5.「最後の一線」part 6.
「この度は、姫も大変な目に遭いましたな」
ジェヴォーダン家の当主、タキオン・イム・ジェヴォーダン様は、思いのほか可愛らしいおじ様だった。
目の前に座っているタキオン様は、小さくてニコニコしていて、どことなくお父様に似ている。
ご長男のルクソン様がかなり大柄だったので、何となく威圧感のある大きな方を想像していましたわ。
ジェヴォーダン城の大広間に据えられた岩のテーブルに、わたくしは当主様と向かい合って座る。ごつごつしたインテリアのワイルドさに何だか落ち着かないような気がするけれど、タキオン様の穏やかな瞳の奥に何があるのか見極めたくて、背筋を伸ばしてまっすぐ前を見た。
「お優しいお言葉をいただきまして、感謝いたしますわ」
「いやいや、愚息がご迷惑をおかけいたしまして、姫は我が家の恩人。ブラディオンが見初めたサーラ嬢も、なかなかの女傑ですな。私は人間族の皆様を、少々見誤っていたようです」
「わたくしたち人間族が、当主様のお眼鏡に適ったようで、光栄でございますわ。サーラは私の侍女でしたが、同時に大切な友人で、幼少時から存じておりますの。あの者には、どうか幸せになって欲しいと心より願っておりますわ」
「なるほど……」
タキオン様は、わたくしをじっと見つめ、何かを探っているようだった。
先方から友好的に迎えていただいても、ここは魔国であり、弱肉強食の世界なのだわ。わたくしに利用価値がなければ、この不安定なご時世では、すぐに見捨てられてしまうことでしょう。
けれど、わたくしだってタキオン様の目論見が成功するのかどうか、勝算が知りたいのよ。
サーラを預ける家が存続するかどうかの瀬戸際なのだもの。
わたくしに出来ることなら何でもいたしましょう。
タキオン様は、これまでに会った魔国のお偉方の中では一番話しやすい雰囲気がある。ジャマナ王子に関する情報をどこまで共有できるのか……よく考えて話をしなければいけませんわ。
「この魔国では、人間族の方々を虐げる者もおりますが、必ずしもすべてがそうであるとは限りません。それと同様に、人間族もまた、姫のような立派な方からそうでない者までおったようですな」
タキオン様のお話によれば、魔国には昔、人間がいたらしい。いえ、人間だけではなく、妖精やそのほかの種族も一緒に住んでいたということでしたわ。
でも魔国内で魔族の勢力が強くなりすぎて、他種族への弾圧が相次ぎ、はじめに妖精族が魔国から独立して妖精国を樹立したそうだ。人間への圧政は、はじめ一部地域の問題だったのだけれど、いつの間にか魔国全体に広がっていったらしい。
優秀な人間族や魔力の高い人間は自力で魔国から出ていくことができたけれど、あまり能力がない人間たちは行く当てもなく、その場にとどまるしかなかった。
知識もなく何もできないが故に、環境の悪化した魔国に残るしかなかった人間たちは、家から追い立てられゴミ捨て場や下水の溝などに住み着いた。
そして魔国の人間族は窃盗や詐欺などで生計を立てるようになり、魔族によって奴隷にされたり、駆除の名目で人間狩りの的にされるようになったという。
誰もが自力で生きていけるわけではない。魔国に残った人間族は、追い詰められて数を減らしていったのね……
「そのようなご事情が……魔国内の歴史は、わたくしたち人間族の国では知る由もございませんでしたわ」
「そうでしょうな。魔国においては力こそすべて。力というのは、魔力や戦闘力のことだと思われがちですが、知力や意志の力もまた力です。その意味において、人間族の方々の発想力には驚かされることも多々ありますな」
「魔国の皆様がタキオン様のようなお考えだとよろしいのですけれど……ジャマナ王子の側近の方々も『人間狩り』について言及しておりましたわ」
「なんと、姫の御前でそのような話題を?」
タキオン様が眉根を寄せて、チラリと横に視線を向ける。
いつの間にかケーキとお茶が用意されていて、岩のテーブルに可愛らしい上品な皿と菓子が乗る。これはたぶん、ジェルジュが作ったお菓子ね。ヴィルジェニー・イレイスの弟子として魔法の勉強中だったジェルジュは、このジェヴォーダン城で着々とパティシエの能力を開花させていて、今ではお菓子作りで右に出るものはいないほどだという。
あの子が将来的に何を目指しているのかわからないけれど、こんな凄い才能を伸ばさないのはもったいないわ。
とはいえ、ヴィルジェニー・イレイスに弟子入りしたくらいだから、お菓子職人よりは魔法使いになりたいのかもしれないわね。
能力があるから、必ず活かさなければならない……ということはない。
わたくしは、たまたま王族に生まれてしまったから義務を果たすよう教育されたけれど、ジェルジュには自由な未来を手に入れてほしいものだわ。
そうよ、ジェルジュのためにも、わたくしは頑張らなくてはいけない!
