2.「順番どおりにしないから」part 3.
「本日のお加減はどうですか? 眠り姫……」
右手が何か温かいもので包まれる。
わたくしは、暗闇の中で夢のようにぼんやりと響く声をただ聞いていた。
「姫様、お身体をお清めしますね……うぅッ……こんなことになって……」
サーラ? サーラなの……?
ベタついた皮膚を、ぬるいお湯に浸した布で拭かれる感覚。さっぱりしたわ、ありがとう。
わたくしは、寝ているのか起きているのかわからないような感じで、頭の中は起きているつもりだけれど夢を見ているだけかもしれない。
「ウィノナ……すまない……あいつらは私が動揺するのを見て喜んでいるのだ。早く貴女の美しい瞳が見たい。御典医はすぐ目覚めると言ったのに……」
ジャマナ王子……側近候補はあの不逞者の中から選んではダメよ……
どうしましょう……わたくしが口を出しても揉めるだけだろうけれど、このままでは王子殿下も間違った方向へ進んでしまうわ。
「眠り姫、私は改革派を叩きのめし、必ずや王位に就いて見せます!」
ああ、そんな……叩きのめすのは不逞の輩のほうですわ殿下……!
戦火がニルヴァーナ王国に飛び火し、お父様や王国のみんなが逃げまどい倒れていく姿が見える。
ダメ! そんなこと絶対に……!
「ハッ……!」
「ひ、姫様……!? よかった、お目覚めになったんですね!!」
「サーラ? 王国は……お父様は!?」
「え? 今のところは特に報告は入ってございませんけれど……」
どうなっているの? あれは夢だったということ!?
取り敢えず、わたくしは居室のベッドでホッと胸を撫でおろす。
しばらくすると、サーラが呼んだのか、ジャマナ王子殿下がいらっしゃった。
「ウィノナ! 大丈夫ですか!?」
「……ジャ……! ゲホッ……ゴホッ!」
「落ち着いてください、水を飲んで」
魔国の王子殿下が、なんと手づから水差しの水をグラスに汲んで、わたくしに飲ませてくれる。
「……あり……」
「具合はどうですか?」
「……え……もう……」
さっきから喉の調子がおかしいわ。
サーラと話したときは普通に喋れたのに、どうしてかしら?
そのとき、わたくしの脳裏に地下の魔薬窟の様子が浮かんだ。
そうでしたわ……あの大きな体の奴隷……確かに「ニルヴァーナに栄光あれ」と言ったわ。
我が王国の者であれば、みんな知っている国歌の一節を呟いたのだ。
つまり、あの者は……ニルヴァーナの王国民だったのではないかしら?
「どれ……い……は……?」
わたくしは、できるだけ本心を悟られないように、ジャマナ殿下に事の顛末を聞きただす。
まだ処分されていなければいいけど……
ジャマナ王子殿下は眉を顰め、わたくしの瞳を眼球がくっついてしまうかと思うほど近くから覗き込む。
「あの奴隷なら地下牢に拘束しておきました。殺しますか?」
「い……え……ここ……へ……」
「そんな! ウィノナ、まだ混乱しているのですか!? あのような犯罪者を貴女の部屋へなど……!」
「の……ど……どれ……いが……」
わたくしの喉がおかしいのは、奴隷が何かをしたからだ。
ジャマナ殿下には、そのように伝わってほしい。
実際、あの奴隷に何かされたとしか思えないのだ。
基本的に、魔術や呪いは掛けた本人が解かなければいけない暗黙のルールがある。
わたくしはサーラに紙とペンを持たせ、『わたくしの喉の件で、あの奴隷を必要としています』と書いて王子に渡す。
勝手に拷問されたり、わたくしの預かり知らないところで処刑されてしまっては困るわ。
王子がやっと理解してくれて、奴隷を連れてくる手配をしに行くと、わたくしはハァッと息継ぎをしてサーラに言う。
「わたくしの喉はどうかしてしまったみたい。王子殿下の前ではうまく喋れなくなってしまうのよ」
「まあ、姫様! 一体どうしたことでしょう!」
「わからないわ……それからサーラ、あなたには伝えておくけれど、地下にいた奴隷はニルヴァーナ王国民です」
「え……!? まさかそんな……では姫様……」
「あの者を救出しますわ」
「わ、わかりました!」
サーラが両膝をついて首をうなだれ、胸の上に親指と人差し指だけ真っ直ぐに伸ばした左手を当てる。
ニルヴァーナ王国民の最敬礼の形だ。
「サーラ……わたくしの我儘を許して頂戴」
「いいえ……いいえ、姫様。これは王族としての大切な使命でございます。私は姫様を誇りに思います!」
「ふふ……ありがとうサーラ。心からの感謝を」
ニルヴァーナ王国と魔国は、わたくしが嫁ぐまで国交がなかったと言っていい。
それがなぜ、我が王国民が囚われていたのか?
