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第5話 壊れたリズム

人の流れに戻ると、

私は、また「個」である感覚を失った。


その喪失は、不思議と心地よい。


考えなくていい。

選ばなくていい。

流れが動くときに動けば、目立たない。


だから、身を任せる。


道は曲がり、重なり、分かれては合流する。

最初は無秩序に見えるけれど、そうじゃない。

一つ一つの曲がりが、迷いを削ぎ落とし、

一つ一つの合流が、遅れを修正している。


誰も立ち止まらなくていいように設計された構造。


しばらくすると、空間が開けた。


天井は、これまで通ってきたどこよりも高い。

ガラス、金属、磨かれた石――

滑らかな表面に光が反射する。

音はぶつからない。

足音、遠くの声、絶え間ない機械の低い唸り。

すべてが層になって、安定している。


一見すると、ここは結節点のように見える。


私は、癖でそこに手を伸ばしかけて――

何もないことに気づく。


それでも、動きは続いている。


人はここに留まらない。

整った線を描くように、立ち止まることなく出入りしていく。


私は、端へ寄った。


人々は別々の入口から入り、

しばらくすると、持っていなかった物を抱えて戻ってくる。


これは、層になった市場だ。


そこから、上下の動きが見えた。


ガラスの箱――透明な部屋が、

高い縦穴の中を上下に移動している。

人が乗り込み、

部屋は上へ昇り、

上の階から人が降りていく。


同じリズムで、

下からも人が現れる。


正確。

計測済み。

効率的。


私の世界では、上下移動には常に調整が必要だった。

ここでは、それを機械に委ねている。


理解するのに、時間はいらなかった。


数える。


到着の間隔。

出発までの間。

重さが落ち着くまでの時間。


そして――


微かな振動が、足元に届いた。


弱い。

短い。


……でも、おかしい。


すぐに消える。


誰も反応しない。


当然だ。

音もなく、

派手さもない。


これは、タイミングのズレだ。


ガラスの部屋が、再び動く。


遅れはさっきより小さい。

けれど、修正がわずかに遅い。


箱の中で、数人が足元を気にする。

一人が手すりを強く掴む。

別の一人が、身を乗り出す。


唸りが変わる。


本来触れないはずの金属が、擦れ合う音。

まだ故障じゃない。

ただの、噛み合わせのズレ。


このままなら、

仕組みは規則に従い続けて――

壊れるところまで進む。


私は、待たない。


もう、わかっている。


何もしなければ、あの人たちは傷つく。


この構造は、中に誰がいるかなんて気にしない。

順序が終わるまで、動き続けるだけだ。


周囲を見る。


人々も、異変に気づき始めていた。

視線は上へ、ガラスの箱へと固定される。

困惑した声が重なり合う。


……私を見ている人はいない。


私は壁際に寄り、視線を落とした。


最小限。

一度だけの修正。


意識を、内側へ折りたたむ。


封は、すぐに抵抗した。


ここには緩衝がない。

余剰を逃がす場所もない。

放ったものは、すべて私の中に残る。


それでも、緩める。


胸の奥に痛みが広がる。

鋭さはない。

逃げ場のない圧が、内側から押し広げてくる。

この負荷を一人で抱えることに、

神経が悲鳴を上げる。


空気が、ひりつく。


髪の一本一本が、わずかに浮き上がり、

見えないものに引き寄せられるように絡みつく。


これ以上は、開かない。


力を求めない。


求めるのは、整合。


機械のリズムが、

張り詰めた緊張として見える。

許容を越えて引き伸ばされた間隔。

ほんの一瞬、遅れて届く修正。


その隙間を、縮める。


ほんの少し。


手が、わずかに上がる。

指が震える。


ガラスの箱が、びくりと揺れた。


抵抗が跳ね上がる。

淀んだ空気の中で重いものを引きずるような感覚。

逃がし場のない閉回路として、

私の身体が応える。


息を、噛み殺す。


リズムが、正しい位置に戻る。


部屋は目的の階に到達し、止まった。

扉が開く。


人々が一斉に出ていく。

混乱し、動揺しながらも、無傷で。


それを見届けてから、私は引く。


封が、強く閉じる。


肌の上を、静電気が這う。

視界が揺れる。


壁に肩を押しつけ、

呼吸を無理やり整えた。


この程度の介入すら、

この世界では許されない。

わかっていた。


金属が悲鳴を上げる。


ガラスの箱がロックされ、

灯りが落ち、

警告音が鳴り始める。


人々が完全にこちらを向く。

声が、ただの騒音になる。


その瞬間、私は気づいた。


全ての視線が、

箱に向いているわけじゃない。


広い空間の向こうで、

一人だけ、動かずに立っている人物がいる。


その人は、上を見ていない。


私を、見ている。


手にしているのは、小さな装置。

平たく、無機質で、業務用のようなもの。

何かを「見る」向きでは持たれていない。


その表面が、一度だけ揺らいだ。


映像じゃない。


……反応。


腕の産毛が、再び逆立つ。


私は、反射的に一歩下がった。


遅い。


私は、修正を行った。


この世界は、

静かな修正を許さない。


そして私は、

もはやただ通り過ぎるだけの存在ではなくなった。

第5話までお読みいただき、ありがとうございます。


ルーナはここで初めて、

この世界の「流れ」に自ら干渉する選択をしました。

静かに観察する立場から、一歩踏み出した瞬間です。


あの場で彼女が感じた違和感、

そして見られてしまった「何か」が、

今後の物語にどう影響していくのか——

ここから、物語は大きく動き始めます。


もし続きが気になると思っていただけたら、

ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

次回も、どうぞお付き合いください。

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