第4話 脈動へ向かって
その振動は、一定の間隔で現れては消える。
今は、はっきりと感じ取れる。
脈ではない。
呼びかけでもない。
ただの揺れ。
規則的で、人工的で、休むことなく繰り返される振動。
……今は、それに従って進む。
⸻
歩き続けるうちに、人の数が増えていく。
最初は、まばらだった。
やがて集まり、
やがて流れになる。
気づけば、私はもう一人で歩いてはいなかった。
前方に、横に広がる巨大な建造物が見えてくる。
正面にはいくつもの入口が並び、人々を休みなく飲み込んでいる。
止まる者はいない。
列は途切れない。
私は、ほんの一瞬だけ迷い――
そして、流れに続いた。
⸻
中へ入ると、空気が変わる。
ここでは、人は自由に動いていない。
いくつもの流れが生まれ、交差し、分かれ、また合流する。
誰もが目的を持って足を進めている。
見えない規則に導かれるように。
私は、その流れに身を任せた。
前方で、人々が細い金属の枠を通り抜けていく。
ほんの一瞬だけ速度を落とし、何事もなかったかのように進んでいく。
私も、同じように進む。
――カチリ。
乾いた音が響いた。
目の前で、硬い板が左右から跳ね上がるように閉じる。
感情のない、低い機械音が続いた。
私は、止められた。
前に進めない。
……なぜ?
もう一歩踏み出す。
板は、動かない。
ここは、私が入ってはいけない場所なのだろうか。
――違う。
そういう感触ではない。
これは、判断でも、拒絶でもない。
この仕組みは、私が誰であるかなど気にしていない。
ただ、決められた規則に従っているだけだ。
⸻
後ろへ下がろうとする。
だが、足元は人の流れで埋め尽くされている。
身体が触れるほど近くを、人々が通り過ぎていく。
誰も、私を見ない。
誰も、私が止まっていることに気づかない。
流れが、押し寄せてくる。
息が詰まる。
私は、意識を内側へ折りたたんだ。
集中。
固定。
引かない。漏らさない。
足場を整え、流れを「受ける」のではなく、「やり過ごす」。
力ではない。
わずかな抵抗だけで、空間を作る。
負荷は小さい。
……それでも、確かにある。
やっとのことで、主流から外れる。
胸の上下が、先ほどより速くなっていた。
⸻
誰かが、近づいてくる。
服装が違う。
他の人たちとは明らかに異なる。
目的を持った、印のある装い。
声をかけられる――そう思い、私は再び集中した。
……それが、間違いだった。
音は、はっきりと耳に届く。
けれど、意味がぼやける。
輪郭が溶け、思考が音の速度についていかない。
流れから抜けるために、使いすぎた。
回復が、足りていない。
頭の中が、薄く引き伸ばされたような感覚。
私は、首を傾げた。
相手はそれに気づき、言葉を止める。
そして、もう一度――短く、簡単に。
「迷ってますか? 手伝いましょうか?」
言葉が、つながる。
……ぎりぎり。
それでも、わかる。
「……ちょっと、わからなくて。
……見て、考えます。」
相手は一瞬だけ考え、うなずいた。
疑いはない。
詰め寄りもない。
そのまま、流れの中へ戻っていく。
……よし。
私は端へ移動し、観察を始めた。
立ち止まっていると、流れの外側は意外なほど静かだった。
音はある。
足音。
機械音。
放送のような声。
けれど、それらはすべて、一定の高さに抑えられている。
叫びはない。
混乱もない。
人々は速い。
だが、焦ってはいない。
遅れる者がいても、流れは壊れない。
誰かが止まっても、全体は進み続ける。
……不思議だ。
ここには、指揮官も、合図も、魔力の流れもない。
それなのに、秩序だけが残っている。
人々は、互いを見ていない。
けれど、互いを前提に動いている。
この場所では、
「一人でいる」という感覚が、ほとんど意味を持たない。
私は、無意識に胸元を押さえた。
ここで力を使えば、すぐに目立つ。
ここで間違えれば、すぐに詰まる。
……理解した。
この世界では、
目立たないこと自体が、技術なのだ。
⸻
人の動きには、型がある。
無作為ではない。
身分による区別でもない。
入る者がいて、出る者がいる。
方向そのものに意味はない。
服装も関係ない。
高価。使い古し。制服。私服。
誰もが、迷いなく通過している。
私は、注意を絞る。
金属の枠に近づく直前、全員がわずかに動きを緩める。
手が動き、小さな何かを取り出す。
カード。
薄い板。
時には、光る平たい道具。
それを一瞬だけ、枠にかざす。
音。
光。
そして通過。
道具は仕舞われ、流れは続く。
……なるほど。
規則は、これだ。
身分でも、意思でもない。
「持っているかどうか」。
私の世界では、門は共鳴に応じる。
耳を持ち、聞き取る。
だが、これは違う。
この仕組みは、命令されたものしか受け付けない。
その道具がなければ、私は通れない。
⸻
今、無理をする意味はない。
必要なのは、居場所。
言葉。
理解。
私は慎重に向きを変え、流れが再び閉じる前に外へ出た。
外の空気は、どこか違って感じられる。
振動は、まだある。
――けれど、よりはっきりと。
ここは、源ではない。
ここは、通路。
結節点。
動きが集まる場所であって、始まる場所ではない。
本当の脈動は、もっと深い。
この地表の、はるか下。
今なら、はっきりわかる。
ここは、目的地ではなかった。
ただの、目印だ。
本当の源は、
幾重もの構造と規則に包まれ、
私の知らない仕組みによって縛られている。
……少なくとも、一つだけ確かなことがある。
この世界は、力を報いない。
従う者を、通すだけだ。
……だが。
従う、ということは。
この世界に身を委ねる、ということだ。
立ち止まり続ける者は、
いずれ「従わない者」として扱われる。
流れに乗らない者は、
流れの外に、押し出される。
今は、まだ選べている。
進むか、退くか。
観察するか、隠れるか。
けれど――
その猶予が、永遠に続くわけがないことだけは、
はっきりと分かっていた。
この世界は、
待ってはくれない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この世界は、力を持つ者ではなく、規則に従う者を通します。
けれど、その規則は、必ずしも人を守るために作られたものではありません。
次回、第5話。
ルーナが直面する、「正しく動く、壊れた秩序」について描く予定です。




