瞬間。
隣で、白銀さんの肩がぴくっと揺れた。
やっぱりそれか。
「会ったよ」
俺が鞄を机に置きながら答えると、海斗は「だよな」と頷いた。
「まあ、福原ならゲームだろうなと思ったけど」
「その通り」
「新作?」
「新作」
「いいな。もう買ったんだ」
「お前も知ってたろ」
「知ってる知ってる。でもさ」
海斗がまた、わざとらしく白銀さんを見る。
「事情を知らない人からしたら、女の子と二人で出かけてたように見えるよな」
白銀さんは一拍遅れて顔を上げた。
「……別に」
声は平静を装っていたけど、少しだけ硬い。
「うちは何も言うてへんし」
「言ってないですけど、気にはしてますよね」
「してへん!」
即答だった。
でも、それが早すぎて余計に怪しい。
海斗は笑いをこらえるみたいに肩を震わせる。
「白銀さん、分かりやすすぎますって」
「分かりやすくない!」
「いや、かなり分かりやすいです」
そこで俺は席に座りながら言った。
「海斗、朝からうるさい」
「だって面白いし」
「性格悪いな」
「湊にだけは言われたくない」
「なんで」
「自覚ないから」
何がだ。
そう思っていると、白銀さんが小さく咳払いをした。
「……おはよ、湊くん」
遅れてきた挨拶だった。
「おはよう」
「……」
「……」
「何」
「いや、別に」
絶対別にじゃない。
でもそこへ海斗がまた挟んでくる。
「白銀さん、聞きたいことあるなら聞いたほうが早いですよ」
「聞きたないし」
「本当に?」
「ほんまに」
「でもさっきから、湊より福原の話のほうに反応してますよ」
「そんなことない!」
白銀さんはむっとしながら、今度はまっすぐ俺を見る。
「……なあ湊くん」
「何」
「福原さんって、湊くんと仲ええん?」
教室の朝のざわめきの中で、その一言だけ妙にはっきり聞こえた。
“誰なん”ではなく、“仲ええん”か。
そこに白銀さんの今の感情がよく出ている気がした。
知らない相手ではない。もう会っている。
ただ、どのくらい近い存在なのかが気になっている。
「まあ、普通に」
「普通ってどの普通」
「ゲームの話が合う友達」
「中学からだっけ」
海斗が口を挟む。
「うん」
「長いなあ」
海斗はそう言ってから、白銀さんに向かって説明するみたいに言った。
「福原は、湊の昔からのゲーム仲間です。たまに一緒に新作見に行ったり、対戦したりするだけの相手」
「“だけ”って言い方ひどいな」
「でも事実だろ」
「まあ」
白銀さんはその説明を黙って聞いていた。
それから少しだけ視線を落として、小さく言う。
「……ふーん」
その“ふーん”は、さっきより少しだけ柔らかかった。
海斗はそれを逃さない。
「ちょっと安心しました?」
「してへん」
「いや今のはしてる顔でしたよ」
「してへんって!」
白銀さんが言い返す。
でも耳がうっすら赤い。
朝から分かりやすすぎる。
◇
一時間目が始まる直前、海斗はようやく自分の教室へ戻っていった。
「じゃ、俺もう行くわ」
「最初からそうしろ」
「また昼休みに来るかも」
「来なくていい」
「白銀さん、また後で」
「……うるさい人やな」
「よく言われます」
そう言って海斗は笑いながら出ていく。
教室に少し静けさが戻ったところで、隣から小さく袖をつつかれた。
「なあ」
「何」
「土井くんって、ずっとあんな感じなん?」
「だいたい」
「しんどない?」
「たまに」
「やっぱり」
白銀さんはくすっと笑った。
少しだけ緊張が解けたみたいだった。
でもそのあと、また少しだけ間を置いてから聞いてくる。
「……福原さんとは、ほんまにそういうんちゃうん?」
「どういうの」
「その……」
白銀さんは言いにくそうに目を逸らした。
「付き合ってるとか、そういうの」
「違うよ」
