5.「最後の一線」part 5.
森の中を無言で進む一行は、鳥のような馬に乗って、驚くほどのスピードを出している。
この馬は、わたくしが初めて魔国にやってきたとき、護衛のブラディオン様たちが騎乗していた種類のようね。
行き先は何となく聞いたけれど、知らない土地名だったのでうまく把握できなかった。
おそらく有名な街の名ではなかったと思うから、一旦隠れ家的なところに潜むのかもしれないわ。
アトマが主導で動いているようなので、わたくしは全面的に信用して身を任せるのみ。
月明かりの中、何かに追い立てられるように、わたくしたちは全力で移動した。
しばらくすると、遠くに街の明かりが見えてくる。
「ジェヴォーダン領に入りました。もう少し行けば今夜の宿があるので、まずはそこでお休みいただきます」
「ええ、わかったわ」
わたくしはアトマの馬に乗せてもらっているけれど、アトマの部下だという獣人のセトリが、悪魔であるウラルを怖がって相乗りは無理そうだったので、また首飾りの宝石に入ってもらった。
ウラルとしてはセトリを気に入ったらしく、危害を加えない契約を結ぶとまで言ってくれたのだけれど、魔国でも悪魔は恐れられる存在のようね……
てっきり魔族的なくくりで馴染んでいるものかと思っていたわ。
ウラルは飄々としていて、いつも自信たっぷりに行動しているから、魔国の民なのかと思っていたけれど、どうやら違うらしい。
セトリは悪魔なんて初めて見た……といって狼狽えていた。
わたくしは、思わずウラルが入った宝石を握りしめる。
この悪魔も、寄る辺ない寂しさを感じていたりするのかしら?
「着きました、姫様」
「自分は哨戒の任にあたります!」
「2刻で交代する、行け!」
「は!」
セトリが止まらずに、そのまま鳥馬を走らせる。
わたくしはアトマに手を取られて、隠れ家に入ろうとした。
でも、体は半分入るのだけど、どうしても通り抜けられない。
「姫様、申し訳ございません。念のため施した防御魔法にその悪魔が弾かれているようです」
「まあ……ウラル、出てきてくれる?」
わたくしが呼ぶと、首飾りがまた青白く光って、何やらゆったりとしたシャツ姿の悪魔が出てきた。
「おや、もう着いたのですか?」
「ええ、そうですの……にしてもウラル、あなた少々くつろぎ過ぎではない?」
「失礼いたしました」
ウラルはパチンと指を鳴らし黒い靄に包まれると、次の瞬間にはきちんとした上着で現れ、そのまま気取った礼をする。
「それでウラル……あなたこの隠れ家には入れないようなのだけれど、何か方法はあるかしら?」
「従僕の悪魔殿には、見張りををお願いすると良いのでは」
「まあアトマったら、ウラルは従僕……じゃなくて執事なのよ? 業務外の仕事はさせられないわ?」
「そうですか」
「私めのご心配は無用でございます。皆様、お先にどうぞ」
ウラルが「ささ、どうぞ……」とわたくし達を先に隠れ家の中へ入れる。
中に入ってウラルのほうを見ようと振り向くと、後ろにはおらず、前から声がした。
「さて、ウィノナ様、お茶でも入れて差し上げましょうか?」
「あなた、いつの間に!? ……例の空間転移ですの?」
「ご推察の通りでございます」
ウラルの飄々とした言葉に、アトマは黙り込んでしまう。
たぶん、防御魔法の運用について考え直す必要に駆られているのだわ……でも、この悪魔に正面から対応しようと思ったら、人間の力では無理かもしれない。アトマには、後でウラルに関する指示を出してあげたほうがいいわね……
その夜は早々と就寝して、次の日、わたくし達は何とかジェヴォーダン家の城に入ることができたのだった。
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「ああ、姫様! よくぞご無事で! アトマに音信不通と聞いたときは、本当に気が気ではありませんでした!」
「ああサーラ! また会えて嬉しいわ! ブラディオン様はお元気?」
「ええ、おかげさまで……しかし、離宮に隔離されていらっしゃったというのは本当ですか?」
「そうなの。婚約破棄してもいいとお伝えしたら、王子殿下がそのままわたくしの手を取って離宮へ。サーラとアトマには心配をかけたわね」
「あの方は、最近とくに精彩を欠いていると噂になっております。側近も何人か消えているということですし……」
「それについては、わたくしのせいですわ。デイビス様にはお会いできた?」
「おそらく……アトマからの伝言をブラディオン様にお伝えしておきましたので、何か動きがあったようです」
「そう、よかった……」
わたくしはサーラを心配させないように、無難な返事をして流す。
時々刻々と進む情勢に対して、わたくしは無力だ。
たとえば王子殿下の権勢が弱まったとして……果たしてジェヴォーダン家の謀反は成功するのだろうか?
