第3話:艦長室にて
保安部での聴取を終えたアレンは、ついに艦長との面会へ向かう。
カイル少尉の勢いに振り回された直後だけに、今度はどんな人物が出てくるのか。
少しだけ不安だった。
主任に案内されて辿り着いたのは、艦の上層部らしい静かな区画だった。
足音を吸い込むような柔らかな床。
壁面に埋め込まれた照明は眩しすぎず、どこか落ち着いた雰囲気を作り出している。
やがて主任が一枚の扉の前で立ち止まった。
「こちらです」
短く告げると、扉が静かに左右へ開いた。
アレンは思わず足を止めた。
(……でかい)
最初に目に飛び込んできたのは窓だった。
壁そのものが透明になったかのような巨大な観測窓。
その向こうには、無数の星々が広がっている。
夜空というより、海だ。
黒い海の中に光の粒が漂っている。
そんな印象だった。
(夜釣りをした時の海みたいだな)
故郷の海を思い出す。
もちろん、こんな景色は見たこともない。
それでもどこか懐かしく感じた。
部屋そのものは意外なほど質素だった。
豪華な装飾はない。
机と椅子、本棚らしき収納。
壁には見慣れない模型が飾られていた。
たぶん船だと思う。
たぶん。
窓際には飲み物を用意するための簡素な設備。
派手さはないが、不思議と落ち着く空間だった。
(あれ……)
(思ったより普通だな……)
(いや偉い人の部屋なんだから普通じゃないんだけど)
(カイルのせいで感覚がおかしくなってる……)
「ようこそ」
穏やかな声がした。
窓際に立っていた男性が振り返る。
四十代半ばほどだろうか。
落ち着いた雰囲気の男だった。
派手な威圧感はない。
だが、この人が責任者なのだと自然に分かる空気がある。
「私はアーク。この船の艦長を任されている」
「アレン・ラステイルです」
「知っている」
艦長は小さく笑った。
「そのために呼んだのだからね」
そう言うと窓際の設備へ歩いていく。
「さて」
操作盤に手を触れながらこちらを見る。
「何か飲むかね?」
「え?」
「コーヒー、紅茶、それとも栄養飲料」
一拍置いてから続ける。
「個人的には紅茶を勧めたい」
「そうなんですか」
「こういう話の前に栄養飲料を飲むと、話が長引く」
「それは困りますね」
「だろう?」
アレンは少しだけ笑った。
思っていたより話しやすい。
「では紅茶で」
「賢明な選択だ」
艦長は満足そうに頷いた。
やがて湯気の立つカップが差し出される。
受け取ると、ほのかな香りが鼻をくすぐった。
(知っている紅茶と香りは違うけど…)
少しだけ肩の力が抜ける。
「改めて」
艦長は自分のカップを持った。
「大使を救ってくれてありがとう」
その言葉にアレンは目を瞬かせた。
「いえ……俺はできることをしただけで」
「その“できること”で命が救われた」
艦長は静かに言った。
「それは誇っていい」
飾り気のない言葉だった。
だからこそ重みがあった。
「それから」
艦長は端末を操作する。
「保安部の聴取記録にも目を通した」
(あっ~~)
嫌な予感がした。
「担当はカイル少尉だったな」
「……はい」
「実に熱心な報告書だった」
「そうですか……そうですよね……」
「報告書も含めて、生活魔法について二十七ほど回言及している」
「そんなに?」
「正確に数えたわけではないが、そのくらいの勢いだった」
思わず吹き出しそうになる。
「彼は優秀なんだ」
艦長は苦笑した。
「ただ興味の方向が一直線でね」
「それは……よく分かりました」
「だろうな」
二人は少しだけ笑った。
不思議だった。
さっきまで別世界の人間だと思っていた相手と、普通に会話している。
「ただ」
艦長は表情を少しだけ引き締める。
「カイル少尉の報告から分かったこともある」
「何でしょう」
「君は嘘をついていない」
アレンは黙った。
その言葉が少し嬉しかった。
「だから厄介かもしれない。君の話は常識外れともいえる。」
艦長は続ける。
「だが、一貫している」
「……」
「そして《クリーン》という現象も実際に確認された」
窓の外へ視線を向ける。
「私の経験上、理解できないことと、存在しないことは別だ」
静かな言葉だった。
押し付ける響きはない。
ただ、自分の考えを述べているだけだった。
「君の《クリーン》だが」
「はい」
「興味深い」
「掃除ですよ?」
反射的に答えてしまう。
艦長は頷いた。
「そこなんだ」
「……そこなんですか?」
「酸素濃度の異常区画で生命維持に寄与した」
「たまたまです」
「机の汚れも消した」
「それはまあ、《クリーン》ですから」
「空気まで変化した」
「掃除…ですけど……」
「そこなんだ」
艦長はもう一度言った。
「私にはそこが理解できない」
アレンは困った。
《クリーン》は掃除にしか使えない生活魔法なのだ。
本当に。
「私の知る限り」
艦長は続ける。
「掃除で人命救助はしない」
「俺も初めてでした」
「君の反応を見る限り、そうらしい」
再び沈黙。
だが気まずさはなかった。
窓の外では星々が流れている。
「安心してほしい」
やがて艦長が言った。
「君を不当に拘束するつもりはない」
アレンは顔を上げた。
「ただ、もちろん確認したいことは山ほどある」
「でしょうね」
「俺でもそう思います」
艦長は紅茶を飲む。
「だが急ぐ必要はない」
穏やかな声だった。
「君にはまずは状況を理解する時間が必要だろう」
その言葉に、少しだけ胸が軽くなる。
実のところ、アレン自身まだ現実感がなかった。
謎の文明。
艦隊。
大使。
全部夢みたいだ。
「今日はもう休みたまえ」
「え?」
「少し制限はあるが、居住区に部屋を用意してある」
艦長は当然のように言った。
「食事も出る」
「助かります」
「ただし」
そこで艦長は少しだけ笑った。
「明日は覚悟した方がいい」
嫌な予感がした。
「何があるんです?」
「科学主任が君を待っている」
アレンは即座に顔をしかめた。
「嫌な予感しかしないんですが」
「奇遇だな」
艦長は紅茶を置いた。
「私もそう思う」
その返答に、アレンは思わず笑ってしまった。
宇宙に飛ばされて。
意味不明な聴取を受けて。
艦長は 思っていたよりずっと普通の人だった。
だから少しだけ安心した。
ほんの少しだけ。
この世界でやっていけるかもしれない、と。
そんな気がしたのだった。
艦長アーク初登場でした。
次回は科学主任との対面です。
理屈で世界を理解してきた人間が、《生活魔法》という理解不能な現象にどう向き合うのか。
お楽しみいただければ幸いです。