「ほんまに?」
「ほんとに」
「……そっか」
そこでようやく、白銀さんは少しだけほっとしたみたいに息をついた。
その反応があまりに素直で、俺は思わず口にしていた。
「やっぱり気にしてたんだ」
「してへん!」
即座に返ってくる。
でも、その返事のあとに白銀さんは小さく付け足した。
「……ちょっと確認したかっただけやし」
「確認」
「そう」
「なんで」
「なんでって……」
言いかけて、そこでチャイムが鳴った。
白銀さんは「あーもう」と小さく呟いて前を向く。
結局、最後までは言わなかった。
◇
一時間目の現代文は、珍しく白銀さんが静かだった。
いつもなら授業中でもこっそり話しかけてきたり、ノートを見せてと言ってきたりするのに、今日は妙に大人しい。
だから、逆に気になった。
授業の途中、先生が黒板に向かっている隙に小声で聞く。
「どうしたの」
「何が」
「今日は静かだなって」
「……ちょっと考え事」
「何を」
「言わへん」
「そっか」
俺がそれ以上聞かないでいると、数秒後、白銀さんのほうから袖を引いた。
「……なあ」
「何」
「ほんまに、福原さんのこと好きとかちゃうん?」
かなり小さい声だった。
「違うよ」
「じゃあ、向こうは?」
「知らない」
「……ふーん」
またその返事だ。
でも今度の“ふーん”は、明らかに少しだけ機嫌がよくなっていた。
「白銀さん」
「何」
「分かりやすいね」
「分かりやすくない!」
そう言って頬を膨らませる。
やっぱり大人しくしていられないらしい。
◇
昼休み。
俺が購買で買ったパンを机に置くと、白銀さんは当然みたいに自分の机を寄せてきた。
「ここで食べるん?」
「うん」
「ほなうちも」
「どうぞ」
「断らへんのや」
「断る理由ないし」
そこで、白銀さんは少しだけ目を細めた。
「……それ、前も聞いた」
「そうだっけ」
「うん」
「じゃあ、前と同じ返し」
「むかつく」
そう言いながらも、少し笑っている。
弁当箱を開けてから、白銀さんは何でもないことみたいに聞いた。
「福原さんって、湊くんのこと何て呼ぶん?」
「湊」
「呼び捨てなんや」
「長い付き合いだし」
「……そっか」
そこで白銀さんは、箸で卵焼きをつつきながらぼそっと言った。
「うちはまだ“湊くん”やのに」
「何か言った?」
「言ってへん」
いや、聞こえた。
でも聞かなかったことにしたほうがよさそうだ。
その代わり、俺はなんとなく聞いてみる。
「呼び捨てにしたいの?」
「っ……!」
白銀さんが思いきりむせた。
「な、なんでそうなるん!」
「今そういう話だったから」
「違う!」
「違うの?」
「違う……こともないけど……」
途中から声が小さくなる。
それから慌てて首を振る。
「いや、違う! なんかこう、距離感の話や!」
「距離感」
「そう!」
「へえ」
「その“へえ”やめて!」
やっぱり忙しい人だなと思う。
◇
午後の授業中には、白銀さんはだいぶいつもの調子を取り戻していた。
英語の時間に当てられて発音よく読んだあと、「今のどうやった?」と聞いてきたり、化学の授業でノートを見せてと言いながら必要以上に顔を寄せてきたり。
ただ、そのたびに最後は自分が少し照れていた。
たとえば英語のあと。
「どうやった?」
「上手かったよ」
「……うん」
「どうしたの」
「いや、今日はなんか、そういうのいつもより刺さる」
「なんで」
「知らん!」
たとえば化学の時間。
「ちょっと見せて」
「はい」
「近いな」
「そっちだよ」
「うん、分かってる」
「じゃあ離れれば」
「それはちょっと嫌」
「……」
「……あ」
「白銀さん?」
「今の忘れて!」
そんな感じで、本人の中でもだいぶ調子が狂っているらしい。
◇
放課後。
