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第6話 暴かれた沈黙

その人は、

ガラスの箱を見ていた。


次に、

手の中の奇妙な物体を見る。


薄い。

四角い。

周囲の光を、吸い込むような黒い板。


しばらく、

何も起きない。


けれど…


その人の表情が、わずかに変わった。


眉をひそめ、

もう一度、黒い板を確認する。

そして、ゆっくりと顔を上げ、

空間全体を見渡す。


何かが、

噛み合わなくなったような仕草。


その視線が、

私のところで止まった瞬間、


理解した。


……見られた。


一瞬の、迷い。


視線が、また黒い板に戻り、

そして、再び私へ。


それで十分だった。


私は、

ここでは目立ちすぎている。


よくない。


ほんの一瞬、

視線が交差する。


私は、すぐに顔を背けた。


警告音は、まだ鳴り続けている。

けれど、それはもう重要じゃない。


私は歩き出す。

走らない。

ただ、少しだけ速く。


人の流れに、身を沈める。


人々は、

一定の速度で進み、

分かれ、

また合流する。


私は、その中に紛れる。


静かな場所。

狭い場所。

……できれば、何もない場所。


そういうところへ行かなければ。


でも、

どこにあるのかは、わからない。


一瞬、足が止まる。


肩に、衝撃。


「すみません」


声が、はっきりと届く。


返事をしようとして――

声が出ない。


喉が締まり、

息が詰まる。


私は一歩、脇へずれ、

流れを変える。


今度は、迷わない。

速く歩く。


そのとき、

また、違和感が戻ってくる。


空気が、おかしい。


痛みはない。

重さもない。


ただ、不安定。


肌の上を、

微かなざわめきが這う。

静電気のような感覚が、

まだ消えていない。


意識を内側に向け、

封を閉じようとする。


……閉じきれない。


心拍が速い。

呼吸が浅い。


ここで立ち止まれば、

押し流される。


私は歩調を合わせる。

周囲と、同じように。


でも、

どれだけ合わせても、

半拍、遅れる。


肩が触れる。

腕がかすめる。


誰も、私を見ない。


それでも、

圧が増していく。


前方に、

動く階段が見えた。


人は迷いなく乗り、

上へと運ばれていく。


近づくにつれて、

感覚が変わる。


リズムが、遠い。


遮られているような、

膜越しの感触。


……触れていないはずなのに。


私は、飲み込む。


まだ、漏れている。


世界を変えるほどじゃない。

でも――

測られるには、十分。


私は階段に乗り、

下の空間から距離を取る。


囲われた動線。

誘導された動き。


その方が、いい。


――そのとき。


揺らぎ。


音でも、

動きでもない。


「向き」が変わった。


何かが、

私に重なった感覚。


振り返らなくても、わかる。


近い。


追ってはいない。

急いでもいない。


ただ、いる。


前を見る。


数段先で、

小さな体が、よろけた。


反射的に、

手を伸ばす。


……間に合わない。


力が入らず、

指先が、空を切る。


別の手が動いた。


上の段から、

その人が腕を伸ばし、

子どもを支える。


迷いのない動き。


子どもは、大人の元へ戻される。


何事もなかったように、

階段は進む。


その瞬間、

肌のざわめきが、強まった。


黒い板の表面が、

細かく波打つのが見える。

微かな光が、

私の感覚と同期する。


……見られている。


階段を降りる。


直後、

肩に、手が触れた。


乱暴ではない。

でも、躊躇もない。


流れを遮らないように、

私を半歩だけ、横へ導く。


人の流れは、

何事もなく通り過ぎる。


私は、動けない。


引けば、目立つ。

止まれば、何が起きるかわからない。


ゆっくりと、振り返る。


近い。


その人の表情は、

敵意ではない。

落ち着きでもない。


判断を保留した顔。


黒い板は、

今は低く下げられている。


その人が、声を出す。


「……だいじょうぶ?」


言葉は、わからない。

けれど、

柔らかい音。


問いかけ。


確認。


警告音は、

ずっと下の方で鳴っている。


人の流れは、

私たちを避けるように進み続ける。


私は、はっきりと理解した。


もう、

流れに溶けるだけでは、

済まない。


この世界は、

すでに私を…

見つけ出してしまったのだ。

第6話までお読みいただき、ありがとうございます。


これまで「静かな沈黙」を盾にこの世界に潜んできたルーナですが、

ついにその封印が、外側から暴かれてしまいました。

誰にも見つからないはずの「ノイズ」を読み取った、あの男は何者なのか。

言葉の通じない世界で、沈黙が途切れたとき、何が始まるのか――。


第6話にして、物語はひとつの大きな転換点を迎えました。

ここからルーナの生存劇は、

この世界の「人間」を巻き込みながら、

新しい局面へと踏み込んでいきます。


次回も、どうぞお付き合いください。

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