5.「最後の一線」part 7.
「やってくれましたね、あのラーテル……お聞きになりましたか? ウィノナ様。あの当主、実際はラーテルの獣人なのに、箔を付けるためかスフィンクスの獣人だと自称しているんですよ。長男のルクソンがワシの獣人で次男のブラディオンがチーターの獣人なので、まあ理に叶っているとは言えるでしょう。しかし見るものが見ればすぐにわかることです! とんだラーテル親父ですよ!」
タキオン様に本名を公表されたウラル……改めマーヤークは、わたくしの部屋に戻ってからも落ち着きなく歩き回り、何やら長々と独り言を続けていた。
はじめのうちは、わたくしも適度に相槌を打ったりしてマーヤークを宥めていたのだけれど、全然治らないのでだんだん生返事になり、今は放置してしまっている。
今のうちにサーラとアトマ、そしてお父様とお兄様に手紙を認めておかなくてはいけないのだから。
それにしても……そうね。ウラルが『悪食のマーヤーク』だと知れてしまえば、タキオン様はまだしも、ルクソン様やブラディオン様は受け入れてくださるかしら?
サーラにも疎まれてしまうかも知れないわ……
マーヤークとの契約は、あくまでもわたくし自身の意志で結んだものだけれど、わたくしが消えた後ではこの悪魔を擁護してくれるものが居なくなる。結果的にわたくしの命を奪うことになるのであれば、すべての憎悪がマーヤークに向いてしまうでしょう。
まあ、この悪魔ならそんなこと気にしないかも知れないけれど……
「ねえ、マーヤーク……と呼んでもいいのよね? あなた、タキオン様には気に入られたようだけれど、次世代のご当主様方……特にブラディオン様にはお気をつけなさいな。わたくしを滅する役目を任せてしまって申し訳ないけれど、サーラはあなたを恨むと思うわ」
「はい。いざという時は、ウィノナ様に痛みのないように処置いたしますのでご安心ください。サーラ殿は、ウィノナ様の侍女で幼馴染みとのことでしたね。状況が切迫しておりますので、お早めに話し合いの場を持たれたほうがよろしいのでは?」
「そうよね……わかっておりますのよ……」
おかしな話だけれど、わたくしは悪魔に殺されることよりも、サーラに怒られるだろうなと想像して憂鬱になっている。
これまでもサーラには王女らしくないことばかりして怒られて来たけれど、今度のことでは絶対に雷が落ちるだろう。
でも、今のわたくしには、これしか道がないのだ。
マーヤークは、本当にあの『悪食マーヤーク』なのかしら……と疑いたくなるほどに紳士的な態度を崩さない。
とはいえ、悪魔は人の心にスルリと入り込み籠絡する能力があるという。
わたくしも、いつの間にか目の前の悪魔に好感を持ってしまっているから、もう魅入られてしまったということかしら……?