まあ不逞の輩たちの発言から何となく推測するに、拉致したのでしょう。
人間狩りだなんて……おぞましいことこの上ない。
まさかあの者の他に、魔薬窟で奴隷になっている人間は居ないでしょうね?
アトマに探ってもらう……? でも今は魔国の内情を調べる仕事をしてもらっているし、無理をさせて何かあったら大変だわ……
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「ウィノナ! あの奴隷を連れてきたよ!」
しばらくすると、ジャマナ王子がびしょ濡れの奴隷を連行して、わたくしの部屋の前にきた。
「ど、ど……して……濡れ……ゴホッ!?」
「汚い奴隷を貴女の部屋に入れるわけにはいかないので、清めてきたんだよ」
このサイコパス王子は、よくもまあ満面の笑みで、いけしゃあしゃあと嘘を吐きますのね……
この者の憔悴しきった顔を見れば、水責めの拷問でもしたに違いないわ。
このままでは、何だかんだと理由をつけて殺されてしまう。
わたくしは、奴隷を残して全員部屋を出るようサーラに伝えさせる。
「そんな……! 危険すぎる! せめて私も一緒に……!」
「申し訳ございません、王子殿下。姫様の御命令でございますので」
サーラの頑な対応で、ジャマナ王子は渋々引き下がる。
さすがサーラね……
念のため、わたくしも後ろから視線を送って応援したつもりだったけれど、王子殿下はわたくしのほうは見もせずに外に出たわ。
仕組みはわからないけれど、ジャマナ王子がいると、わたくしが満足に話せなくなってしまう。
この情報は早急にあの奴隷と共有したほうがいいでしょう。
バタン!
居室のドアを強めに閉めて、鍵をかけ取っ手にカンヌキ代わりの火かき棒を差し挟むと、サーラは頷いて合図をする。
「もう大丈夫かしら? わたくし本当に王子殿下の前では話せなくなってしまうのね」
「この者が何か知っているというのは本当でしょうか? 姫様……」
「わからないけれど……あなただってニルヴァーナ王国に帰りたいのでしょう? 教えて欲しいことがありますのよ」
サーラに答えながら、わたくしは奴隷に向き直って言葉をかける。
奴隷は膝をついて左手を胸に当てた。
ニルヴァーナ王国での最敬礼を知っているからといって、軽々に信じるわけではないけれど、この奴隷には何かあるわ。
「ニルヴァーナ王国第一王女ウィノナ・ウーラ・モルジェイユの名において命ず、汝の名を答えよ」
ニルヴァーナ王国は小国だけれど、魔国と取引が成立する程度には重要視されている。
それはひとえに魔法のおかげ。
ニルヴァーナ王国には魔力の高い国民が多く、すべての民は生まれた時に魔法で戸籍登録されている。
わたくしはもちろん、サーラもアトマも、その言い分が真実ならばこの奴隷も。
本来、個人情報の開示は複雑な手続きを経なければいけないのだけれど、今回は王族に与えられた権限でわたくしが直接確認しますわ。
果たして答えてくれるのかしら……?
すると、目の前の大きな奴隷は溶けるように小さくなり、プラチナブロンドの美しい髪を肩まで垂らした魔法使いが現れた。
「ウィノナ王女殿下、久方ぶりにございます。私の名はヴィルジェニー・イレイス」