第1話『砂場の卵焼き』 ~Section 7:砂下の埋葬と、銀色の亡霊~
深夜二時の南公園は、昼間の子供たちの歓声が幻だったかのように、重苦しく、それでいてどこか粘り気のある沈黙に支配されていた。
新市街の完璧な清掃プログラムも、このAI管理の死角である『旧市街との境界線』までは及ばない。砂場を囲む古びた木々は、夜風に揺れて巨大な怪物の手足のように蠢き、足元に広がる砂地は、まるで底なしの沼のように僕たちの足を絡め取ろうとしている。
「……本当に、やるんですか。ここ、一応は公共の場ですよ。不審者通報されたら、僕の高校生活は物理的に終わります。内申点どころか、如月学園の退学処分だって有り得ますよ」
僕はスマホのライトを地面に向け、震える声で訴えた。ライトの光が、砂の粒一つ一つを不自然に長く、鋭い影として浮かび上がらせる。
だが、隣に立つ如月瑠璃は、僕の泣き言など露ほども耳に入れていない。彼女は手帳を閉じ、その代わりに自分の足元の砂を、高級なローファーの先で冷徹に探っていた。その瞳には、恐怖ではなく、隠された真実を暴くことへの純粋な、そして狂気じみた愉悦が宿っている。
「サクタロウ。お主のその『光る板』には、ライト以外の機能はないのか? 砂場の深層を探るための、音波センサーや磁気検知器といった気の利いたアプリケーションは入っておらぬのか。わがコンツェルンが提供するデバイスなら、それくらいの標準装備はあって然るべきじゃ」
「そんなマニアックなアプリ、誰が使いこなすんですか……。せいぜい、物理学の研究用で入れている磁力計アプリくらいですよ。……あ、でもこれ、微弱な磁気の歪みを視覚化できるかもしれません」
「ふむ、それで構わぬ。起動せよ。わしの直感が、この砂の下で何かが呼吸していると告げておる。……いいか、サクタロウ。翔太くんが埋めた卵焼きが、なぜ砂場の中央に、汚れ一つなく『再配置』されていたのか。その答えは、彼が穴を掘ったその底にこそ眠っておるのじゃ」
僕はため息をつき、渋々アプリを起動させた。
磁気センサーが周囲の微かな金属反応を拾い、スマホの画面に歪な波形が映し出される。普段は公園の遊具やフェンスの鉄筋に反応するだけの代物が、砂場の「幾何学的な中心点」……つまり、あの卵焼きが鎮座していた場所に近づいた瞬間、不気味なほどの高音を鳴らし始めた。
ピーーー、という電子音が、深夜の静寂を切り裂く。
「……えっ? 反応があります。かなり強い……。これ、ただの空き缶や忘れ物のスコップじゃなさそうです。かなり深い場所に、何かまとまった金属の塊があります」
「ほう。やはりな。……さあ、サクタロウ。お主のその『労働者の手』で、この砂場を暴け。わしはここで、真実の出現を待つことにする。お主の流す汗こそが、この不浄な砂を浄化する聖水となるのじゃ」
瑠璃はそう言うと、自分は汚れることを拒むかのように一歩下がり、僕に『発掘』を命じた。彼女の背後にある街灯が、彼女を逆光で照らし、そのシルエットを神聖な執行官のように見せている。
僕は地面に膝をつき、湿った砂に手を突っ込んだ。冷たい砂が爪の間に入り込み、指先の体温を急速に奪っていく。掘り進めるたびに、重たい砂の重圧が指の関節に響く。
十センチ、二十センチ……。
掘り下げた穴が、スマホのライトで黒い口のように広がっていく。
そして、指先に『カチリ』と、石とは違う冷徹な感触が触れた。
「……如月さん。何か、あります」
僕は慎重に周囲の砂を掻き出した。現れたのは、プラスチックでも石でもなく、月光を反射して鈍く光る『銀色の金属』だった。
それは、一つの弁当箱だった。
佐伯家のリビングで見かけた、あの二回り小さな弁当箱と、全く同じモデル。
だが、その状態は異常だった。