わたくしの、そのような決意を知ってか知らずか、タキオン様は話題を変える。
「ときに姫、王子殿下との御婚約についてですが……破棄をしたいという御意向があるというのは本当ですかな?」
「……ええ、そうですわ。ジャマナ様は、その……わたくしを害する可能性が高いので」
「何ですと!?」
タキオン様の反応を見て、わたくしはジャマナ様との間に起きたことを掻い摘んで話した。
夜中にベッドで剣を突きつけられたことや、側近の方が処刑されたことなどをお伝えすると、当主様は「は!?」と驚きの声をあげていらした。
やはり魔国でもあれは異常なことだったようね……
特にラホーシュ様の謀叛の意を知ると、タキオン様は「なるほど……」と呟いて考え込んでしまった。
「ラパック・カヴァルが態度を変えた理由がわかりました。奴は私の悪友でして、国防大臣を務めておりましたが、この度職を辞したのです。息子のデイビスもまあまあ勘のいい奴で、あれはカヴァル家を盛り立てるでしょうな」
「まあ、カヴァル様も……」
「して、姫はこれから王子殿下をどうするおつもりですかな?」
「どう……とは?」
「姫ならば、わかっていらっしゃるでしょう」
急に、穏やかだったタキオン様の視線が、鋭く変化してこちらを貫いてくる。
思わず聞き返してしまったけれど、当主様はわたくしがジャマナ様を亡き者にするべきだと思っているのだわ。
ルクソン様があのとき中庭の小屋でそのことに言及されたのも、お父上であるタキオン様がおっしゃっていたからでしょう。
わたくしは、身を固くしながらも、当主様を正面から見据えて答えた。
「いずれその時が参りましたならば、命に変えてお止めいたしますわ」
「どのように?」
「……ウラルを呼んでいただけるかしら?」
しばらくすると、執事研修をしていたらしきウラルが部屋にやってきた。
「お呼びでしょうか、ウィノナ様」
「ウラル、あなたと契約したいのです、よろしいかしら?」
わたくしが用件を短く伝えると、ウラルは笑みを消して真面目な顔をする。
そのまま、タキオン様に向き直って声をかけた。
「それはまた……ご当主、あなたの差金ですか?」
執事見習いなら、当主様に声をかけるのはルール違反だわ。でも今のウラルは、悪魔として行動しているようね。まっすぐ起立した状態から、楽な姿勢になって腕を組んでいるから、ウラルは何か考えているのかもしれない。
「さようですぞ、悪魔マーヤーク殿」
「え?」
「ふふ……バレていましたか」
タキオン様が、ウラルを別の名前で呼んで、わたくしは呆気に取られてしまう。
ウラルも否定せず、薄く笑っているので、本当の名前なのだろう。
ということは……ウラルはマーヤークという名前でしたの!?
悪魔マーヤークといえば、女性ばかりを殺すという有名な『悪食のマーヤーク』ということ!?
『悪食のマーヤーク』はニルヴァーナ王国でも有名で、歌劇や絵本にも出てくる恐ろしい悪魔だわ。
それが、目の前にいるウラルと同じ存在とは到底思えなかった。
でも、逆にそれならば、と思う。
ウラルが『悪食のマーヤーク』ならば、王子殿下に負ける心配はないでしょう。安心して仕事を任せられますわ。
「あなたの本当の名前はマーヤークというのね。それではタキオン様、ひとつお願いをしてもよろしいかしら?」
「何でしょう?」
「わたくしの契約が履行されましたら、このマーヤークをジェヴォーダン家で雇っていただきたいのですわ。ウラ……じゃなくてマーヤーク、期間はどれくらいがよろしいかしら?」
「では2000年でお願いいたします、ウィノナ様」
「そう、2000年の条件で、業務内容は執事ですわ」
「なんと……面白い! その話、了承しますぞ」
「では決まりね。マーヤーク、わたくしの魂と引き換えに、ジャマナ王子殿下を……暗殺してくださる?」
「承りました。時期はいつ頃に?」
「そうね……こちらから合図をいたします」
マーヤークが強いとは言っても、やはり王子殿下の力は侮れない。十分に近づいてから合図をしたほうが良さそうだわ。
わたくしは、もう踏み出してしまったのだ……
でも遅かれ早かれこうなっていたという予感はあったし、思いのほか良い条件で悪魔の就職に協力できたんじゃないかしら。