サーラをブラディオン様の元に預けた以上、うまく行ってくれないと困るわ。
でも……ジャマナ王子のことはだいたい把握したけれど、魔国の王であるブラジェド・モン=ラルデュ・ストーカー陛下には、まだ2度ほどご挨拶をしただけ。
魔国王様の威厳は……まあ、わたくしのお父様よりあったと思うけれど、どのようなお考えかは全然わからなかった。
王子殿下以外に継承権のある方は居ないと言われているけれど、もし何かあればしっかり対処してくる可能性は高い。
少なくとも愚王の噂はないのだから。
魔国という広大な土地と最強と言われる軍事力、そしてそれを支える莫大な経済力を維持しているのだし、無為無策のワケはない。
やはり……ジャマナ王子は通過点なのだわ……あの方を止めたからといって、すべて解決とは行かないのよ……
いえ、止めるべきではあると思うけれど、決して最終目標ではない。
そして……最終目標に到達することは、たぶんわたくしの仕事ではないのだ。
わたくしはサーラに賭けているのだもの。
城の召使いたちに細々と指示を出しつつ、すっかり女主人の振る舞いが板についたサーラを見ながら、わたくしは歴史の傍観者のような気分で不思議な感覚に陥っていた。
「それでその姫様……あ、悪魔というのは一体どなたなのでしょうか?」
「あら、そうでしたわ……ウラル!」
わたくしが呼ぶと、首飾りに入っていたウラルが青白い光とともに黒い靄を纏って出てくる。
「お呼びでしょうか、ウィノナ様」
「こちらはサーラ。サーラ、こちらが悪魔のウラルよ。今はわたくしの執事をしてもらっているの」
「執事ですって? この方が!?」
サーラは、わたくしの言葉が信じられないというように復唱して、わたくしと悪魔を交互に見た。
わかるわよ、サーラ……よく無難な言葉で踏みとどまってくれましたわ。
たぶんサーラは「この悪魔が?」と言いたかったはず。だけれども、ウラルの機嫌を損ねないために「この方」と表現したのでしょう。
それにサーラは王宮で働く侍女として、執事の業務にも精通しているのだもの。
ゆるゆるなウラルの様子に、内心やきもきしているに違いないわ。
「サーラは確か、執事の業務にも詳しかったわよね? 彼は悪魔だけれど、就職先を探しているのよ。ウラルに仕事を教えてあげてくれないかしら?」
「私はそれほど詳しいわけではございません、姫様。でも……そうですね、姫様の執事というからには、きちんと働いていただかないと困りますから」
サーラがジェヴォーダン家の執事に話を通してくれることになって、ウラルの就職先は何となく決まったようだわ。
わたくしは、取り敢えずホッとして近くの長椅子に座る。
すると、タイミングよく侍女がお茶を持ってきてくれて、何やら見たことのあるお菓子が出てきた。
「まあ! これはジェルジュの作った焼き菓子ではなくて?」
「さようですわ、姫様。ヴィルジェニー・イレイス様は、だいぶお加減が良くなりましたよ。ルクソン様もお元気になられました」
「そうですの、良かった……」
「それであの……領主タキオン・イム・ジェヴォーダン様が、お帰りになり次第、姫様との会談をご希望とのことです」
「ええ、お世話になるのですもの。領主様のご要望には、何でもお応えしなければね」
「ありがとうございます、姫様」
ウラルは、お茶の用意を終えて下がる侍女たちに連れられ、そのまま執事研修に行ってしまった。
サーラを隣に呼び寄せて長椅子に並んで座ると、わたくしたちは領主様がお帰りになるまで、夢中で話し込んだのだった。