表面には、鋭いナイフか何かでつけられたような、規則正しくも狂気的な無数の傷が刻まれ、その中央には黒い油性マジックで、子供の筆跡を模したような、だが大人の悪意が透けて見える殴り書きがあった。
『ボクノ、代ワリ。』
その言葉を見た瞬間、背筋に冷たい氷柱を突っ込まれたような悪悪感が走った。
僕は震える手で、その弁当箱を砂の中から引き上げた。重い。中に、何かがぎっしりと詰まっている重さだ。
「サクタロウ、開けよ。……その亡霊の腹の中に、何が詰まっているのか。わしに見せてみよ」
瑠璃の声は、一切の感情を排し、ただ好奇心の針となって僕の背中を突く。
僕は震える指を留め金にかけ、それを外した。
カチッ、という小さな音が、まるで爆弾の信管が外れたかのように響いた。
蓋を開けた僕の視界に飛び込んできたのは、腐敗とは無縁の、あまりにも「整いすぎた」狂気の盛り付けだった。
弁当箱の中には、三つの『卵焼き』が鎮座していた。
それは、佐伯浩介が買ってきたはずの、あの『月見亭』の卵焼きだけではなかった。
左側には、新市街の最高級老舗料亭で作られたであろう、金箔が散りばめられ、完璧な正方形に切り分けられた出汁巻き。
中央には、本物と見紛うほど精巧だが、どこか無機質な光沢を放つ、プラスチック製の「食品サンプル」の卵焼き。
そして右側には、あの『月見亭』の、不格好だが力強い黄金色の卵焼き。
まるで、卵焼きという概念の『過去・現在・未来』あるいは『真実と虚構』を並べたような、異常な対比。
そして、その三つの卵焼きの隙間に、真っ赤な絹のリボンで結ばれた『銀色の社章』が、まるで勲章のように置かれていた。佐伯浩介が襟元に付けていたものと、全く同じ『アーク・コンサルティング』のピンバッジだ。
「……これは……どういうことですか? 翔太くんが捨てたのは、一つのはずだ。どうして、別の高級なやつや、偽物まで入ってるんだ。それにこのバッジ……佐伯さんのものだとしたら、どうしてここに……」
僕はパニックになり、スマホのライトを激しく揺らした。光が踊り、弁当箱の中身が不気味に明滅する。
瑠璃は、その異常な光景を凝視したまま、手帳に何かを激しく書き殴り始めた。万年筆の先が、紙を突き破らんばかりの勢いで動き回り、インクが飛沫となって紙面に散る。
「……面白い。最高に醜く、そして美しいノイズじゃな。サクタロウ、これでお受験の悲劇という物語は完全に崩壊した。……これは、佐伯浩介に向けられた『復讐』などではない。この街そのものを、一つの巨大な『劇場』と見なし、他人の絶望を素材に作品を仕上げている……芸術家気取りの怪物の仕業じゃ」
瑠璃は、僕が持っていた保存容器から、最初に見つけた卵焼きを取り出すと、それを弁当箱の中にある三つの卵焼きの隣に並べた。
三つの本物と、一つの偽物。
「……『砂場の神様』。噂の正体は、願いを叶える存在などではない。人々の心の隙間に潜む『不純物』を掘り起こし、それを皮肉な形に加工して再配置し、人々の反応を観察する……愉快犯的なミステリの蒐集家じゃ」
瑠璃がそう呟いた瞬間、背後の暗い茂みが、ガサリと音を立てた。
僕たちは一斉にそちらを振り向いた。
スマホのライトが暗闇を切り裂く。
そこには、誰もいなかった。
ただ、枯葉の積もった地面に、先ほどまでそこにあったはずのない『小さな銀色のボタン』が、ポツリと、まるで僕たちを誘う道標のように落ちていた。
「追うぞ、サクタロウ。……わしの『落とし物』に、勝手に手を加えた無礼な作者の顔を、拝んでやらねばならん。この街に、わし以外の『観察者』は不要なのじゃ」
瑠璃は、手帳を胸に抱いたまま、深夜の公園のさらに奥――旧市街へと続く、街灯のない獣道へと駆け出した。
僕は、あの不気味な銀色の弁当箱を抱えたまま、その後ろ姿を必死に追いかけた。
砂場の中心から始まった黄金色の謎は、今、月見坂市の暗部へと、その根を深く伸ばし始めていた。