少なくとも、わたくしの役に立ってくれるのであれば味方だわ。
「ふう……手紙も書いたし、もう今日は休みますわ。ここに置いておくから、後で届けてちょうだい」
「かしこまりました、ウィノナ様」
そう言った悪魔は、急に横に顔を向けて動きを止める。
「……何ですの? 下がってよろしくてよ?」
「ふむ……思ったより王子殿下は、ウィノナ様に夢中のようですね……」
「え?」
マーヤークが何かおかしなことを言い出したかと思うと、わたくしの部屋の扉が慌ただしくノックされた。
「どうしましたの?」
「姫様、サーラでございます! お休み中に失礼いたします!!」
「まあ、サーラ! 入って頂戴」
「失礼いたしま……あなた! この悪魔!! 姫様に何てことを!!」
部屋に入ってくるなり、サーラはマーヤークに殴りかかった。
わたくしが慌てて止めに入ったけれど、興奮したサーラは手強かった。
「姫様も姫様でございます! 何で、どうしてこんな……!」
そこまで言うと、後は泣き崩れてしまって話ができなくなってしまう。
サーラはわたくしのお守り役だったから、使命がまっとうできなかったことを悔いているのだろうと思う。
でもこの魔国に来た時点で、わたくしの命などいつでも捧げる覚悟はできていたのだし……思わぬ展開になって、サーラには変な期待をさせてしまったかもしれないわ。
だからわたくしが命令してあげる。あなたには何の責任もないのだと自覚しなさいな。
「サーラお黙り。おまえは、わたくしの侍女であったことを忘れたの?」
「でも、姫様!」
「ニルヴァーナを守るのはわたくしの役目です。おまえのような立場の者には本来関わりのないこと」
その言葉を聞いて、サーラは振り上げた拳を力なく落とした。
「魔国にまでついてきてくれて、これまでよく勤めてくれたわ。もう解雇してあげるから、自由に生きなさい」
「そんな、私は姫様と……!」
「サーラ! それ以上わがままを言ってはいけません!」
「……っ!」
この魔国では、どうやら言葉は契約になってしまうようだ。サーラに余計なことを言わせないために、わたくしはその言を遮る。
「サーラ……わたくしは王女としてすべきことをしているの。悪魔マーヤークは、わたくしの大切な協力者ですのよ。礼を失してはいけません」
「姫様……」
「マーヤーク、ごめんなさいね。サーラはいつもこんな風ではないから、許してあげてくれないかしら?」
「問題ございません、ウィノナ様。あなた様のためなら、この私はどのようなご命令にでも従いましょう」
その言葉を聞いて、サーラも少し反省をしているようだった。
悪魔とはいえ、マーヤークが話の通じる存在であることを理解してくれたのかしら。
完全に信頼し合うのは無理でも、仕事面では毛嫌いしないで協力体制を築いてくれるといいのだけれど……
「ほら、サーラ……マーヤークにきちんと謝ってあげて?」
「……も、申し訳ございませんでしたマーヤーク様……」
サーラが渋々と謝罪の言葉を口にすると、マーヤークは笑顔で会釈をする。
これで手打ちということでよろしいかしら?
この二人には仲良くしてほしいものだ。
サーラだって協力してくれる実力者は多いに越したことはないはずですわ。
せっかくわたくしが見つけた有名な悪魔なのだから、きちんとサーラに引き継いでおきたいと思う。
とはいえ、サーラの魂を狙われるのも困るわね……
「ところで、マーヤークとジェヴォーダン家の契約はどうなっているのかしら? もう正式な書面は交わしたの?」
「契約はまだですが、ただいま条件を詰めているところでございます。ご当主様は抜け目のないラーテル親父ですからね。近親者には危害を加えないことなど、かなり多くの制約を強いられておりますが、まあ理解はできますよ」
「ならばサーラの身は安全ということかしら? マーヤーク、あなたにも思うところはあるでしょうけれど、サーラを守ってあげてね」
「ジェヴォーダン家に連なる方となれば、お守りするのは当然のことでございます、ウィノナ様」
「だそうよ、サーラ。このマーヤークは、わたくしからあなたへのプレゼントですわ。仲良くしなくてはいけないわよ」
わざとサーラを追い詰めるようなことを言っている自覚はある。わたくしは自分が居なくなった後、マーヤークとサーラが気まずい関係になることを望まない。二人ともわたくしの意図は正確に汲んでくれたようで、公には友好関係を継続させることを誓った。
「そういえば、サーラ……急にどうしてこの部屋に来たの?」
「あっ……申し訳ございません、取り乱してしまいまして! 王子殿下の追っ手が向かっているとの情報が入り、タキオン様が行動を起こすとご決断されました。この城は戦場になる可能性が高く、婦女子や老人は地下墓地に避難するようお達しが……それで姫様をお迎えにあがったのですけど……」
チラリとマーヤークを見るサーラは、まだ心の整理がついていないようだった。
「私も先ほど、かの者の魔力を感知いたしました。被害が出る前に殺すこともできますが、いかがいたしますか?」
とうとう、決断の時がきたのね……
でも、有無を言わさず暗殺して……もし何か間違っていたら?
王子殿下の真意を確かめてから決めたい……
わたくしには、まだ非情になりきれない甘さが残っていた。