ホームルームが終わって、みんなが帰り支度を始めるころ。
再び海斗が現れた。
「よう、湊」
「なんでまた来るんだよ」
「確認」
「何の」
「白銀さんの機嫌」
それを聞いて、白銀さんがむっとする。
「なんでうち基準なん」
「だって分かりやすいから」
「海斗くん」
「はい」
「やっぱうるさい」
「知ってます」
海斗は笑いながら、俺の机に寄りかかった。
「で、どうだった?」
「何が」
「今日一日」
「普通」
「白銀さん」
「何」
「安心しました?」
「してへん!」
反射的に返してから、白銀さんは少しだけ視線を逸らした。
「……でも」
「でも?」
「思ってた感じと違ったから」
「福原が?」
「うん」
「もっとこう……」
「こう?」
「知らん」
言葉を濁しているけど、たぶん“特別な感じ”を想像していたんだろう。
でも実際はただのゲーム仲間で、思ったより何もなかった。
そこに少しだけ安心した。
ただ、それをそのまま認めるのはまだ照れくさい。
そんな感じに見えた。
海斗は満足そうに頷いた。
「白銀さん、だいぶ素直になってきましたね」
「なってへん」
「なってますよ」
「なってへん!」
「そこまで全力で否定しなくても」
白銀さんは少しだけ赤くなって、今度は俺を見る。
「……なあ湊くん」
「何」
「一緒に帰る?」
「うん」
「……」
「何」
「いや、断らへんのやな思って」
「断る理由ないし」
「またそれや」
でもその顔は、どこか嬉しそうだった。
◇
校門を出て、夕方の道を並んで歩く。
少しの間、どちらも黙っていた。
先に口を開いたのは白銀さんのほうだった。
「……なあ」
「何」
「今日のうち、変やった?」
「少し」
「やっぱり?」
「うん」
「最悪や……」
白銀さんは小さくため息をつく。
でも、そのあと少しだけ笑った。
「でもまあ、聞けてよかったわ」
「何が」
「福原さんのこと」
「そっか」
「うん」
また少し歩く。
白銀さんは前を向いたまま、ぽつりと言った。
「……別に、気になってへんわけちゃうねん」
小さい声だった。
「うん」
「でも、なんて言うんやろ」
「嫉妬とか、そういうんとも違うし」
「うん」
「ただ、ちょっと引っかかっただけ」
「それなら分かる気がする」
俺がそう言うと、白銀さんがこっちを見る。
「ほんまに?」
「うん」
「知らない白銀さんを見ると、少し気になるし」
「……っ」
白銀さんが止まった。
「それ、ずるいやろ」
「何が」
「普通に言うとこ」
「思ったから」
「それがあかんのやって……」
白銀さんは片手で顔を押さえた。
頬が赤い。
「今日、何回目それ」
「知らん!」
それでも、声は少し笑っていた。
分かれ道の近くで、白銀さんが立ち止まる。
「でも、今日はほんまにちょっと安心した」
「よかった」
「うん」
それから、少しだけ言いにくそうに続けた。
「……福原さんおっても、別にいいねん」
「うん」
「でも」
「何」
「うちのことも、ちゃんと気にしとってな」
言った瞬間、自分で何を言ったのか理解したらしい。
白銀さんの顔が一気に赤くなる。
「いや違う! 変な意味ちゃう!」
「どんな意味?」
「知らん!」
最後はいつものツッコミだった。
でも、その赤くなった顔のまま、白銀さんは小さく笑う。
「……また明日な、湊くん」
「ああ、また明日」
手を振ると、白銀さんも少し遅れて振り返した。
今日一日、ずっと“気になる”の正体を探していたみたいな顔をしていたくせに、最後はやっぱり、自分が一番照れていた。
そのことが、妙におかしくて。
俺は少しだけ笑いながら、夕方の帰り道を歩き出した。
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